永禄三年。
駿河、遠江、三河の太守今川義元が、二万五千の兵を連れ上洛を志した。
掛川、浜松、吉田と進んだ今川軍は織田信長の領地である尾張の沓掛城に入城し、両雄の対決は目の前に迫っていた。

「お屋形様。黙っておられてはわかりませぬ」
「どうぞ、ご決断を」
「……何を、言えだと?」
お屋形様と呼ばれたのは、尾張の織田信長。この時、二十六歳の若い城主であった。
その城主の左右には、佐久間信盛を始めとする織田家の重臣たちが、緊張した面持ちで集まっている。
「今川の軍は、今では三万とも四万とも聞き及びます。わが軍の十倍以上。戦っても勝ち目はございますまい。ここは篭城を」
林通勝が進言する。
「篭城して、どうする?」
信長の切れ長の瞳が、面白そうに細められた。
「相手の食料が底をつくまで持ちこたえます」
「なるほど」と、信長は薄い唇に笑みを浮かべる。その、篭城などと全く考えていない様子に重臣柴田勝家が
「戦うのであれば、すみやかに全軍を前線に展開させて、今川の軍に備えるべきでしょう」と、静かに進言した。
信長は、その柴田勝家をじっと見つめて、妖しく微笑むと徐に立ち上がった。
「もう、夜もふけた。皆、休め」
チラリと勝家を見て
「権六は少し付き合え」と、部屋を出る。だまって後に続く勝家。
「お屋形様?!」
後に残された家臣達は、呆然と顔を見合わせる。
「運の尽きるときは、知恵の鏡も曇るというが、もはや織田家もこれまでよ」
老臣の一人がぽつりと言った。

「今ごろになって、軍議だなどと、あきれるわ」
信長が、着物を脱ぎ捨てながら吐き捨てる。
「みな、恐れているのです」
勝家がその着物を静かにとりあげ、寝所の隅にやる。
「お前も、恐ろしいか?権六」
引き締まった裸体を露わにした信長が、勝家の頬に手を伸ばす。挑戦的な瞳が妖しく燃えている。
勝家は、こういう顔をするときの信長が、如何されたがっているのかを良く心得ていた。
「私が恐ろしいのは、信長様だけ」
勝家の男らしい腕が、信長の身体を抱き寄せる。
「クッ、クククッ」
含み笑いの信長の唇を、勝家の口が噛み付くように吸い上げた。
そのまま、舌を差し込むと荒々しく口内を蹂躙する。
「んっ、ん」
信長の舌も差し込まれ、互いに強く貪りあい、飲みきれない唾液が、信長の喉を濡らす。
勝家の舌が唇から喉に、そして鎖骨へと下りていく。舌が乳首に触れると信長は大きく身体を逸らし両手で勝家の頭を抱き寄せ自分の胸に強く押し付けた。
(きつくされたがっている)
勝家は信長の胸の突起に歯を立てた。
「うっ」
信長の喉が仰け反り、下半身の雄が跳ね上がる。
勝家は、指でもう片方の乳首をギリギリとつまむように捻り、爪の先で擦りあげる。
「そ、うだ、権六……もっと…強く」
信長が掠れた声を出す。
「信長様」
(もっと、もっとだ……ああっ……そして、私を……この、私を……)
苦しいほどの快感に身を委ねようとする信長の耳に、雨音が聞こえてきた。
(……あの日も、雨だった)
閉じた瞳の闇の中に、白い顔が浮かぶ。

『そなたが、尾張の吉法師か。うつけの振りは、楽しいか』


天文十八年。信長が元服をした三年後。岡崎の松平広忠が亡くなったのを機に、今川義元は織田家が侵略していた三河の攻略に乗り出した。今川家屈指の天才軍師、太原雪斎の働きにより、織田家は大敗をきし、信長の兄信広が人質となった。
「今川家からの書状にございます」
当時の織田家城主織田信秀の元に早馬が運んできた手紙は、信秀の予想もせぬ内容だった。
「信広と信長の人質交換と?」
今川家から奪った松平家の竹千代との交換だとばかり考えていた信秀にとって、この申し出にはいったいどういう意味があるのか、全くわからなかった。
「織田家の嫡男を人質によこせとは」

