ご感想をいただいた方へのお礼のSSでした。
初めて智也を見たのは、俺の引越しが済んで一週間程たった日のことだった。 校章が刺繍された白い開襟シャツと黒い学生ズボン。その服装でなかったら小学生にしか見えない華奢な男の子。 その日は、学生カバンを肩から下げたうえに、両手に荷物を持っていた。左手に持っているのは習字道具だろう。俺も似たようなものを使っていた。十年以上前だけどな。そして体操服か何かが入っていそうな布袋。わきに抱える小さな本棚は技術家庭科で作った物か。 (そうか、終業式だったんだな) 夏休み前に色々持って帰らないといけないのは、いつになっても同じらしい。 ちょっと気になったのは、右手に持った短冊付きの笹竹。二週間ほど時季外れなのに青々としているのは、それが作り物だということだ。 (最近の中学じゃ、七夕も行事化してんのか) エントランスに続くレンガ色の道を、花壇に腰掛けてタバコを吸う俺の目の前を、その少年はテクテクと通り過ぎていった。 小さな顔に大きな瞳と、長めだけれどきれいに切りそろえた明るい色の髪の毛が、妙に印象に残る子だった。 次の日、マンションのゴミ捨て場に行ったら、例の作り物の竹が捨てられていた。 (オイオイ…) わざわざ持って帰って、次の日は燃えないゴミか。 近くでよく見るとパチンコ屋に飾ってあるようなチープな作りのそれには、おり姫、ひこ星、とか書かれた短冊とは別に、お願いごとの書かれた短冊がついていた。 『背が高くなりますように』 思わず口許が緩んだ。 たしかに、中学生にしては小さすぎだったな。 『プレステ2を買ってもらえますように』 これにはプッと吹いてしまった。 七夕の短冊って、こういうこと書いたっけか? そして 『七月七日の夜が晴れますように』 これには――優しい子だと思った。 その子が隣の406号室の子供だと知ったのは、そのあとすぐだった。 「うちのベランダに落ちていました」 俺が前の日から干しっぱなしにしていたTシャツ。 「えっ、ホント?何でだろう」 「風の吹き方で、外れた洗濯物がすぐ隣のうちに入ってくるの。前にも、ありました」 「ああ、そうなんだ。ありがとう」 俺が受け取ると、その子はペコリと頭を下げた。 その動作が幼くて可愛いかったので、つい軽い調子で尋ねてしまった。 「竹、捨てたんだね、七夕の」 その子は驚いたように顔をあげて、小さく唇を尖らせて言った。 「お家の中が、駅前商店街みたいになるから嫌だって、お母さんが」 「そっか」 確かに、このちょっと高級そうなマンションには似合わないだろう。 そしてもう一度ペコッと頭を下げて、その少年は隣に帰っていった。 俺は、次の日、406号室の表札をチェックした。 水上智也――ひとりっ子か。 その時は、まさかその少年が、自分とこんなにも深く係わり合いになるなどと思ってもいなかった。 きっかけは、カギを無くしたといって訪ねてきたあの日。 仲のよい友人にも滅多に見せない『例の部屋』を覗き込んだその少年は、あろうことか恐怖のあまりチビりやがった。本当ならそこで追い出すんだが、何故だかいちいち面倒を見てしまった。 俺らしくない。 俺らしくないといえば、その後も、ずっとそうだった。 俺は、兄貴の子供に頼まれても、自分のやってるアニメキャラの台詞を言ってやったりなどしない。勿体つけてるわけじゃない。単に恥ずかしいだけ。声優の仕事をはじめた時、役者はどうだという話もあった。自分で言うのもなんだけれど、ルックス的にはそこそこいけるらしい。しかし、俺は、自分の姿での演技を見られるというのは苦手だった。声だけならいいというのが他人にはなかなかわかってもらえないんだが、スクリーンで動くキャラは俺じゃないから、だから、いくらでも演技できる。 そういう俺だから、頼まれたって断るはずだった。 「ねえねえ、あの最後の台詞、もう一回言って」 智也が大きな瞳で俺を見上げる。顔が小さいから余計に大きく見える瞳が、少女マンガチックにキラキラ輝いている。 「言って、言って」 丸いクッションを抱きしめて言う様子が、無性に可愛い。