突発SS《夜啼鳥〜ナイチンゲール》 [背景] モグという愛犬がいながら、命の通わぬ人形に心奪われている自分を反省して書いた一作。 しかしながら、その後も、反省はまったくいかされていない。 私はナイチンゲールの王様だ。まだ目が覚めていない(笑) * * * これは、物語の国のお話です。 この国の王様は、亡くなった先代の王に代わって若くして即位した、大変美しい王様です。金色の髪に青い瞳。その瞳は聡明な光を宿していて、見るもの全てを魅了します。 剣の腕も達者で右に並ぶ者が無い、人々から尊敬され、愛される素晴らしい王様です。 王様の名前は、レオンハルトと言いました。 「あ、ああ、王様……レオンハルトさま……」 夜の闇の中、甘い声が歌います。 「愛しいナイチンゲール、その声で私を酔わせておくれ」 「ああ、もうっ……あっぁぁっ……レオンハルトさまっ」 王様は、一人の夜啼鳥(ナイチンゲール)を大そう可愛がっていました。名前は、ルナ。その名の通り、月の光のような淡い銀色の髪と暖かな茶色の瞳を持った美しい少年でした。 「ルナ……可愛いルナ」 「あああっ……んっ、あっ……王様、もっと……」 「ルナ…」 「はっ、あ、ん……ああぁ……」 王様の指に合わせて、ルナは今夜も美しい声で啼くのでした。 「王は、ルナを可愛がりすぎている」 亡くなった先代王の弟、王様の叔父に当たる大臣のランド卿は、ルナのことをこころよく思っていません。実は、王様のことも、このランド卿は良くは思っておりませんでした。 王様がもう少し愚鈍であればこの国の王になれたのは自分だった、と思っているからです。 「良いではありませんか、大臣」 応えたのは公爵のローウェン公です。ローウェン公もつい数年前に父親から爵位を継いだ若い公爵です。王様の幼い頃から傍近くにいて、よき年上の友人として、時には兄のように、王様を導き、見守っていました。 「王がルナを可愛がることで、国に、民に、何の弊害がありましょう。あの王が王らしくある限り、この国は平和で、豊かで、国民は皆幸せなのです」 * * * そんなある日、隣の機械の国から王様に献上品がありました。 「これは、私どもの国では、高貴な姫のために作られる精巧なアンドロイドです」 機械の国の使いは、恭しく頭を下げ、持ってきた大きな箱を開きました。 「……おおっ」 王様を始めとして、皆一瞬息を飲み、感嘆の声をあげました。 箱の中から現れたのは、この世のものとも思えない美しい少年でした。 銀色の長い髪は、本物の銀で作られています。瞳はエメラルドで、すい込まれそうな緑色。箱から降りたその少年は、ゆっくりと王様に近づくと、膝を折って挨拶しました。 「はじめまして、王様」 その声も、鈴を転がすような美声。 若い王様は、あっという間にその少年に心を奪われました。 「シルヴィ、おいで」 少年は、銀の髪になぞらえてシルヴィと名づけられ、その夜から王様の伽に侍りました。 シルヴィは、ナイチンゲールとして完璧でした。声も身体も、王様の好み通りに作られていて、なにしろ床上手で王様に生まれて初めての快感をたくさん教えて差し上げることが出来るのです。 王様はこの新しいナイチンゲールに夢中になって、ルナのことを忘れてしまいました。 王様からお声がかからなくなってから七日。 ルナは、王宮の庭の、薔薇の茂みの陰で一人泣いていました。 王様は、もう私のことは忘れてしまったのかしら。もう、二度と私の名を呼んではくださらないのかしら。 そう思うと、ルナは、辛くて苦しくて息も止まりそうです。 そこに、ローウェン公が偶然通りかかりました。 「ルナ……こんなところで……」 「公爵さま……」 自分を見上げるルナの茶色の瞳が涙に濡れているのを見て、ローウェン公は胸を痛めました。 「王は……今、少しだけ、道を迷われているのだ」 ローウェン公は優しくルナに言いました。 「機械の少年には真の愛というものは無い。王も、直ぐにそのことに気がつく。お前の本当の愛に気づいて、また以前のように……」 「公爵さま」 ルナは、公爵さまの言葉が嬉しくて、また涙を流すのでした。 けれども、王様がルナを呼ぶことはありませんでした。 毎夜毎夜、シルヴィとの情事に耽る王様は、少しずつ以前の輝きを失ってしまいました。大切な政務に関わることでも、気だるく投げやりな言動が顔を覗かすようにもなりました。 「王様……」 ルナは、陰ながら見つめていた王様の変貌に心を痛めて、ある夜決心して王様の部屋に行きました。 ほんの一ヶ月前までは、毎日通った王様の部屋です。