信広は正室の子ではない。自分の後は信長が継ぐことになっている。信秀はこの申し出を受けかねた。しかしながら、その話を積極的に聞き入れたのが他ならぬ信長の母親、土田御前だった。
「良いではありませぬか、私たちにはまだ信行がおります。この時期に、今川と事を構えるのは、織田家を滅ぼすようなもの。その申し出、受けましょうぞ」
土田御前は、元々うつけと呼ばれる奇行の多い信長を嫌っており、弟の信行を溺愛していた。できれば、家督も信行に継がせたいと思っており、今回の話は渡りに船。
こうして、十五歳の信長は今川義元の居城、駿河へと連れて行かれた。


信長は、広い部屋に一人で座らされていた。当然、次の間には、今川家の家臣と尾張から付き添ってきた織田家の家臣が睨みあって控えているのだが。義元との謁見の場には他の誰も同席しなかった。
信長は、さすがに普段の茶筅結びに湯帷子といういでたちではなかったが、うつけものの呼称にふさわしく胡座をかいて、だらりと座っていた。武士の子らしい生真面目さなどどこにも見せずに。
ふと気が付くと、目の前の御簾に人の気配がする。
自分からは見えないが、じっと目を凝らすと、くぐもった笑いが聞こえた。
「御簾を上げよ」
少し低めの優雅な声が響いた。するすると目の前の御簾が上がり、次第に見える高貴な衣装の上に、女性のような白い顔が覗く。京の公家のように化粧をしているのか、唇が血のように赤い。その唇を歪めて笑うとその顔が言った。
「そなたが、尾張の吉法師か。うつけの振りは、楽しいか?」

瞬間、信長の背中にびりっと電流が走った。理由はわからない。元服して三年もたつのに幼名で呼ばれたこと、『うつけ』が振りであると言い当てられたこと、男のその声の響きも、おそらくその全てが衝撃となって、信長の身体を震わせた。
そんな自分が、不甲斐なくて、信長はあえてきつく目の前の男、今川義元を睨み返した。
義元は自分を見返す信長の顔をじっと見て、面白そうに目を細めると、ゆっくりと立ち上がった。
座っている信長の目の前まで降りてきて、手にしていた扇の先で信長の顎を軽く持ち上げ、信長の目を覗き込み、赤い唇の端をにっこりと持ち上げて言った。
「身が、義元じゃ」
それだけいうと、後ろを振り返り
「信長殿を、部屋へ案内せい」と、静かに部屋を出て行った。
人質としての謁見がこんなに簡単に終ってしまうとは、信長は虚を衝かれたようにその場に勃然と取り残された。
義元の小姓が、呼びかける声もしばらく耳に入らなかった。

