最終回《さよならダロムワン》


「陽、大変だ」
朝の通学の途上、氷川が真剣な顔で走ってきた。
「どうしたんだ?」
俺は、面白そうに目を細めた。
慌てる氷川というのは、普段あまり見ないので、結構新鮮なのだ。
「ダロムの声が聴こえなくなった」
「え?」

そのまま、俺たちは教室に行くのをやめて、人気の無い旧体育館裏の草むらに並んで座った。氷川の青褪めた横顔。膝を抱えた様子が痛々しい。
こんな氷川を見るのは初めてで、俺の胸も苦しくなる。
「声が聴こえなくなったって?」
「ああ」
「えーと、そういうのって、初めてなのか?」
自分でも間が抜けていると思う質問だ。
「ああ」
氷川は、地面をきつく睨んで親指の爪を噛む。
「…………」
どう言っていいのか、わからない。
じっと見つめていると、氷川はポツリと言った。
「もの心ついてからずっと、毎日聴こえていた声なんだ……」
「そんなに小さいときから?」
「小学五年から」
氷川、もの心ついたの遅かったんだな……

「それが、この三日間、ぱったり、まったく聴こえない」
三日間というと、俺たちが、あのおかまとぴょん吉(別名ルゲ吉)に会って以来か。
俺はふと、頭に浮かんだ疑問を口にした。
「それじゃ、ダロムワンの変身もできなくなったのかな」
「え?」
氷川は、今気がついたというように、目を見開いて俺を見た。
「そう、なの、かな」
氷川が俺を見て、唇を震わせる。
俺は、だまってその唇に口づけた。

「ん……んっ…ん」
歯列を割って舌を絡ませ、互いの唾液を取り替える。頭の芯はクラクラとしたが、ダロムワンに変身する気配は無かった。氷川とこんなに長く口づけしたのは初めてで、正直俺は嬉しかった。
このときの、氷川の気持ちにも気づかず、俺はただ氷川の唇を貪った。
「んっ、ん」
苦しい息が、鼻から甘い喘ぎとなって漏れる、その自分の声にすらひどく興奮した。
氷川の首の後ろに手を廻して、より深く舌が絡まるようにかみ合うように、強く唇を重ねた。
そのとき、頭上から声がした。
「君たち、何をしている」
はっとして唇を離し、見上げると、教頭の姿があった。

* * *
「いったい、君たちは……授業にも出ず、あんなところで……」
校長室に連行された俺たちは、顔を真っ赤にしてブツブツ繰り返す教頭と、教頭の報告を受けて困ったようにじっと腕を組んでいる校長の前に立たされている。
校長が重い口を開いた。
「何故、そんなことを?」
何故って言われても応えようが無い。
悪い事をした生徒には、叱る前に必ず理由を聞けという教育者のセオリーだろうか。
(ダロムワンに変身できるか試してみて、そのうち発情してしまいました)
はっきり言えたら、楽だろうけど、信じてもらえないよな。
俺たちが黙っていると、教頭が口火を切った。
「とにかく、保護者の方に来てもらうことにしよう」
「えええっ?」
教頭の言葉に俺は焦った。何故って、うちの親父と来たらとても昭和生まれとは思えない、ってだからといって平成生まれってわけないぞ。当たり前。要は、明治、大正生まれに匹敵する硬い硬い頭の持ち主なのだ。
(呼び出しなんてくらったら……しかも、キス……)
俺が、赤くなったり青くなったり一人信号機状態しているのを見た氷川が、静かな声で言った。
「その必要は、ありません」
(氷川?)
「僕は、今日で学校をやめますから」
(氷川っ?!)
「あき、いえ、大地君には、今回の件は関係ありません。どうか、それで許してください」
「ひかわっ!」
俺は思わず、大声を出していた。


「待てよ、氷川っ。どういうことだよ、今の」
校長室を出て俺は氷川に詰め寄った。
氷川は、だまって歩いている。
俺はその前に回りこんだ。腕を掴んで、奴の目を見て叫ぶ。
「氷川っ!何とか言えよっ」
「……すまない、陽」
氷川が、俺の目を見つめる。今まで見たこともない、深く、暗く、けれども切ないほど優しい光と、強い意思を秘めた瞳。
「僕は、ダロムの声を探さないといけない」
氷川の言葉に、俺は激しいショックを受けた。
「さ、探す、って…どうやっ、て?」
「わからない」
「氷川……」
「わからないけれど、探さないといけないんだ。僕はダロムの声を聴かないといけない男だ。もう一度声を取り戻すために……僕は旅にでる」
(ひかわ……そんな……)

