百万石学園の石祭シーズンが近づいてきたある日。 春日は久しぶりに後輩たちの顔を見ようと百万石寮を尋ねた。 もっとも、愛する強とは三日と空けずに会っている。そのほとんどが一人暮らしをはじめた自分のマンションでのため『この寮に来るのは』久しぶり、というところ。 「あっ、春日先輩っ!」 「お久しぶりです」 知った顔が次々に声を掛けてくる。 中にチラホラこっちを伺うように見る顔は一年生だろう。 春日の方からは知らないが、向こうは皆、知っている。去年の生徒会長、春日の名前は、副会長の沢木と並んで伝説となっている。 一年生に遠巻きに見つめられながら、春日はエントランスに入った。 「あれ?春日先輩、どうしたんですか?」 珍しいですね、と、花のように微笑むのは、強の双子の兄、泉。 「ちょっと、寮の様子が知りたくてね。もうすぐ石祭だろ?」 これまた女性的な美貌で微笑みながら、春日が応えた。 「ええ、まだ何をするかも決まっていなくて……」 「ウルトラクイズは?」 「二番煎じじゃダメだって、ツヨくんが……」 と、まさに会話している目の前を、強がバタバタと駆け抜けた。春日にも気がつかないほど慌てている。 「あ……」 強、と声を掛けようとしたところに、後ろから足音。 「待って!」 髪の長い少年が、強を追いかけて走って来る。 「待って下さい、強先輩っ!」 春日と話をしていた泉の前に来て立ち止まり、 「つよ…あれ?」 その少年は、切れ長の大きな目を瞠った。 「泉先輩?……強先輩は?」 「さあ……」 泉は困ったように、首をかしげた。 「とか言って、本当は、強先輩じゃないですよね」 少年に肩をつかまれて、泉はもう涙目。 「ち、違うよ……」 「よさないか」 春日が、その手を払った。 何だ、と言わんばかりに少年は春日を見上げ、その美貌に一瞬息を飲みかけたが、すぐに眦をきつくすると向き直って言った。 「強先輩、こっちに来ませんでしたか?」 (だれだ、コイツ) 春日は秀麗な美貌の裏でムッとした。 「さあ、来なかったな」 「そうですか」 さっさと踵を返して、また走って行く。 その後ろ姿を見つめて、春日は泉に尋ねた。 「誰だ?」 「水島明巳(あけみ)君っていって……今年の一年生なんですけど……」 泉はその後の言葉をどうしようかためらって、そして、思い切って言った。 「ツヨくんのこと好きで、追い掛け回しているんです」 「は?」 「と言っても、子犬がじゃれているようなものだって、赤松先輩たちは言ってますけど」 春日が珍しく目を剥いたので、泉は慌てて付け加えた。 (子犬?) そんな可愛いものだっただろうか? 確かに一見美少年風だったが、あの目つきは肉食獣だ。 子供なだけに、たちが悪い。 春日は、眉を顰めた。 「いつから、追い掛け回されているって?」 「きっかけは入学式だったんですけど、あんな風にしつこく追いかけるようになったのは、二週間くらい前からかしら」 「二週間前?」 それなら、その間少なくとも四回、強とはやっている――じゃなくて、会っている! 春日は思った。 (なんで、黙ってるんだ) 「おい、強」 二年になって211号室になった強の部屋のドアを叩く。同室は相変わらず泉。泉の体質を考えると当然と言えよう。 ドアが細めに開けられた。 目だけで覗いて、そして強が驚いた声を出した。 「あれ?春日、どうしたんだ?」 ドアを大きく開けると、ぐいっと手を引っ張って引き入れて、バタンと閉じた。 カチリ と、鍵をかける様子に 「なんで、カギを?」 春日が眉を上げる。 自分が来たから――とは、思っちゃいない。 案の定、強は 「ちょっと、追いかけられていて……」 ポロッと言って、慌てて口を抑えた。 「誰に?」 にっこり微笑む春日。 「う……」 強は、赤くなった。 ことの始まりは、入学式に遅刻しそうになっていた明巳少年を強が体育館に案内したところからだった。その後、明巳が入寮し、強が寮長補佐として何かと面倒を見る羽目になり、次第に明巳のアプローチが激しくなってきたという。 「寮長補佐なんて、まだやっていたのか?」 春日の不機嫌な声に、 「お前らが、決めたんじゃねえかっ」 強もムッとして言い返す。 「それで?」 「それでって?」 「ただ、追いかけられているわけじゃないだろ?逃げ回っているってことは、何をされたんだ?」 「う」 春日の問いかけに、強はまたも真っ赤になって、それが春日を苛つかせた。 「強?」 強は、口の中でモニョモニョ言っているが、言葉になっていない。 「はっきり言ってごらん」 「風呂……」 「風呂っ?」 「風呂場で、抱きつかれて」 「抱きっ?」 春日の声が、裏返った。 