城の最奥にある瀟洒な部屋が、信長のあてがわれた部屋であった。広くも無く狭くも無く、人質としての身にはちょうど良いと信長は思った。
(この部屋でいつまで過ごすことになるのか)
父、信秀に何かあったときには、自分が織田家嫡男として後を継ぐ事にかわりは無いはずだ。守役の平手政秀もそう言ってくれた。気になるのは、母土田御前と弟信行だが。
今回の件にしても、腹が立つ。自分が無事に尾張に戻ったあかつきには
(あの二人、殺してくれよう)
瞳の奥に薄暗い炎を燃やす信長。十五歳の少年のものとは思えぬ瞳であった。
そのとき、次の部屋の襖が開いた音がした。
信長が振り返って見ると、目の前の襖も静かに開いた。梅の枝の描かれた美麗な襖を割って入ってきたのは、今川義元その人。
女性的な美しい顔に紅い唇。
「義元、さま」
突然のことに、信長は動揺した。うつけの振りも忘れている。
義元の後ろで小姓が静かに襖を閉める。義元はゆっくりと信長に近づき、黙ってその頬に両手を当てると、座ったまま呆然と見上げている信長の口を吸った。
「なっ、何を」
あわてて、振りほどこうとする信長をそのまま床に押さえつけ、義元は面白そうに笑って、再び口づける。
「織田家の嫡男は、さすがに小姓の経験は無いか。もっとも、うつけのお前を抱きたいなどというものもおらなんだか」
くすくすと笑いながら、瞳を覗き込む。
初め何が起きたのか、わからなかった信長だったが、義元のなそうとしていることに気づいて、思いっきり手をつっぱった。すると、義元は片手でその信長の両手をつかんで頭の上に押さえ込んだ。十五の年齢差ではまさに大人と子供。信長がどんなに抗っても両手はびくともしなかった。外見から受ける印象からは信じられない強い力。
(だれだ、義元は京文化にかぶれた軟弱大名などといっていたのはっ)
信長は、顔を背けながら、ギリギリと自分の唇を噛んで義元の侵入を拒んだ。義元はその信長の顎を掴むと両側から強い力で押さえつけ、苦しげに開いた歯間を割り、舌を滑り込ませた。
義元の舌が、信長の口腔を犯す。熱く生き物のように動く義元の舌が、逃げる信長の舌をからめ取りきつく吸い上げる。何度も、何度も。
「う…ん、ん……」
信長の眉が苦しげに顰められる。交じり合った唾液が喉に流れて、息が出来ない。
信長の抵抗が弱まったと感じた義元は、顎の手の力をゆるめて、ゆっくりと舌を信長の歯の裏に這わせようとした。
「うっ……」
慌てて、義元が身を起こした。口許を手で押さえて。
顎が自由になった信長が、義元の舌を噛み切ろうとしたのだ。
顎の動きで一瞬早く察した義元だったが、わずかに唇を噛み切られてしまった。
半分身体を起こして荒く息をつく信長が、虎のような目で義元を睨みつけている。
義元はその頬を力いっぱい打った。
びしっ
乾いた音が部屋中に響いた。
その物凄い力に、信長の身体は跳ね飛ばされ、床に倒れた。耳がキンとして何も聞こえない。口の中に血の味が広がった。
「うっ、ごふっ」
喉に異物を感じて咳き込むと、大量の血と一緒に、奥歯が一本欠けて出てきた。信長は、頬を腫らしたままそれを見つめる。
その様子を見た義元は、眉を顰めると次の間に向かって
「綺麗にしておけ」
と、一言残して立ち去っていった。
残された信長は、我が身に起こったことが信じられず、ただ両手をきつく握り締めた。真っ白になるまできつく。身体が小刻みに震えるのは、怒りなのか、怯えなのか。義元の小姓はそれに気づかぬ振りで、手早くその場を片付けた。

その夜、再び義元はやってきた。信長の身が竦む。
「しつけのなっていないうつけもの」
そう言って近づくと、信長の両手を背中に廻して縄で縛る。抵抗するが、義元の力の前には逆らいきれない。
「何をするんだ。やめろっ。放せっ」
身を捩って火を噴くようにさけぶが、義元は冷たく微笑んだまま。懐から猿轡を出すとそれを信長の口に噛ませた。
「なっ、うっ…ぐっ……」
「赤子のときに、乳母の乳首を噛み切ったとの評判を忘れておった。お前の舌を吸えんのは残念じゃが、しょうがあるまいの」
義元は薄く笑いながら、信長の着物をはだけていく。両手が後ろで縛られているので、着物は背中の下に敷かれたようになり、余計に信長の身体の自由を奪う。
「う、ううっ」
(やめろっ)
信長は屈辱に目じりに涙をためる。
その様子は、ますます義元の残酷な獣を呼び覚ましていく。
獲物を目の前にした猛獣のようにゆっくり自分の唇を湿らすと、その唇を信長の胸に落とす。
「ん……」
びくっと身をそらせた信長が、苦しげに眉を寄せて身を捩る。その乳首が固くく立ち上がったところをきつく吸い上げ、舌の先で強く擦ると、信長の下半身が反応したのが、身体を重ねている義元にもわかった。左手で、もう片方の乳首をもてあそびながら、右手を信長のそれに絡めると、信長はますます苦しげに身を捩る。顔がいやいやをするように左右に振られる。義元は、目に残酷な光を湛えると、信長のそれをぎりっと強く締め上げた。
「んぅうぅっ」
猿轡を割って悲痛な叫びが洩れる。信長の目じりから涙が一筋落ちた。
「さっきのお返しじゃ」
義元は、自分の唇を舐めて先ほどの血の味を思い出したように陶酔した眼差しを送る。
信長は、涙に潤んだ瞳で見返すが、その瞳のおくには、相変わらず虎のような激しい性格のままの光が消えていない。義元は嬉しそうに
「いい顔じゃ。その顔を思い切り泣かせてみたい」
と、低く囁いて、信長をうつ伏せにした。
「んんっ」
うつ伏せにされて、腰を高く持ち上げられた信長は、次に来るものを察し身を固くこわばらせる。義元は何の前技も無く、自身の猛り立ったものを信長の後ろにあてがって強く突き上げた。

