「あたかも」を使って、二十字以内の短文を作りなさい。
中国からの留学生、金くんの解答。
「冷蔵庫ニ牛乳ガ、アタカモ知レナイ」


「ぶふーっ、サイコー、オカシーっ!!」
椅子から落ちて床を転げ回って笑う強を見て、春日は柳眉を顰めた。
「笑っている場合じゃ、ないだろう」
強の腕を掴んで立たせ、
「転げている場合でもない」
椅子に座らせ、低い声で言う。
「強は、その金くんよりも国語の点数が低かったんだからね」
強は、頬杖をついて唇を尖らせる。
「だって、あいつは漢字の国のヒトだもん」
「ほう、じゃあお前はどこの国のヒトなんだ?これは、『国語』の試験なんだぞ。その『国』ってのは、どこの国だ?えっ?」
春日が詰め寄ると、強は肩をすぼめて小さくなった。

ここは、百万石寮の春日の部屋。同室の三田村は、気を利かせて出かけてくれたが、二人の間には甘いムードも何もなく、さっきから教科書を挟んで不毛なやり取りを繰り広げている。

きっかけは、この二学期の中間試験だった。
白鳥が水面下で必死に水をかくような隠れた努力の結果、春日は、沢木を抑えて学年ナンバーワンになれたが、その晴れがましい掲示を見に行った際、自分の名よりも早く目に付いたのは、この愛しい羽根邑強の名前だった。
愛があるから、目に入ったのではない―――朱書きだから、目立っていた。
(最下位……)
春日にとって、自分の恋人が学年一のおバカというのは、受け入れるには辛い事実。
(いや、前から知ってはいたのだが……)
むしろ、そんなところも微笑ましいとまで思ったこともあったのだが、よくよく考えると、やはりマズイ。
そこで、春日は強を呼んで、期末試験に向けて勉強を見てやることにしたのだ。
そして、春日は、すぐに気がついた。強が、勉強というものに全く慣れていないということに。

座ってしばらくすると落ち着きがなくなる。
目は、教科書を追っているようで、実は、左右に泳いでいる。
書き込みをしているかと思ったら、森鴎外の頭に辮髪(べんぱつ)を書いている。
叱るとふてくされる。
挙句の果てに、立ち上がったり、転がったり。
春日は、先日電車の中で、子供を席に座らせるのに苦労している若い母親を見たが、まさしく今の自分がそれだと思った。

「強、頼むから、真面目にやってくれよ」
春日は溜息をついた。
「ふざけているわけじゃねえよ」
「じゃあ、言い換えよう。たのむから、勉強をしてくれ」
「してるじゃん」
「いいや、始まってから一度も、まともな勉強になってない」
春日の厳しい声に、強はまた唇を尖らすと、机に突っ伏した。
「いいじゃん、別に、俺がバカで、春日に迷惑かけたかよ」
(今、かけているだろっ)
春日はムッとした。
「所詮、俺と春日じゃ、頭のできが違うんだから、俺にお前のレベルを求めるなよ」
うつ伏せたままの強の言葉に、春日のこめかみがピクリと動く。
「つーよーしー、俺がいつ、お前に、俺のレベルを求めた?」
強の頭を両手で掴むと、ガクガクと揺すりながら言う。
「俺並みとは言わない。せめて、人並みの脳みそのしわを、この小さいオツムに刻んでくれよ」
「やっ、やめろっ」
頭を揺すられた強が腕を振り回して、反撃に出る。
「これ以上、脳細胞が減ったらどうしてくれんだよっ」
ポカポカと春日を殴ろうとするのを両手で抑えられると、強は、立ち上がって脚で蹴りを入れようとした。
「あっ、こら」
春日も立ち上がってそれをかわし、ついでに体格差を生かして強を押さえ込む。
後ろから羽交い絞めにすると、強の身体がビクリと震えた。
強は、首の後ろが弱いらしい。
春日はふっと目を細めて、そのうなじに舌を這わせた。
「ひゃ、ん」
変な声を上げて、強が膝をつく。
春日の腕が、その強を支える。
「やっ…」
亀の親子のように、蹲る強の背中に覆い被さるが、この場合上に乗っているのが親亀。
「強が、いうこときかないからだよ」
うなじに口づけながら、右手を強の股間に伸ばすと、強は固く膝を閉じた。
「やめろよっ」
恋人同士になってから肌を重ねた回数は、二、三度ではない。いや、ちゃんと数えれば両手分くらいはやっているかも。けれども、その度に強は、恥ずかしそうに嫌がる。
春日には、それが新鮮だった。
それまでの春日の相手は、沢木にしろ他の先輩たちにしろ、恥らうという行為とは無縁の男たちだ。まあ、春日のほうが受身だったのだから仕方ないが、性欲処理のスポーツのようなセックスばかりだった。
愛しい相手を泣かせる快感、というのを春日に教えてくれたのは、強。いつも強気でやんちゃな強が、このときばかりやたらと可愛いいのがいい。
「やめろっ、変態っ……やめろってばっ」
抵抗する強の服を脱がし、指を胸に這わせると、
「やっ、あっ」
強の息が次第に乱れてきて、胸の突起が硬くなる。
「んっ……あっ、あ、っ……」
途切れ途切れの声が漏れるころには、春日の雄も立派に臨戦態勢。
「……だよ……春日……」
恥ずかしそうに嫌だと首を振る強を押さえつけ、
「強、脚開いて」
春日は、耳元で囁く。
恨めしそうに自分を見るこの目が―――
(たまらない)
春日は、ゾクゾクと背中を震わせて、自分のシャツを脱ぎ捨てた。



