《番外編》 「ここも開けるのか」 強が眉をへの字に寄せながら、春日を見上げる。春日はその整った顔をほんの少し顰めて、 「しかたないだろう。大掃除だ、って言ってるんだから」 古い扉をぎぎぎっと鳴らして押し開けた。 百万石寮の開かずの部屋。 強たちが入っている寮は、最近建て直しされた新しい寮棟になっているが、その離れには、昔ながらの建物が残っていて、その一階の奥にそれはあった。 「真っ暗だぜ」 中を覗き込んで強が言う。 「何で、窓がないんだ?」 春日は、じっと強の顔を見て、思わせぶりに睫毛を伏せた。 「な、なんだよっ、春日、何か知ってんなら言えよ」 「いや……」 春日は自分の唇に細く長い指を当てて、何か考える風にしていたが、 「知らない方が良いこともあるからね」 わざとらしく首を振った。 「なんだよっ、それっ」 「まあまあ、とにかく中のモノを運び出そう」 用意していた軍手を強に放り投げて、自分もマスクをつけた。 * * * 王様沢木の提案――というより強制実行――で、百万石学園はこの土曜日に大掃除をしている。校舎も寮も全生徒参加で、上を下への大騒ぎ。 来週の日曜日に行われる体育大会のフィナーレで、もう一度ファイヤーストームをやるために燃えるゴミを集めているのだ。ついでに燃えないゴミは、業者に持っていかせる。 理事長前田利彦は大喜びである。 「さすがは、近年まれに見る統率力を持った生徒会だ。私も、いつかどこかでやらなくてはと思っていたのだが、なかなか私たちからは頼みづらいものでねぇ」 各校舎を廻りながら、嬉しそうに目を細めた。 さすがの理事長も、その生徒会の統率力の裏に沢木のスケベ心が潜んでいるとは、知るよしもなかった。 「あっくん、この部屋どうするの?」 百万石学園の通称座敷牢こと反省室。 旧体育館のならびにあるそれは、前理事長の時代には、確かに使用されていた。 さすがに前近代的であるとして、ここ十数年は使用されていない。 取り壊しの話も出たのだが、実際に業者が入って取り壊そうとすると何故か、怪我人が出たり天災が起きたりで、結局旧体育館とセットで放置されている。 「大掃除だから、とりあえず開けてみよう。綺麗にしてやるのに祟られはしないだろう」 沢木は平然と扉に手をかけた。 「た、祟りって?」 泉がびっくりして、声を裏返した。 今年入学した――その上世間の話に疎い――泉は、この反省室のいわれを知らなかった。 「ああ、泉は知らないのか」 沢木が、ニヤッと笑って泉に話し始めた。 今を去る事、数十年か十数年前。 「この辺、いいかげんだけどな」 百万石学園に、一人の教師が赴任してきた。 とても綺麗な上に心優しい先生だったので、あっという間に生徒達の人気者になった。 そして、その当時三年生だった一人の生徒は、その教師に本気で恋をしてしまったということだ。 「本気で、って、先生なのに?」 泉が首をかしげる。 「ああ」 「ずい分、年上だったんでしょう」 「だろうけど、愛があれば歳の差なんてって、ところだろう。もっとも、その教師の方に愛があったかどうかはわからないけどな」 「どういうこと?」 「つまり、生徒の方は、本気で先生を好きになって、猛烈に求愛したんだけど、その教師の方は、それに応えられなくて、拒絶したらしい」 「ヒトヅマだったとか?」 「いや……」 沢木は、チラッと泉を見て 「言い忘れていたけど、その教師も男だったから」 「あ……そうなの」 * * * 「げほげほげほげほげほっ」 「大丈夫か?強」 「大丈夫じゃねえよっ」 涙目で強が応える。 「強、マスクするときは、ちゃんと口と鼻両方隠さないと。口だけ隠して、鼻で息していたら意味ないだろう」 美しい顔を半分隠して、春日が目で笑う。マスクの下からくぐもった声を出して 「とにかく、一回外に出よう」 強の背中を押した。 「ぷはー―――――っ」 開かずの部屋から出て、強は大きく深呼吸をした。 廊下には、部屋から運び出した文机や、本棚、よくわからないダンボールの山々や紙類が積みあがっている。 「窓が無いから、埃が出ていかねえっ」 強がむっとして叫ぶ。春日は微笑んで応える。 「俺のせいじゃないよ」 「わかってるよっ」 埃だらけの軍手で、マスクを外して鼻の下を擦ると、強の顔に泥棒ひげのようなあとがついた。 ぷぷっと春日が吹き出す。 「なんだよっ」 キッと睨んで、強は「あっ」と呟いた。そういえば、さっきはぐらかされた話があった。 「なあ、さっき言いかけていたこと、なんなんだよ」 「え?」 春日が笑いを押し殺して、強の顔を見る。 