(ああぁ―――――っ)

信長の声にならない悲鳴がほとばしる。
苦痛のため体中がびりびりと震え、信長は床に押し付けられた顔を擦りつけるようにして泣いた。部屋にわずかに血の匂いが拡がる。
義元は満足げに微笑むと、ゆっくりと腰を使った。義元の抜き差しのたびに信長から苦痛の声が洩れる。深く、浅く、繰り返されるそれは、信長には拷問以外の何ものでもなく、遠くなる意識の中で、早く解放されることを願った。しかしながらその責めは執拗に続き、信長もまた気を失うにいたらず、苦しみは夜通し続いた。


翌日、目覚めた信長は、体中が痛く、起き上がれなくなっている自分を知る。
(あんな格好で、夜通しヤラれたんだから、無理ない)
そっと両手をみると手首には縄の後がくっきりと残っている。それ以上に、下半身の痛みは酷かったが、何より傷つけられたのは武士の、織田家嫡男としての誇りだ。昨日の事を思い出すと、屈辱と怒りで目も眩む、信長は自分の唇を噛み破りそうになるほどきつくかみ締めた。
そして、その夜、再び義元がやって来る。
体中を痛めつけられている信長は、昨日以上に抵抗できずあっさり縛されると、昨日同様陵辱された。信長は固く猿轡をかみ締めて、声を出さないように耐え、目を見開いて苦痛に耐えた。義元はその様子もたいそう面白がり、その後この狂態は毎晩続けられた。


ある夜。
義元に弄ばれていた信長は、ふと、自分のしていることが馬鹿馬鹿しくなった。
自分は、最後の誇りで苦痛に耐え、感じないように努力し、それでも毎晩その姿で義元を喜ばせているのだ。
(いっそのこと誇りも何もかも捨てて、ただ流されてみたらどうだろう)
苦痛の為にかすむ頭で考えて、うっすらと目の前の男を見上げる。
義元は信長の両足を自分の肩に抱え上げるように肌を重ね、真正面から犯していたが、信長と目が合って少し驚いた。今まで、顔を背けて決して目を合わせようとしなかった信長のその瞳が、自分を見つめている。苦しげに顰められた眉の下の少年らしい美しい瞳。
見つめ合ったまま、義元は自分の白濁した液体を信長の中に放った。