お部屋番の家来も 「……王様に、呼ばれて参りました」 ルナの言葉を疑わずに、奥へ通してくれました。 そっと、部屋の扉を開けると、シルヴィが美しく甘い声で啼いているのが聴こえました。 そして、闇に目がなれると、わずかに差し込む月の光で、シルヴィの白く美しい姿態が浮かび上がります。 切なげに寄せた眉も、扇情的に小さく舌を覗かせた赤い唇も、酷くいかがわしくて、見たくないのにルナは目が離せません。 王様が先に気がつきました。 膜のかかったような瞳でルナを見て、掠れた声で呟きました。 「お前は、ルナか?久しぶりだな。まだ、居たのだな」 シルヴィを抱いたまま腕を伸ばします。 「ちょうどいい、お前も来い。三人でやるのも一興だ」 王様の言葉に、ルナは弾かれたようにその場を駆け出しました。 飛び出してきたルナにお部屋番の家来も驚きましたが、真面目な家来はそのまま扉の横に立ったまま、ルナの背中を見送りました。 「王様、レオンハルトさま……」 ルナは、駆けながら、王様の名を呼びました。 今夜、ルナが王様を訪ねたのは、王様に目を覚まして欲しかったからです。 人形のナイチンゲールに心奪われてしまった王様を何とか取り戻して、もとの美しく聡明で立派な王に戻って欲しかったからです。 それなのに――― 『まだ、居たのだな』 ―――王様は、自分のことなど忘れていた。 『ちょうどいい、お前も来い。三人でやるのも一興だ』 ―――違う、違う、あんなのは私のレオンハルトさまじゃない。 ルナは悲しくて、辛くて、気も狂いそうになり、王宮を飛び出すとそれっきりお城には戻りませんでした。 * * * お城を出たルナはあても無くさまよい続けて、城から遠く離れた北の町外れの、宿屋の前で行き倒れとなったところを、そこの主人に拾われました。 三日三晩眠り続けたルナが目を覚ました時、宿屋の主人は言いました。 「おい、お前。このベッドの代金は、どうやって返すつもりだい」 「すみません。お金は持っていないのです」 「お金が無いなら、かわりに何ができるんだ」 ルナは王宮で生まれ育ったので、世間の仕事は何も知りません。力仕事もその細い華奢な腕では無理でした。 「私は、ナイチンゲールです。夜歌うことしか出来ません」 「ナイチンゲール……なるほどね」 宿屋の主人は、好色そうに舌なめずりをしました。 そして、その夜からルナは、ベッドとわずかな食事のために、夜な夜な宿屋の主人に抱かれることになりました。 ルナも、ほんの少しだけおかしくなっていたのでしょう。 毎晩抱かれる宿屋の主人の腕を愛する王様の腕だと思って、喉を震わせて、美しい声で啼くのでした。 昼間目覚めて、そこが汚い宿屋だということはわかるのです。 自分を抱いているのが、その宿屋の主人だと言うことも。 けれど夜になって、それが始まると、ルナの心は王宮の夜の闇に沈むのです。 「あ、ああ、王様……レオンハルトさま……」 切なく、美しい声で王様の名前を呼び、涙を流します。 宿屋の主人は、初めのうちこそ面白がっていましたが、だんだんと苛々してきました。 「俺の名前は、ジムだ。ジムと言え」 「レオン、ハルト、さま……」 「ジムだって言ってるだろっ」 怒った主人が頬を叩こうが髪の毛を掴んで引きまわそうが、ルナは焦点の合わない瞳で、ただただ王様の名を呼びつづけるのでした。 「ルナの居場所は、まだわからないのか?」 ローウェン公は、眉を顰めます。 ルナが城を去って一ヶ月。王の変貌は、ますます酷くなりました。 そうして、ローウェン公はようやく気づいたのです。 「あの機械のナイチンゲールは、機械の国の王の策略だったのでは」 機械の国にとってこの隣の国は、羨むほど美しく平和で豊かな国です。先々代の国王の時までは、何度か国境での諍いもありました。今の、機械の国の王が侵略したいと思ったとしても不思議はありません。 「その為に、若き名君と名高いレオンハルト王を、機械のナイチンゲールで堕落(おと)そうと考えた……」 そう気づいたローウェン公は、無理やりにシルヴィを王様から引き離し、地下室に閉じ込めました。機械の少年ですから、水も食事もいりません。シルヴィは、静かに地下室で眠りました。王様が傍にいなければ何もしないようにプログラミングされているのでしょう。 王様は、あれほど寵愛したシルヴィを連れて行かれても、抵抗しませんでした。 いえ、抵抗する力も出なかったのです。ふらりと倒れると、そのまま床についてしまいました。 王様は夢の中で、ナイチンゲールの歌声を聴きます。 