なんなんだこのお子様は。 ためしに言ってやると、 「かっこい〜っ」 くーっとか言いながらコロンと倒れた。そして起き上がりこぼしのようにまたすぐコロンと起きて、 「続きも言って」 俺を見上げる。続いて言うと、 「く〜っ」 また倒れた。 クッションを抱いてコロコロと転がる様子がパンダみたいだ。 はっきり言ってかなり可愛い。 こんな可愛い子にここまで愛されたら、響流星も本望だろう。 「ねえ、『智也』って流星の声で言って」 は? ファンの集いとかで、よくそういうリクエストがあるが…。 男の子に言うのは初めてだ。いや、女の子に言うのだってこっ恥ずかしいからなるべく当たらないようにしているのだけれど。 それでも、この子が喜ぶのなら言ってやろうという気になった。 ソファに腰掛けると、智也はクッションを抱きしめて目をつむった。 長いまつげだ。 ほんの少しピンク色の頬は産毛も無いほどスベスベしている。 思わず見つめている自分に気がついて、ちょっと焦った。 「智也、がんばれ。俺がついてるから」 何だか知らないが、普段以上に気合が入ってしまった。 智也が、驚いたような表情をして、そっと顔を上げる。 その顔があまりに艶かしくて目が離せず、ずい分長いこと見詰め合ってしまった。その挙句、俺の手はあろうことか無意識に伸ばされて、智也の頬に触れていた。 ピクン 智也が身じろいだ。 とっさに俺はその頬をつねっていた。 「痛いっ、何するんだよっ」 智也が頬を押さえて叫ぶ。 よかった。 何か、とんでもないことをしてしまうところだった。 その日の夜。タバコをコンビニに買いに行った時、俺はドリンクの棚からオレンジジュースを取り出した。 カフェインが駄目だと言うオコチャマのために。 それでもまだその時の俺は、智也との仲が今のようになるなど、思っちゃいなかった。 覚悟したのは、あの日。 一晩中、悩んだ。 ひとまわり以上年下の、しかも男の子を、愛してもいいのか。 まだたった十三年しか生きていない子供の、将来を背負えるのか。 悩んで、悩んで―― 次の日、智也が家に来たときも、すぐに答えは出せなくて―― でも、智也の顔を見て考えるうちに、心が決まった。 必死に明るく振舞う智也の、まだうっすら涙のあとの残る横顔に、迷いを捨てた。 あとは、智也の口から聞くだけだ。 ずるいかもしれないが、智也から言ってもらわないと、最初の一歩が踏み出せない。なにしろ、俺のやろうとしていることは犯罪だからな。 さらうにしても、共犯になって欲しかったんだよ。 ゴメンな。 「僕、お兄ちゃんが好き」 智也の大きな目から零れ落ちた涙の粒を見て、捕まってもいいと思った。 * * * 「森君っ」 でた。 海老沢美津子、三十ニ歳。アヤシイ雑誌の副編集長、兼、そこの企画部員。このアヤシイというのは、胡散臭いではなくいかがわしいという意味だ。 「ねえねえ、あれからどうだった?」 「どうって、何がですか」 「しらばっくれないでよ、智也君のことに決まってるでしょ」 キタよ。 あの場にいたから、絶対何か言ってくるとは思っていたけれど。 「別にどうもなっていません。もう、その話はやめてくれませんか」 「どうにも、ってまさか、あなた!あの健気な智也君に応えていないのっ?」 だから、なんなんだよ、お前はっ!! いいかげんにしろよ、迷惑だって言っただろっ! と、叫んでやりたいのだが、今日は新しいアニメ番組のオーディションの日。あろうことか、この海老沢女史の属する大手出版社のマンガのアニメ化。関係者の一人を怒らすのは得策じゃないだろう。 「あの事は、こっちでちゃんと収まりましたから…」 とりあえず、この場を離れよう。 ――としたのに、海老沢女史は俺の腕をガシッとつかんだ。 「収まったって、どうおさまったの?」 どう見てもマスカラ付け過ぎの目がいやらしく細められる。 「まさか、森君が智也君の中に納まったとかいうオチ?」 下品なんだよ、お前はっ!! グッと言葉を飲み込んで、腕を取り戻し、 「おっしゃる意味がよくわかりませんが」 わざとらしく、腕時計を見る。 