次の夜。義元は、信長を縛らず、代わりにある事をほどこした。
部屋に入ってきた義元が、手に小さな壷を持っている。
「何ですか、それは」
毎夜のことに、気も荒んでいる信長はどこか投げやりに不審げに眉を寄せただけだった。けれども、義元の手が裾を割ってその壷の中のドロリとした練り物を自分の後ろに塗りこんだときは、恐ろしさに身を引いた。
その抵抗を軽く押さえて、義元はいつものように信長の後ろを指で蹂躙する。薬のようなものが信長の内襞に塗りこまれる。
信長は、体温が上がった気がした。
「何ですか、これは」
上気した顔で今度は責めるようにはっきりと同じことを問い掛けると、義元は
「緑鶯膏といって、本来女性用じゃが……」くっくっと喉で笑った。
「なっ」
驚きに目を瞠って義元の顔を見上げながら、信長は、自分の下半身が熱く疼いてくるのを感じた。
(なんだ。これは)
催淫の効果のある薬を直接塗りこまれ、信長は自分の身体が変化するのをその身で知った。
何もしていないのに自身が猛ってくる。それ以上に塗りこまれたそこが熱く、むず痒いような快感がせり上がってくる。体中の血が逆流するような感覚に、信長は自分の身体を抱きしめてころがった。
「もうしばらくすると我慢できなくなるぞ」
面白そうにそのさまを見つめた義元は、小姓に酒を運ばせ、そのまま座って見物することにした様子。
「あっ、あ……」
苦しげに信長の息が洩れる。頬が紅潮して、汗が滲んでいる。酷く艶めかしい顔。義元は、傍らの杯を取り上げ口に含みながら眺めている。
「はっ、ああっ」
信長の雄はもう我慢できないほど固くそそり立って震えている。身体を丸めてうつ伏せになると信長は、自分でそれを握り擦りあげた。
「ううっ」
催淫薬で酷く敏感になった身体は、あっけなくイッてしまったが、それでもまだおさまらない。
「着物を汚してしまったのう」
そう言って、義元は立ち上がって、信長の着物を肌蹴取って裸にした。
「やっ、う……」
やめろと抵抗するつもりが、その行為にすら、いかがわしく感じて反応してしまい、信長は身をちぢこませる。
「我慢せず、欲しゅうなったら言うてこよ」
義元の蛇のような目が、信長を見下ろす。
「あ、うっう…っ」
汗ばんだ顔でそれを見上げる信長の目には、以前の光は消えていた。
どれだけ、我慢しただろう。
信長は限界だった。自分の指で、後ろを掻きまわそうとするが、自身の猛った雄が邪魔をして上手くいかない。そうしているうちにも、自身の先は雫をしたたらせ、何度目かの絶頂を迎えそうになっている。
(助けて)
信長が、義元を見上げた。義元は待っていたかのように近づくと、掠れた声で囁いた。
「欲しい、と、入れてくれ、と、言い」
「あ……」
信長が潤んだ瞳でいやいやをする。誇りはとうに捨てていても、そのような言葉を口にするのは憚られた。
「言わぬとそのままじゃ」と、義元が赤い唇を歪めて囁く。
「ほ、しい」
信長の湿った唇から小さなつぶやきが洩れる。
「聞こえぬ」
意地悪く義元が見つめる。信長は耐え切れぬように唇を震わすと
「入れてください」と、小さく叫んだ。
義元は満足げに微笑んで、自身の裾を割って着衣のまま信長に覆い被さった。
義元の猛々しい物をくわえ込んで、信長は歓喜の声を上げる。
「ああっ、いいっ、あぁ―――っ」
義元の動きに合わせて、自分も腰を使い、さっきまで飢えていた穴を埋めるように淫らに腰を振る。
「ああっ、んんっ」
信長はもう、声を我慢することも無かった。大きく喉を逸らして、喘ぎつづける。
義元はその声に痺れながら信長の耳元で囁く。
「こんないい声で鳴いてくれるのなら、もっとはやく猿轡を取るべきであったの」
「義元さま……っ」


その夜から、信長は変わった。毎晩の義元の行為にも、自ら進んで身体を開き、むしろ楽しむようになっていった。性に未熟だった十五歳の少年が目覚めて快楽を貪る様を、義元はどこか暗い瞳で見つめつつ、それでもその身体に飽きることなく肌を重ねていった。