その美しく、甘く、切ないほどに優しい声はシルヴィの声ではありません。 「ルナ……」 王様は、苦しい息で、ルナの名前を呼びました。 王様は、日に日に衰弱していきます。 毎夜の夢でルナの姿を追って、ただルナの名を呼びます。 ルナ……私が悪かった。私が、馬鹿だったのだ。 もう一度、もう一度だけ、私の前に姿を見せてくれ。 その美しい声で、私の名前を呼んでくれ―――――。 『王様、レオンハルトさま、私の王様』 夢の中のルナは優しく歌い、可憐な花のように微笑みます。 その光を弾く淡い銀色の髪と暖かな大地のような茶色の瞳を見ると、王様はとてもとても幸せな気持ちになり、そして目覚めると、その幸せな気持ちと同じだけ胸が締め付けられ苦しくなるのでした。 王様は、次第に目を開かぬようになりました。 今にも死の眠りにつかんとしている王様の様子に、ローウェン公は焦ります。 「ルナは…ルナは、一体何処に消えたんだ」 ローウェン公の必死の捜索に、見つからぬはずがありません。 ルナらしい少年が町外れの宿屋に拾われていることを、ローウェン公の家来の一人ウィルズが聞きつけて、情報を持ち帰りました。 ところが、そのとき運悪く王宮にローウェン公が不在で、ウィルズはあろうことか、その情報を大臣のランド卿に渡したのです。 「そうか、よしよし、大儀であった」 ランド卿は、ウィルズを大袈裟にねぎらい、金を一袋取らせました。 「このことは、わしが必ずローウェン公に伝えよう。お前は決して他言するでないぞ」 「はっ」 「手柄は、そなた一人のものにするがよい。そっちの方の捜索は打ち切るように」 「かしこまりました」 ランド卿は、王様がこのまま亡くなってしまうことを望んでいました。 そうして、自分が次の王になるつもりです。 ルナの居場所を知らせるつもりなど、毛頭ありません。 ウィルズを下がらせると、受け取った手紙はそのまま、燭台の炎で燃やしてしまいました。 そして、ルナも王様も不幸なまま、日々は過ぎてゆきました。 「これほど探して見つからないということは、もうルナは死んでしまったのだろうか」 ローウェン公は、ふと弱気になって、溜め息をつきました。 「公爵様、そのことですが。北の町外れの捜索が、いつの間にか打ち切られているようです」 「なんだと?あそこは、私の臣下のウィルズに任せていたはずだが……」 不思議に思って、ローウェン公はウィルズを王宮に呼び出しました。 ローウェン公が、ウィルズを呼びつけていると聞いて、ランド卿は慌てました。 「こんなことなら、あのときに始末しておくべきだった。わしが手紙を握りつぶしたことが知れると厄介なことになる」 それで、自分の腹心に、ウィルズがローウェン公に会う前に殺すよう命じました。 王宮の大きな扉をくぐり、ウィルズは足早に歩きました。 「大臣様からは金一袋をいただいたけれど、公爵様からは、まだ何もいただいてなかったからな」 すっかり、先日の褒美だと思っています。 そこに、いきなり黒装束の男が襲い掛かります。 「はあっ」 「うわっ」 「覚悟」 「何をするっ」 ウィルズは剣の腕もそこそこ達者で、簡単にやられてくれません。 何度か剣先を交えた後、 「ちいっ」 男は、舌打ちをして、踵を返しました。 「何をしている」 そこに、ローウェン公本人が現れました。 すらりと剣を抜くと、ウィルズを襲っていた男の右手と脚を一瞬のうちに切りつけ、身動きをとれなくしました。 「うっ、うううっ」 苦しげにうめく男のマスクを、剣の先ではがして、ローウェン公は目をみはりました。 「お前は…!」 どやどやと大勢の男の足音がします。 「ここに、銀色の髪の少年がいるだろう」 先頭に立ったローウェン公の勢いに押されて、宿屋の主人は二階の一番奥の部屋を指します。何事かと、いぶかしむ人々を押しのけて、ローウェン公はその部屋に駆け込みました。 「ルナ!」 そこでローウェン公が見たのは、半裸でぼんやりとベッドに横たわるルナの姿でした。 ローウェン公に気がついて、ゆっくりと身体を起こします。 酷く痩せてやつれていましたが、それ以上にローウェン公を驚かせ、その目を釘付けにしたのは、ルナの白い喉にまっすぐ真横に引かれた痛々しい傷跡でした。 「こ、これは……どうしたのだ?」 ローウェン公が呟くと、ルナは恥ずかしそうにうつむいて、薄い布団で喉元から身体までを隠しました。 「ルナ、一体この傷は……」 ローウェン公が駆け寄って、顔を覗き込みますが、ルナはうつむいて首を振るだけです。 怒りに顔を白くしたローウェン公は宿屋の主人に向かって叫びました。 