百万石寮は建て替えの時に各部屋にシャワーとユニットバスが付いた、設備だけはちょっとしたマンションのように立派な寮だ。けれども同じ敷地内に古い建物も残っており、そこの一階にある大浴場は、広い風呂を好む有志『百万石の大風呂を後世に伝える会』によって守られ、未だに使用されていた。 「あんなところ、行っているのか?」 「だって、風呂はでかい方が気持ちいいじゃん」 強の言葉に、春日はこめかみに指を当てた。 うかつだった。 沢木なら泉に、大浴場には絶対に近寄るなと釘をさしていただろう。 去年は、一度も使っていない。 「なんで、今年になって、いきなり大浴場に?」 「誘われたんだよ。泉は沢木に言われているからって断ってたけど、俺、そんなのあることも知らなかったし、行ったら広くて、面白かったし」 (やっぱり……) そして、はっとした。 「誘われたって、誰に?」 「え?黒田先輩とか、小石先輩……」 春日は、あからさまに綺麗な顔を顰めた。 (あいつら……) 狼たちの目の前で無邪気に肌を晒している強を思うと目眩がした。 そして、再び、はっとする。 「強」 いきなり肩を掴んで押し倒し、驚く強のシャツを捲り上げた。 「なっ、何すんだよっ」 Tシャツごと胸までめくって、春日は、強のその脇腹についている痕を確かめた。 自分のつけた所有の印。 「強、これ、皆に、見せたのか」 強はきょとんとした顔で春日を見上げた後、次に頭を持ち上げて自分の身体に目を落とし、 「あ…………」 さあっと首まで真っ赤になった。 起き上がって、もそもそとシャツをおろしながら、 「気がつかなかった……」 ちょっと唇を尖らせて言う強に、春日は溜息をついた。 危なっかしいにもほどがある。もともと、自分のことには頓着しない強だが、自分が他人からどう見られているかくらい、そろそろ自覚してもいい頃だ。 小さい時から性格的にも女の子のような泉と一緒で、感覚がマヒしているんだろうけれど…… (好きなヤツが見たら、泉よりよっぽど美味しそうなんだよ、お前は!) 春日は、拳を握った。 「……で、その水島ってヤツに押し倒されたんだな」 「え?押し倒されたんじゃなくて、抱きつかれたんだよ」 「同じだ」 (きっと強の身体のキスマークを見て、欲情したのだ。しつけのなってないガキが!!) 顔に似合わぬ汚い言葉で、内心罵る春日。 「同じかなあ」 まだどこか緊張感なく首をかしげる強に、春日は 「もう、大浴場には行くなよ」 厳しい声で言う。 「明巳がいるときには、行かないよ」 「そうじゃなくて、もう行くな。広い風呂がいいなら、俺が温泉でもどこでも連れて行ってやるから」 「ホントか?」 温泉に連れて行ってもらえると聞いて、強の瞳が輝いた。 「ああ」 「やったーい」 両手をあげて喜ぶ強。 その姿があまりに可愛いくて、春日はまた不安になった。 「たのむから、俺以外の男に押し倒されるなよ」 「そんなこと、あるわけないよ」 屈託無く笑う強。 「現に、その水島ってヤツには押し倒されたんだろ?」 春日は、呆れながら確認するように尋ねた。 「だから、違うって……あいつは、俺を押し倒したんじゃなくって、抱いてくれって迫って来たの」 「はい?」 春日は、目が点になった。 そして照れたように笑う強は、確かに一年前に比べて骨格が男らしくなっている。しょっちゅう会っていて気がつかなかったが、心なしか身長も伸びている気がする。 「強、背、伸びた?」 「おう!もう泉より七センチも高いんだぜ。そのうち春日に追いつくぜ」 「追いつくって……」 「春日、覚えてるよな、あの時言ったこと」 「あの時?」 「俺が、春日よりでかくなったら、交替してやるって言ったよな」 『じゃ俺より大きくなったら交替してやるよ』(←強編の10参照.笑) どっちが抱く側になるかについてもめた、あの時。 「俺、明巳のことはどうとも思わねえけど、いつか春日は抱いてみたいなっ」 へへっと笑う強。 春日は、柄にも無く照れた。 「馬鹿か、百万年早いっつーの」 「百万年じゃ、死んでるよ」 「百年でも死んでるだろ」 「じゃあ、そんな意地悪言うなよ。死ぬ前に、いっぺんくらいいいじゃねえかぁ」 「馬鹿」 唇を尖らす強を押し倒し、覆い被さる。 さっき掛けた鍵が役に立ちそうだ。 (しかし……)と、春日は思った。 このまま、強が成長していったら、むちゃくちゃ男前になりそうな気もする。 それこそ『抱いて欲しい』と女も男も集まるような。 (それは、まずい) そんな誘惑に負けないくらいに、強を自分にメロメロにしておかないと。 その日の春日が、いつもにましてしつこかったのは、そういう事情だった。 |
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