毎夜繰り返される行為のうちに、義元は、終った後もそのまま部屋で休んだり、杯を重ねたりするようになった。
ある夜、その義元に信長が訊ねた。
「義元様は、何故ゆえ私を人質にとろうとしたのです」
義元は、杯を口許に運びながら、ふと遠い目をしながら応えた。
「二年前、吉良の大浜城」
信長がはっと顔をあげる。
「そなたの初陣であったの」
「はい」
信長が頭を下げる。他ならぬ今川の軍との戦だった。
「わが今川の陣に次々火を放たれて、難儀したものじゃ」
ふふっと笑って言葉を続ける。
「そなたは、紅筋の頭巾に馬乗り羽織りも煌びやかで、颯爽とした若武者振りであった」
「そこに、居たのですか?」
まさか、今川の城主がそんな最前線に来ていたとは、織田方は全く知らなかった。
信じられないように目を見張る信長に向かって義元は一言。
「そのとき、欲しいと思った」
(欲しい?私を……?その時に……)
その言葉はひどく信長の心を打った。
(おそらく私も、そのような返事を期待して訊ねたのだ)


「信長。幸若を教えてやろう」
義元は突然、扇を持って立ち上がった。
朗々とした声で謡う。

 人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。
 ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか。

扇を垂直にかざして、静かに舞う義元の姿に、信長は見惚れた。
「『敦盛』じゃ、知っておるか」
舞い終わった義元が、優しく微笑む。
「いえ」と、信長が応えると、義元はその手を取って
「では、教えてやる。来よ」
そう言って抱き上げるように、自分の前に寄せると、信長の右手に扇を握らせてその上から自分の手を重ねて舞い始める。
信長は背中から抱かれたまま、ゆらゆらと義元の動きに合わせてついていく。

 たかだか人の命は五十年。天の悠久の流れに比べたら、幻のような  一瞬。
 生まれてきて死なぬものはおらず、ならばこの一瞬を……

信長はゆるゆると振り仰ぎ、義元を見つめた。義元も、信長を見つめている。そのまま、唇が重なり、信長の手から扇が落ちた。
深く熱い口づけの後、唇を離した義元が
「どうじゃ、舞えるか」
囁くように訊いて来た。
「いいえ、一人では舞えませぬ」
そう応えた信長は、自分の眼差しが、酷く媚びを含んでいることに気づいていた。


そして、数日後。信長は信じられない言葉を聞いて、驚愕に身体を震わせた。
「私を、尾張に返すと?」
「そなたと、竹千代の人質交換じゃ。信秀からの申し入れじゃが」
「そんなっ」
信長の顔が青ざめる。それを無表情に眺めながら義元は
「人質が国に帰れるのじゃ。うれしかろう」
と、冷たく言い放った。
「そ、それは……」
信長はうつむいて唇を噛んだ。
握る両手が瘧のように震える。
あれから、自分は肌を重ねるたびに、義元に惹かれている。人質の身として、許されぬことかもしれないが、それでも義元に愛情を感じてしまっている。義元はそうではなかったのか。義元にとっては、自分はやはりただの一時の慰み者だったのか。
頭の中が、真っ白になっていく。貧血のように、思わずよろけて膝をつく信長に手を差し伸べることも無く、義元は部屋を出て行った。
「出立は明日じゃ」


自室に戻り、庭に降りしきる雨を眺めながら、義元は信長のことを考えていた。
「明日も雨では、難儀するの」
信長が人質として駿河に来てから、三ヶ月あまり。その間の信長の変貌には目を見張るものがあった。
(十五歳の子供じゃ。順応性は高かろう)
くっ、と義元は自嘲気味に笑った。順応させたのは自分ではないかと。
そして、その子供に本気で惹かれている自分にも苦笑する。
(あれは、織田の嫡男だ。私が上洛するためには、絶対に滅さねばならぬ尾張の)
今川が上洛するには、三河から尾張を攻略するか、美濃を攻めるしかないが、直接美濃の斎藤道三に向かうのは狂気の沙汰。織田を滅して斎藤と渡り合うのが理にかなっている。そして、三河を完全に自分の物にするためにも松平の嫡男竹千代を人質に取るのが正しい。
そう思っても、義元は、信長を尾張に帰すことに躊躇う自分を感じている。
(初めは、たしかに、面白半分で弄ぶつもりだったのじゃ)
それが、肌を重ねるうちに愛情を感じるようになったとき、義元は選択せねばならなくなった。
このまま信長を手元において織田と講和を結び、上洛の夢を諦めるか。今まで築いた武田との関係も失うやもしれぬ危険を冒して。
それとも、深みにはまる前に信長を切り捨てるか。
(もう、深みにはまっているようなものじゃが)
信長の、絶頂を迎えるときの切なげな顔を思い出して、義元は眉を曇らせた。
(信長……)