* * *
次の日から、氷川は学校に来なかった。三鷹のマンションはモヌケの殻。
そして俺も、あまりの出来事に脱け殻のようになっていた。
氷川にとって、俺というのはそれだけの存在だったのか。ダロムワンになれなくなったら、なんの価値も無いのか。
―――――俺には氷川を引き止める力が無かった。
そう思うと、授業中でも泣けてきた。
「先生、大地君が泣いてまーす」
学級委員の杉本が、手を上げる。
「うん、大根には玉ねぎと同じ成分が含まれているからね」
西条が近づいてきて、俺がかつら剥きにしていた大根を取り上げる。
「かつら剥きって言ったのに、ジャガイモの皮並みに厚く切っているな」
すすん、と俺がすすりあげると西条はニッコリ笑って、
「今日の放課後、特訓を命ずる」
と言った。
放課後、俺は調理実習室に来て、大根を洗った。普段ならこんな馬鹿馬鹿しい事に付き合ってなどいないが、氷川がいなくなって自暴自棄になっていたのだ。
「大地君と、白い大根……そそる」
西条が訳のわからないことを言っている。
俺は無視して、大根を7cm幅に輪切りにした。
「氷川君がいなくなって、そんなに寂しい?」
西条が俺の後ろから、腕を廻して胸の前で交差させる。どうでもいいが、かつら剥きの邪魔だ。
「西条、けがするぞ」
俺がぼそりと言うと、西条は俺の髪に顔を埋めてくぐもった声で言った。
「大地君と一緒なら、血を流すのも悪くない」
そのとき、俺の頭に血まみれになった自分の姿がうかんだ。
―――――氷川は、俺が死んだら、悲しんでくれるだろうか。

「わかった。死のう」
俺は、言った。たぶん目は据わっている。
「は?」
西条が、甲高い声を出す。
「お前たった今、一緒に死んでいいっていったよな」
「いや、そんなことは」
「男が一度言った事を取り消すな」
俺は持っていた包丁を突きつける。
別に自分一人で死んでも全然構わないのだが、西条が付き合ってくれるというなら、遠慮はしないぜ。
たぶん、俺の思考回路は、ショートしまくっていた。
やけくそになって振り回す俺の包丁を、西条は例の力で、空中で止める。
「うううっ」
目に見えない真剣白刃取りにつかまったように身動き取れない俺は、腕を震わせて、そしてがっくり膝をついた。
「うっ…ふっ…う……」
俺は、大声で泣いた。高校生にもなってこんな風に泣くのは恥ずかしいとかそんなこと考える理性などとうになくなっている。
ただただ、悲しくて泣いた。
実習室の床にうずくまって泣く俺の横に、西条はしゃがんで座ると、黙って背中をさすってくれた。

そしてそこに窓ガラスの割れる大きな音がして、叫び声がした。
「そこまでだ!西条っ」
(え?!)
懐かしい声。俺は驚いて顔を上げた。
実習室の窓を蹴破って、夕陽を背にした氷川が立っている。
「ひ、かわ……」
俺も西条も呆然と見上げた。
氷川は、変わらぬ美しい顔で凛とした声を張り上げる。
「ちょっと人が出掛けている間に、陽に手を出そうなどと、不届き千万」
氷川、何で?
あれだけ流れていた涙が、すうっと引いていった。
「陽、大丈夫か?」
氷川が床にへたり込んでいる俺の手を取る。
俺の肩を抱いて、西条を睨みつける。
「あの変態に何をされたんだ?」
(いや、何と言われても、何も……)
西条は唖然と、俺たちを見ている。
「涙のあと?」
氷川が俺の顔を見てはっとする。
「やっぱり、あいつにまた襲われていたんだな」
悔しそうに唇を噛む。
俺は、氷川がいなくなった事に大泣きしたというのがたまらなく恥ずかしくなって、ちらりと西条を見て、小さくうなずいた。
(すまん、西条)
「ちょっと、何それっ」
西条が、声を裏返して叫んだ。

「やっぱり、お前は生かしておけないっ」
氷川が西条に指を突きつける。その氷川に抱きしめられた俺は、こくこくうなずく。
(許せ、西条)
なんだかよくわからないが、今、ここに氷川がいる以上、氷川に捨てられたと思って包丁振り回した過去(すでに過去)は、抹殺したいのだ。
(ここはひとつ、死んでくれ)
西条は、信じられないといった顔で、げっそりと俺を見ている。
氷川が、俺の顔を両手でつつむと、情熱的に唇を重ねてきた。
「あ、ひか……んんっ」
言葉ごと吸い取られて、俺は懐かしい氷川の唇に酔った。

そして、次の瞬間、今まで以上に身体が熱く燃え、そして激しい閃光が輝いた。

「氷川……ダロムの声、戻ったのか」
「ああ」
「どうやって?」
「というか、実は十年に一度のメンテナンス期間だったらしくて。ま、あの間、サーバーダウンみたいなものだったんだね」
「は?」
「お知らせ来てたらしいんだけど」
はははと笑う氷川。
なんじゃ、そらぁ。
「おかげで、よりパワーアップして帰ってきたんだよ」
という氷川の言葉で、ふと気づくと掃除おばさんのビニール手袋のような手が、今までのただの銀色だけでなく、青や赤で模様が入っている。
「ダロムワン、だよな」
「いや、リニューアルしてよりパワーアップしたダロムワンNEO」
「ひ?」
「略してダロムネオだ!」
二文字しか略してないけどな、と笑う氷川。
俺は、目の前の西条をどうこうするよりも、とにかく無性に気になって駆け出した。

実習室から一番ちかいトイレに駆け込んで、鏡を覗いて……
俺は、気を失った。




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