「あ、すみません。俺もう、時間なんで」 足早にその場を離れて、オーディション用の会議室に向かう。 「あなたが時間なら、私だってそうよ」 しゃあしゃあと後ろをついてくる。 「ま、いいわ。森君に聞かなくっても、あの素直な可愛い智也君を直撃しちゃえばわかるもんね」 「なっ」 俺は、キッと振り向いた。 「智也に変な真似しないでくださいよ」 「あら、ステキな反応」 海老沢女史は、嬉しそうに俺の隣に並んだ。 「本当の恋人同士が演技するのって、はたから見ててもいかがわしくって良いわよね」 何の話だ。 「モモエ&トモカズみたい」 いつの時代の話だ。 「私、智也君の声、諦めてないから」 「中学生ですよ」 「あら、ラスカルのスターリング少年だってそのくらいの子がやってたんじゃない?」 「知りませんよ」 ってか、世界名作劇場とアレを一緒にするなよ。 「森君がそこまで嫌だってなら、相手役は別の声優引っ張ってきてでも、智也君にやってもらう」 「ぜっったい、ダメですっ!!」 思わずむきになると、 「やっぱりステキな反応」 女史は、赤い爪を唇にあてて笑った。 まったく。 智也の両親始めとして周囲にはバレないように気を使っているのだけれど(さすがに智也が義務教育を終えるまでは、ね……)、この海老沢女史がいる限り、いつ何が起こるかわからない……。 覚悟は決めたはずだけれど、けっこうイバラの道だな。 それでも―― 「お兄ちゃん、オーディション、どうだった?」 クルクルとよく動く、愛らしい瞳。 「んっ、今回は主役じゃないけどね」 「だれ?」 「主人公のライバルの美影っていう…」 「えーっ、あのすごい強い人。僕、マンガじゃあ、ヒカルよりもミカゲの方が好きだよぉ」 頬を薔薇色に染めて、笑う。 「よかったね、お兄ちゃん。僕、アニメでもミガケのファンになるよ」 「そっか、じゃあ、またライバルが一人増えたな」 「えっ?」 「流星と美影と俺と、誰が一番好きだ?」 我ながら砂を吐きそうな質問に、智也は真っ赤になって 「お兄ちゃんに、決まってるじゃん」 俺の腕を両手で握って下を向く。 「ああ、よかった」 わざとらしい台詞を言って、空いた方の手でやわらかな髪をクシャッと撫でると、智也は 「お兄ちゃんも、サヤカやマリちゃんよりも、僕のこと好きだよね?」 上目遣いでそっと見上げる。 ちなみにどっちも、俺が声出してるアニメに出てくる美少女キャラだ。 「あたりまえだろ」 あんまり可愛いんで、瞬間、頭をぎゅっと胸に抱きしめた。ここが駅だということも忘れて。 ま、ふざけているようにしか思われないだろうけれど。 この俺たちが、覚悟を決めた恋人同士だとは、誰も思わないだろうけれど。 智也と一緒なら、イバラの道もスキップして歩けそうな気がするよ。 「そういえば、プレステ2は買ってもらえたのか?」 「えっ?何で?」 「欲しかったんだろ?」 「うーん、でももういいの」 「なんで?」 「だって、プレステやってたら、お兄ちゃんと会える時間が減っちゃうもん」 「そっか…そうだな」 「うん」 「でも、実は、俺の家にあったりする」 「ホント?どこに?テレビのところには無かったよ?」 「普段しないから仕舞ってんの」 「じゃあ、一緒にやろおよ」 「よし。確かスーパーロボット対戦スペシャル、もらったのがあったはずだ」 「ヤッタ〜! ねえ、でも何で僕がプレステ2欲しかったの知ってるの?」 「智也の欲しいものは、わかるんだよ」 「ホント?じゃあ…じゃあねえ…今、一番欲しいものは、なぁんだ?」 |
なんだかいかにもSSって感じですね〜。すみません。 もう少ししたら、少し大人になった智也くんとお兄ちゃんを書いてみたいです。 今回の『愛百』では、初めて感想書いて下さった方も けっこういて、嬉しかったです。ありがとうございます。 ショタ好きの輪が広かった気がします(笑) いつもの皆様も、もちろんありがとうございます。 これからも、どうぞよろしくお願いします。 |
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