「勉強、するんじゃなかったのかよ」
目尻を赤くした強が、春日を睨みつける。
「そんな顔しても、可愛い」
春日は、強の目許にチュッと口づけた。
「ごまかすなよっ。俺、帰るからなっ」
「勉強の続きするよ」
「できねえよっ」
身体ダリイんだから……とか、強は口の中でゴニョゴニョと呟く。
そして、ゆっくり起き上がりながら、春日を見て言った。
「大体、何でそんなに俺に勉強させたいんだよ」
春日は、綺麗な顔で微笑んで応えた。
「だって、強だって再来年は大学受験があるだろ?」
「大学?」
強は、きょとんと首をかしげる。
「強に、俺と同じ大学にきて欲しいし……」
と、そこまで言ったら、即行、強の返事が返った。
「無理だよっ」
「強?」
春日は目を見開いた。
春日だって、強が自分と同じ大学に来れるなどと思っちゃいない。ただ、セックスの後の甘い時間に、多少の言葉遊びというのはあってもいいだろう。
なのに、強は、下を向いて憮然としている。
「俺が、春日と同じ大学行けるわけないだろ?何、言ってんだよ」
顔も見ずに言うので、春日もちょっと傷ついた。
(何も、そんな正論、今言うことないだろ?)
「強は、俺と同じ大学に行きたいとか、思わないんだ?」
「思わない」
「さみしいなあ。来年一年、大学と高校で離れ離れってだけでも寂しいのに、ここを卒業してからも、俺を追っては来てくれないわけ?強は」
何となくその場の流れで、愚痴の一つも言ってしまう。
強は、立ち上がると、
「しょうがねえだろ?」
落ちていた服を手早く身につけ始めた。
「おい、強」
春日が引き止めたが、
「じゃあな」
強は、さっさと部屋を出て行った。

春日は残されて溜息をついた。
ほんの十分前まで、自分の腕の中で可愛らしく鳴いていた子猫が、突然爪を立てて逃げて行ったような気持ち。
強と付き合っていると、たまにこういうことがある。
何を考えているのかわからない――と思うこと。
泉の前ではしっかり者の弟らしい顔を見せるくせに、自分の前では、大人なのだか子供なのだか。妙に物分りのいい時と、今のように理由なく反抗的な時がある。
(それにしても、今の態度は、ちょっと可愛くないぞ……)
心の中で呟いてふと机を見ると、強の教科書の類が全て置いてある。忘れていったのだ。
たぶん、明日の授業まで気がつかないだろう。
(後で持って行ってやるか)
春日は、その教科書をめくった。
さっきは気がつかなかったが、左下にパラパラ漫画が書いてある。マッチ棒に手足をつけたような人形が、走って跳び箱を跳んでいる。
「ぷっ」
と、吹き出した。
元気に跳ねる人形に、強の姿が重なった。
服を着替えると、それらの教科書を抱えて部屋を出る。
すぐに会いたくなったのだ。

強の部屋の前まで来てドアに手をかけると、鍵はかかっていなかった。
もっとも百万石寮では、個別の部屋の鍵を掛けるという習慣はほとんどない。
部屋の中から、なにやら言い争っている声がする。
「いやだよ、ツヨくん」
「いいじゃん」
「何、言ってるの」
「わかりゃしないって」
「そんなの、いけないことだもん」
「だから、頼んでるんじゃないか」
「だって」
泉と強の声だ。
春日は、ついドアを開いて、会話に加わった。
「何を、もめているんだ」
驚いて、振り向く二人。
そして、強の顔が見る見る赤く染まった。
「?」
春日は、首をかしげる。
泉が、春日に助けを求めるように言う。
「ツヨくんが、僕に身代わり受験しろって言うんです」
「身代わり?」
春日が、眉を上げる。
「わ――っ、何でもないっ、何でもないっ」
強は叫んで、春日を部屋の外に押し出そうとする。
「身代わり受験、って、大学?」
春日が訊ねると、強はまた真っ赤になって、ぎゅうぎゅうと春日を押す。
勘のいい春日には、すぐにわかった。
「確かに泉なら、俺の行く大学も受かるだろうな」
見た目はそっくりの双子でも、学力、運動能力、全てが正反対の二人だ。
「…………」
「強、やっぱり、俺と同じ大学、行きたいんだ?」
クスクスと笑いながら訊ねると、強が赤い顔のままキッと睨んだ。
「あたりまえだろっ」
春日はその言葉に、胸をうたれた。
クスクス笑いを止めて、優しい瞳で見つめる。
「さっきは、行きたくないって言ったのに」
強は真剣な顔で、春日を見返した。
「だって、無理だってわかってるし……俺、頭、わりいし」
その瞳が強らしくなく悲しげに見えて、切ないほどに愛しくなった。
春日は、強をきつく抱きしめて言う。
「お前は、頭が悪いんじゃないよ。勉強のくせが付いてないだけだ」
「春日?」
「お前と同じ遺伝子の泉があれだけできるんだから、今からでも、頑張れば大丈夫だよ」
「そうかな」
「俺が、見てやるよ。今年も……来年も」
「来年も?」
「ああ、強専属の家庭教師だ」
「へへっ、高くつきそうだな」
明るくなった強の声に、春日もいつもの笑いを含ませて囁く。
「身体で払ってくれれば、いいよ?さっきみたいに」
「ばっ、バカかっ」
「強」
「は、離せよ、こらぁ」
「離さない」

311号室の前で、ベタベタにいちゃつく二人を、他の寮生は、見て見ぬふりで行き過ぎる。こんなことで動揺していては、百万石学園ではやっていけないのだ。





HOME

キリリク
トップ