「おいっ、これはどういうことだっ」 「へ、へい……」 宿屋の主人は震えながら、白状しました。 抱かれながら、自分の名を呼ばず王様の名を呼び続けるルナに怒って、その声帯を切ってしまったということを。 「なんと、いう、ことを……」 ローウェン公は、宿屋の主人を打ち首にするように、家来に命令しました。 「ルナ、私と一緒に王のもとに」 城に帰ってきて欲しいというローウェン公の言葉に、ルナは首を強く横に振ります。 こんな姿で、どうして会うことができましょう。 まして、自分は、あれだけ王様に愛された美しい声を失っているのです。 宿屋の主人に抱かれつづけた身体もいとわしく、最近ではいつ死んでもよいとさえ思っていたのです。 いいえ、こんな姿をローウェン公に見られただけで、死ぬには十分な理由です。ルナは、精一杯の力で身体を動かして、窓から下に落ちようとしました。 「ルナ――ッ」 間一髪で、ローウェン公はルナの細い手首を掴み、その身体を引き戻しました。 髪を振り乱して身を捩るルナを抱きしめながら、ローウェン公は苦しげに言いました。 「このままでは、王が、死んでしまう」 ルナの動きがピタリと止まります。 それは、あまりに不吉すぎて、決して口に出してはいけない言葉でした。 けれども、ローウェン公は、ルナに全てを話します。 シルヴィのために衰弱した王様が、今、深い後悔とともに、ルナを求めていることを。 明日をも知れぬ命の王様が、夢とうつつの狭間で、ただひたすらにルナの名を呼びつづけていることを。ルナに会えば、また元気を取り戻すかもしれない。それが、自分たち最後の望みの綱なのだと。 王様―――ルナは、心で叫びます。 ローウェン公の言葉に、その場に膝をつき泣き崩れますが、ルナの美しい唇からは、嗚咽の一つも零れないのでした。 王様を想って泣く声すら、今の自分は持っていない。 そのことに、ルナはまた酷く悲しくなり、大きく身体を震わせ、静かに泣き続けました。 * * * 「王よ。ルナです。ルナが戻ってまいりました」 ローウェン公の呼びかけに、王様はゆっくりと目を開けました。長い睫毛が二、三度瞬きをして、ルナの姿を認めると、大きく見開かれました。 「ルナ」 腕を伸ばすと、ルナの手がその手を包みます。 ルナは、王様も酷くやつれてしまったと感じて、ぽろぽろと涙を零しました。 「ルナ……戻ってきてくれたのか。私が悪かった。許して欲しい」 王様の言葉に、ルナはただこっくりと頷きます。 黙ったままのルナに、王様は訊ねました。 「ルナ……どうしたのだ。何故、黙っている?」 ルナは、醜い傷を王様に見せたくなくて、白い喉にスカーフを巻いて隠していたのでした。 王様は、ルナの指先に口づけながら、哀願するように囁きます。 「お願いだ、また、お前の美しい声を聴かせておくれ。私の名を呼んでくれ」 ルナは苦しそうに眉根を寄せて、王様を見つめます。王様は、悲しそうな顔をしました。 「まだ、私のことを怒っているのか……」 「いえ……実は、王よ」 ローウェン公が口を開きかけた時、ルナはその先を手で制して、徐に喉のスカーフを外しました。 白い喉を切り裂いた、赤い傷が目に飛び込んで、王様は一瞬のうちに理解しました。 自分の愚かさゆえに、失ってしまったものの大きさも―――。 「ルナ……」 王様は身体を起こしました。 ルナが慌ててその身体を支えます。 王様は、そのルナの頬に手をやり、そのまま喉へと指を滑らせました。赤い傷をゆっくりとなぞって、唇を近づけ、そっと口づけると、ルナは小さく仰け反って睫毛を震わせました。 「ルナ……私の可愛いナイチンゲール」 王様は、囁きます。 「たとえ、その声を失おうとも、私の夜啼鳥は、おまえ一人だ」 ルナは、声にならない喘ぎをもらします。 「これから、ずっとそばにいて欲しい」 王様の言葉にルナは涙の粒を零しながら頷くと、両手を王様の背中に廻して、優しく抱きしめました。 王様はうっとりと目を閉じて、その暖かい温もりにルナの声を聴きました。 『王様、レオンハルトさま、私の王様』 ローウェン公は、微笑んで、そっと部屋から出て行きました。 それから間もなく、王様は以前のように元気になり、そして、前以上に立派な王となったそうです。ルナは声を取り戻すことはありませんでしたが、ずっと幸せでした。 そうそう、大臣のランド卿は、王様により追放されたそうです。 めでたし、めでたし。 |
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