「知らない方がいいこと、とか何とか言ってたじゃねえか」 「ああ……」 * * * 「それで、その先生は、自分が男だからその生徒の想いに応えられなかったの?」 泉が淋しそうに呟いた。 直ぐに涙ぐむ泉が可愛くて、沢木はその身体を抱き寄せる。 「今とは違う時代だからな。男同士というだけで、大きな障害だったんだろ」 自分はそんな障害など物ともしないという、自信たっぷりの表情で沢木が笑う。 泉は、そっと沢木の胸に顔を寄せた。 「そして、その生徒は思いつめて、自殺をしたらしい」 「ええ?」 泉が、沢木の胸に張り付いたまま顔を上げる。 「死んじゃったの?」 また、うるうると瞳が潤む。沢木は端整な顔で、真面目に頷く。 「うん。それ以来、この座敷牢、じゃなくて反省室にその生徒の霊が出るという噂があって、次第にここが使われなくなったということだよ」 「あっくんっ」 半べそをかいてしがみ付いてくる泉に、密かに目じりを下げながら、沢木はその華奢な身体をぎゅっと抱きしめる。 「怖くないよ。俺が付いているだろ」 怖がらせる魂胆ありありで話をしたのだが、こんなに素直に反応してくれるとかなり嬉しい。 「あのお……」 抱き合う沢木と泉の後ろから、酷くすまなそうな声がした。 児島を始めとした自宅通学の生徒会役員が、旧体育館の壁に張り付くように、様子を窺っている。 「反省室のゴミ出しは、お二人だけじゃ無理だと思って来たんですけど……」 お邪魔でしたかと、言外に匂わす児島。 「あー」 沢木は不機嫌そうに眉間にしわを寄せながら、それでも泉の細腕では力仕事は無理だと判断して、 「宜しく頼む」 素直に、扉の前から退いた。 時代を感じさせる両開きの扉を、児島ともう一人の役員が力を込めて開けた。 薄暗い部屋に、何年いや、何十年かぶりの光が差し込んだ。 * * * 「え―――――――っ」 強が眼を見開いて叫ぶ。 「じゃ、その先生に失恋した生徒ってのが、この部屋に住んでいたのかよ」 「そうそう」 「どおりで、なんだか不気味な感じがしたぜ」 ぷっ、強の言葉に春日がまた吹き出す。 「よく言うよ。埃臭いって騒いでいただけじゃないか」 「ちっ」 強がムキになる。 「違うっ、その埃臭さの中に、なんだか薄気味悪いものを感じたんでいっ」 興奮して江戸っ子。 「そ、それで、その生徒の幽霊が出るから、この部屋は開かずの部屋になったのか?」 「いや、その生徒じゃなくてね……」 春日は持っていたハンカチで強の泥棒ひげを消しながら話を続ける。 「その生徒が自殺して何年かたって……この部屋は普通に使われていたんだけどね、ある時から窓の外に、男の幽霊が出るようになって」 「ま、窓って、ねえじゃん」 「だから、幽霊が出るようになって、ふさいだんだよ。不気味だろ、窓に張り付くように男の幽霊が立ってるって」 「ひえ、それって、本当に幽霊なのか?一階だし、誰かストーカーが覗いていたとか」 「ま、それも考えられるけどね」 じゃあ、さっきの『どおりで、不気味な感じ』は何だったんだと、強の言葉に笑いをかみ殺す春日。 「どっちにしろ、この部屋になった生徒があんまり怯えるんで、窓もふさいで物置にしてしまったんだけど、そのうち誰も近づかなくなって開かずの間になったのさ」 「ふうん」 改めて部屋を覗き込む強。 「怖くなった?」 春日が微笑むと、強はケッと笑って 「まさかっ」 わざとらしく肩をいからせて中に入っていった。 荷物が運び出された突き当りには大きな棚が置いてあり、確かにその後ろには窓がありそうだ。 「よし、何年ぶりかに開けてやろうぜ、ここ……来いよ、春日っ」 強が振り返って呼びかけるので、春日もやれやれと呟きながら、いつもの微笑を浮かべて近づいて行った。 「せーのっ」 棚を動かして、その後ろにあったボロボロのカーテンらしきものを退けると、窓がある。 強が、力を込めて開けた瞬間、眩しい光が差し込む。 「あっ」 強が短い叫びを上げて、倒れた。 * * * 「かび臭いーっ」 児島の悲鳴。 泉は怯えて近寄らない。 沢木は、ぽんぽんと泉の背中を軽く叩いて、扉の中に向かった。 俺様沢木は、どんな時にも一番でないと気がすまないのだ。 誰よりも先に、真っ直ぐ中に入って行く。 部屋の真ん中まで進んだときに、背中にゾクリとした悪寒が走り、次の瞬間身体が崩れていた。 「副会長?」 誰かが叫んだ。 扉の外で、泉も叫んだ。 「あっくん?!」 * * * 「強、大丈夫か」 春日が助け起こすと、強はぼんやりした顔で辺りを見渡した。 「ヨシヒロ、どこ?」 「は?」 「ヨシヒロ」 強はふらりと立ち上がると、何かを捜す様子で歩き始めた。 