3月3日のひなまつりの日。滅多に行けない高級イタリアンに行った記念SS 『サクシード』の二人でお届けしますvv 「三月の第一週の月曜日は休みだよな」 良馬が言った時、僕はちょっと吹き出した。 「第一週もなにも、月曜日は僕のお休みだよ」 土日のレースに焦点を合わせて働く競馬関係者の定休日は月曜日。 付き合って二年にもなるのに、改めて言われておかしかったんだ。 そうしたら、良馬が 「じゃあその日、つきあって欲しいんだけど……駿、スーツ持ってるよな」 とか言うので、驚いた。 「スーツを着ないといけないようなところなの?」 意外な気がした。パーティの機会も多いからスーツは何着か持っているし、ついこの間成人式用に作ったものもあったけど。 良馬とのデートはたいてい肩のこらない気軽なお店が多かったから。 実際、僕もそういうところのほうが好きだし。 「何があるの?」 「ん、行けばわかるから」 良馬が言葉を濁すのが、ますますアヤシイと思った。 なんだろう。三月の第一週の月曜。カレンダーを見て、あっ!と思った。 (ひなまつり……) でも、それがどうしたというんだろう?? 結局、よくわからなかったけれど、良馬の言うとおりスーツを用意することにした。 当日。迎えにきた良馬の姿にドキッとした。 良馬もスーツだった。当たり前だよね。僕に着ろって言って自分だけジーンズってことはないだろう。 (でも……) 僕があんまりじっと見たから、 「なんだよ」 運転席に滑り込んでシートベルトをしめながら、良馬はちょっと恥ずかしそうに唇を尖らせた。そういうところは、可愛い。 「良馬、スーツ似合う」 お世辞じゃなくて本当に似合った。 僕と違って背も高いし、運動をやっていたから骨格がしっかりしていて実は胸板も厚いんだ。普段のカジュアルな服装でも十分カッコいいけど、こんなカッコされると、ちょっとドキドキする。 「来月からは、制服みたいなもんだけどな」 「あ、そうだね」 良馬は、千葉の私立高校で先生するんだ。 「なんか、ちょっと心配」 「え?」 「良馬先生、モテそうだもん。可愛いジョシコーセーに」 「ばあか。俺の行く所、もと私立の男子校で共学になったの最近だから男ばっかだってよ」 「ふうん……」 と頷きかけて、 「もっと、心配かも」 僕は眉間にしわを寄せた。 良馬はクスクス笑った。 「何か嬉しいな。駿にやきもち妬かれるなんて、滅多に無いし」 それは良馬が知らないだけだよ。これで僕は結構なやきもち妬きだ。出さないようにしているだけで。 そして、良馬はシーマを駐車場で止めた。 「ここ?」 「いや、ここから電車」 「え?どこまで行くの?」 「銀座」 「銀座?」 ちょっと驚いた。 車を置いて行くということは…… 「お酒飲むの?」 「少しね」 「少し……?」 「ほら、早く行くぞ」 グレーのカシミアのコートを羽織った良馬は地下鉄の駅に向かって颯爽と歩く。僕も小走りで追いかけた。 何なんだろう、一体。 銀座一丁目の駅で降りて地上にあがって、連れて行かれたのは銀座コアビルだった。 「ここの七階」 「それって……」 僕でも知っている有名な店だった。 エレベーターを降りると、目の前にホテルのフロントのような大きなデスク。黒のパンツスーツの女性がにっこりと微笑んだ。 「いらっしゃいませ。ご予約は」 「藤木です」 「藤木様、お待ちしておりました」 コートを預けて、案内されるまま付いて行く。 たくさんの花、外国の書物、そしてワインが僕たちを出迎える。 ワインセラーに挟まれた広い通路の、そのワインの量に驚きながら通された奥の部屋は、高級店の名前にふさわしい豪華な空間だった。 入り口からは想像できなかったほどの広いスペースにゆったりとしつらえた席。その中の一つに促され、腰掛けて僕は思わず良馬に言った。 