結局、義元は戦国大名だった。
信長を尾張に帰し、竹千代を手に入れ、三河を完全に自分のものにしてから、織田を攻める。ここ何年も繰り返されてきた戦いが、上洛の夢が、ここで断ち切られるということはありえない。

信長出立の日、義元は最上の美装を施して信長を送り出した。
昨夜からの雨は降り続いている。雨の中馬に乗る信長は、初陣のときの凛々しさに加えて、凄味のある色気まであり、見るものを奮わせた。
「三河で、織田が待っておろう」
今川の武将に取り囲まれた信長に、義元はそれだけしか声をかけなかった。
信長の瞳が燃えた。あらん限りの罵声と、縋りつきたい情と、全てを飲み込んで炎とかえた瞳が義元に激しく突き刺さる。
そうして、義元は知った。
(これが、信長じゃ)
はじめて、信長を知った彼の初陣の日。自分はその激しい瞳に惹かれた。弄ぶつもりが夢中になったのも、あの虎のような目の光に心奪われたのだ。いつしか愛情に目が眩んで、虎の牙を折ってしまったことにも気づかぬ振りをしていたが。
(虎はよみがえって、野に放たれた)
言い知れぬ感動に、義元は踵を返すと奥に戻る。
(今度会うときは、戦場じゃ)
義元が立ち去るのを確認して、信長は馬の腹を蹴った。あわてて、今川の武将が続く。

雨に頬を打たれながら、信長は人知れぬ涙を流す。
「憎い。憎いっ。義元っ……義元っ」
なんども繰り返し呟く。愛しい男の名を。





「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり……」
勝家の胸に抱かれて、信長が小さく謡う。
「信長様?」
勝家がその顔を覗き込む。
信長は、ゆっくり身を起こして
「権六、出陣だ」と、呟いた。
「今から?」
慌てて、起き上がる勝家。
信長は手早く着物をまとうと
「そうだ。螺を吹け、具足をよこせっ」
部屋を飛び出し、佐脇藤八郎、加藤弥三郎らの側近をたたき起こす。
「出陣だ!今川義元を桶狭間で討つ」
「はっ」
信長に従ったのは側近の五騎。
「狙うは、義元の首のみっ。他のものには目もくれるな。義元だけでいい」
いつかの日と同じように信長の頬に雨が突き刺さる。


「今川義元の首、取りましてございます」

田楽狭間で休憩中だった今川軍を奇襲するという作戦は功を奏し、首級をあげたという知らせが信長の陣に飛び込んできた。
陣中に歓声があがる。
信長はその言葉に、一瞬身体を震わせた。
「だれが、とった?」
声が掠れる。
「毛利新介にございます」
「そうか」
ふらふらとその場に立ち上がり所在無さげに歩く城主に、帰陣していた勝家が擦り寄る。
「お屋形様。みなが、見ております。義元の首を取ったのですぞ」
きつく肩を抱いて、信長の目を覗き込み、はっと息を呑んだ。
「信長、様……」
信長の瞳からは涙が溢れ出ていた。表情を失った顔のその目だけが、ただ涙を流している。側近からは、もらい泣きの声があがった。信長様もまさか、勝てるとは思っていなかったにちがいない。それで嬉しくて泣いているのだと。
(ちがう。ちがうのだ。私が流す涙は、その様なものではない。お前達が泣くのは、許さぬ)
頭を振って、大きく息を呑んで、信長は叫んだ。
「泣くなっ。信長は、天下を取る。今日はその門出。涙は不吉だっ」
自分の涙も振り払い、自分を支える勝家を見上げると、もう一度言った。

「信長は天下を取る。今日がその始まりなのだ」
 
 





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