「強、何の冗談だ?」 春日が眉を顰める。 強は、春日の顔に手を伸ばして 「ヨシヒロ……」 呟いたが、ふいっと踵を返した。 「違う……ヨシヒロ……どこだ……」 「強?」 さすがに、春日も不気味になって声を荒げた。 「どうした、おい」 強の両肩を掴んだ瞬間、強の瞳が見開かれた。 「ヨシヒロ!」 強は大声で叫ぶと、この世のものとは思えない力で春日を振り払い、駆け出した。 「強っ?!」 投げ倒されて、一瞬唖然としそうになった春日だが、慌てて立ち上がって後を追う。 * * * 「あっくん、大丈夫」 泉が怖さも忘れて駆け寄る。その場にいた生徒会役員もわらわらと集まった中で、沢木はゆらりと立ち上がると、低い声で呟いた。 「先生……」 その瞬間、座敷牢の中に、生暖かいのに薄ら寒いという妙な風が吹いた。 「先生……」 沢木がもう一度呟いて、ふらふらと扉の外に向かう。 その足取りも、表情も、あまりに普段の沢木と違うために酷く不気味だ。 「副会長、どうしたんですか?」 児島が震える声を出す。 「あっくん」 泉も青褪めている。恐怖が勝るためか、まだ涙は出ていない。 そこに、強が走って来た。その後ろには、春日の姿。 「ヨシヒロ」 「先生っ」 強と沢木がガシッと抱き合って、周囲から悲鳴が起きた。 「あっくんっ、どうしたのっ」 「強っ、しっかりしろっ」 泉と春日の声も届いていない二人は、長年離れ離れになっていた恋人同士のように――実際そうなのだろう――きつく抱き合っている。 「先生、会いたかった」 あろうことか、沢木の目から涙。生徒会役員一同が怯えて固まっている。 強も泣きながら、跪く沢木の頭を抱く。 「ヨシヒロ、私が悪かった、許してくれ」 「……ずっと、待っていたんです、ここで……初めて先生と結ばれたこの部屋で」 ひいいいっ!!沢木の言葉に、生徒会役員一同、白目をむきかける。 「すまない、ヨシヒロ。私も、君を捜して、ずっと部屋の前に……」 強の両手が、沢木の顔を包む。 「私が、弱かったのだ。君とのことを両親に反対されて……」 「先生っ」 開かずの間伝説の二人が甦ってしまったのだと、動揺する一同の頭がようやく理解した。二人は相変わらず自分たちの世界に浸っている。 「でも、失って初めて知った……私には君だけだ」 「せん…」 「やめてえ―――っ」 まさに口づけようとした二人の間に、泉が飛び込んだ。 春日も、沢木から強を守るように抱きこんで、二人のキスの邪魔をする。 「なっ」 強が暴れる。 「しっかりしろっ、眼を覚ませっ、あれはお前の天敵沢木だぞっ」 天敵かどうかはともかく、意識が戻って沢木とキスしたと知れたら、強が大騒ぎするのは目に見えている。そして、それは沢木も同じだろう。 「あっくん、しっかりしてぇ」 泉がべしょべしょと泣きながらすがる。 「離せっ」 「やっ……あっくんっ」 普段なら、直ぐに抱きしめてくれる沢木が、今は泉を突き飛ばし、強を抱こうとしている。 「いやだあ!!あっくう――――んっっ!!」 悲痛な叫びが百万石学園の空にこだまする。山はないけど、こだましたのだ。 春日も、強を羽交い絞めにしたが、霊の強さにはかなわない、振り払われてこっちも叫ぶ。 「強っ、このっ、バカヤロー!!」 美貌の生徒会長の『バカヤロー』は、役員一同初めて聞いた。こんな時なのに、感動した。 そして、沢木と強――ヨシヒロとかいう生徒と先生――は、思いの丈のこもった口づけをかわし、そして満足そうにお互いの瞳を見つめ合った。 次の瞬間、どうっと倒れた。 「あ、あっ、くん」 えぐえぐと泣きじゃくる泉。 「強……」 春日が自分の額に落ちかかる髪をかき上げながら、二人を見つめて呟く。 倒れていた沢木が、むくりと起き上がった。 強も、 「いたたた……」 頭を押さえて、起き上がる。 「何だ?頭、いてえ……」 「何が、あったんだ?」 沢木も、端整な顔を不審げに歪めて、周囲を見渡す。 だれも、答えられない。 ふと、泉が泣いているのに気づいて、沢木が慌てて駆け寄る。 「泉、どうした?」 ふるふるふると泉は震えた。さっきは突き飛ばされたのだ。そして、自分の目の前で沢木は、強と濃厚なキスをしたのだ。 「あっくんの、バカあ――――――――――っ」 泉が駆け出す。 「は?」 沢木は呆然として、春日を振り返った。 強も、きょとんと春日を見上げる。 春日は大きく溜息をついて、真実を告げる役が自分なのかと、肩を落とした。 |
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