「どうしたの?」 「ん?」 良馬は笑いをこらえたような顔で首をかしげた。 机の上にあったメニューを開いてみた。 ウイキョウの軽いゼリー、サフラン風味とキャビア 手長海老のソテー、チリメンキャベツとレンズ豆のマリネ コリアンダー風味 アンコウのソテー タイム風味、根セロリのピュレと赤ワインソース ……これでまだ前菜だ。 タリアテッレ、フォンデュ、仔牛のロースと延々つづくメニューを閉じて、僕はもう一度尋ねた。 「ねえ、本当に、どうしたの?良馬。今日は何のお祝い?」 良馬は、ちょっと困ったように僕を見た。 「僕の成人式はもうやったし、良馬の卒業祝いだったら、僕がご馳走しないといけないほうだし……」 本当にわからなくて詰め寄ると、良馬は 「ひなまつり……っていうのは?」 と笑った。 「女の子のお祭りじゃない」 自分も一度そう考えたのは置いておいて、僕は口を尖らせた。 「しょうがないな」 良馬はスーツのポケットから小さな箱を取り出した。 「本当は、デザートの時まで引っぱりたかったんだけど……このままじゃ落ち着いて食べさせてもらえそうにないし」 僕に小箱を手渡す。 「何?」 「開けてみて」 お店の人が食前酒を注ぎに来たのも無視して、僕は包みを開けた。 中から出てきたのは――― 「指輪?」 プラチナの台に丸いダイヤが埋め込まれている。なんか……婚約指輪みたい……。 僕が唖然として顔を上げると、良馬が言った。 「三月三日、弥生賞」 「あ……」 「駿のデビュー戦の日。二年前、中山で俺たちが会った日だよ」 ああ、そうだ。僕のデビュー戦、二年前の三月三日。 あの日、弥生賞のウィナーズサークルで僕は良馬の声を聴いたんだ。 「俺たちの記念日だよな。去年は、色々あってお祝いできなかったけど」 そうだ。去年の今ごろは、僕はサクシードを亡くしたショックからまだ立ち直っていなかった。 (良馬……) 指輪を持つ自分の指が震えるのを感じた。 言葉にならないくらい、感動してしまった。 「二周年だから、スィートテンならぬスィートツーダイヤモンド」 良馬が照れたように言った。 ツー? 僕は、指輪を見た。 「ダイヤ、一個しかないよ」 上目遣いに良馬を見ると、 「俺がもう一つ持ってるから」 お揃いの指輪をひらひらさせた。 僕は、思わず笑った。 「じゃあ、来年は?半分ずつ?」 「来年は、駿にやるよ」 「じゃあ、再来年は良馬だね」 「だな」 「五十個たまるまで、続けようね」 「五十か……七十二(歳)だなあ。うちのジイさんたちどっちもそこまで生きてないし、ちょっと自信ないけど……駿は大丈夫そうだな、お祖父さんたち二人ともものすごく長生きしそうだ」 僕はおかしくてクスクス笑う。 「そうだね。うちって男は長生きの家系みたい」 指輪を眺めて 「でも、良馬もがんばって長生きしてよ。ずっと記念日を一緒に過ごせるように」 やっぱり、婚約指輪みたいだと思った。 「身体鍛えて、がんばるよ」 「うん」 僕たちに結婚記念日は無いけれど――― 「はい」 良馬に箱ごと指輪を返すと、良馬は驚いたように眉を上げた。その伸ばした左手を良馬に預けたまま 「はめてくれないの?」 首をかしげてみたら、良馬は顔を赤くした。 考えてみれば、男二人でスーツ着て、こんなことやっているなんてお店の人はどう思っているかな。 でも、いい。嬉しいから。 良馬が、僕の薬指に指輪をはめてくれた。ぴったりだ。 「ありがとう、良馬」 この日を、僕たちの記念日にしよう。 ずっとずっと、一緒にお祝いしよう。 死が二人を別つまで――― 2003/3/3 ENOTECA PINCHIORRI |
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