「僕、生徒会長に立候補しようかな」
お昼時間、ジルがポツリと呟いて、お取り巻きの一人、横山は飲んでいた牛乳を吹きそうになった。
「生徒会長?」
「うん」
何を思うのか、ジルは次第に宙を見つめた瞳を輝かせ始めた。
「えっと……会長になって、何をするの?」
遠慮がちに訊ねる横山。
「生徒会室に薔薇の花を飾って、ロココ調の椅子を置くの」
いや、そんなことを聞いているんじゃないよ、ジル。
思っても口に出せないお取り巻き一同。
「横山、お前、推薦文書きなさい」
ジルに言われて、横山は青くなった。


「で、何で?何で、俺が呼ばれるの?」
きょとんとするのは、新聞部、副部長橘正春。来年度は部長。
「だって、橘君、人の話をまとめるの上手だし、文章もうまいし……」
持ち上げられて、悪い気はしない。
「ジルの推薦文っていうのがなんだけど、まあ、ほかならぬ横山の頼みだからな」
ひそかに仲の良い二人。橘は、引き受けた。
「とりあえず、お前から何か、ジルのエピソードとか語ってみろよ」
懐からテープレコーダーを取り出す橘。
横山は、ちょっと考えて、咳払いをすると話し始めた。
「僕が、川原君と初めて初めて会ったのは入学式で―――」


都立和亀高校の入学式。
その日、生徒、父兄の大勢集まった体育館で一際目立っていたのが、川原一美、のちにジルと呼ばれる少年だった。
この日のためにエステ済みのツルツルピカピカの白い肌に、千回ブラッシングしてきたツヤツヤサラサラの長めの髪。カールした睫毛も、赤い唇も、周りがハッとする美少年。その少年が同じクラスと知って、横山は舞い上がった。
入学式が終わって、各自、教室に入って行く。
ジルは、人々が見惚れる中ゆっくりと歩を進めて、1―Dの教室の入ってくるなり……
「クッさー―――――い!!何なの、何なの、この匂い。だから、男子高校って嫌なのよ。って、いっても中学も男子校だったけどね、僕は。でも、やっぱり高校のほうが、臭い気がするっ。もっと、みんなデオドラントに気を使って欲しいわっ、あっ、何で、何で、窓閉まってんのよ、窓開けて、換気してよっ!!」
僅か五秒でこれだけ言い切った。
キッと周りを睨んで
「窓っ!」
ジルが腰に手を当てて叫ぶと、先に教室にいた半分がすわと窓際に走って窓を開け、残りの人間はノートや下敷きでバタバタと風を送って、空気を入れ替えた。
ジルは、真ん中あたりの席に真っ直ぐ歩み寄ると、黒板に書かれた番号も見ずにちょんと座った。
「あっ、そこは……」
自分の席だという少年に、川原はニッコリ微笑んだ。
「僕、ここが気に入ったの」
突然だが、部屋にはラッキープレイスというものがある。入り口から入って部屋の真ん中を通って対角線に抜ける、そこに、龍脈が流れているという。入り口が二つある教室の場合、その龍脈が重なる其処こそ、最強ラッキープレイスだ。
猫が知らず知らずに龍脈上に寝そべるように、川原少年も何も考えず最強ラッキープレイスにある席に座った。それが、ジルなのだ。
けれども、その後、担任の先生に注意されて渋々自分の席についたが。


「とにかく、ものすごく強烈な登場で……」
「だろうな……」
入学式の日のことは橘も覚えていた。その後のことは初耳だったが。カチッとテープレコーダーのスイッチを切って、橘が呟く。
「しかしなんか……もっと本人の性格がいいとか、そういうエピソードはないのか?」
これじゃキョーレツなだけで、決してイメージアップにはつながらない気がする。
「性格?」
横山は、眉を顰めた。正直、『いい性格している』と言われるのはしょっちゅうだが『性格がいい』と言われることは無いジルだ。
「あっ、そうだ!」
横山は、思い出した。
「《ジルの赤い羽根募金伝説》が、あった」
「募金?ボランティアだな」
橘が、レコーダーの録音スイッチを押した。


都立和亀高校では、一年生は、毎年、赤い羽根の共同募金に協力することになっていた。お金を出すのではなく、街頭に立って呼びかけるのだ。
ジルも例外ではなく、中央線吉祥寺駅の構内に立った。

「赤い羽根の共同募金に、ご協力お願いしまーす」
「ご協力お願いしまーす」

叫んでいるのは、横山や橋本。ジルはその隣にちょんと立っているだけだが、何故かみんなジルの箱に入れていく。
「横山……重い……」
ジルが嫌そうに言うと、横山が慌てて自分の箱と取り替える。ジル以外の箱は空に等しい。
そして、順繰り箱を取り替えて、その日のお昼休み。
「横山の班は、すごく集まったな」
先生が驚いた声を出すと、ジルは長い前髪をかき上げて言った。
「この僕が立っているんですよ?当たり前でしょう」
すると、別の班のリーダー宮下が嫌な顔をした。真面目で努力家の少年だが、それだけにジルのことは好きじゃない。
「川原君は、ずるいよ。何にもしないで」
その言葉にジルの眉がピクリと上がった。
「どういうこと?」
「だって、呼びかけているのは横山君たちじゃないか。君は、立っているだけで何もしてないだろ?」
「立っているだけで募金してもらえるなら、それでいいじゃない」
険悪になる二人の間に、先生が割って入る。
「やめないか、せっかくいいことをしているんだから。こういうのは、気持ちの問題で……」
くどくど言う先生を無視して、二人は睨み合った。

「じゃあ、一人で呼びかけなしで立って、いくら集まるか。僕と競争しよう」
「望むところよ」
二人は、それぞれ箱を持って散った。

「赤い羽根共同募金に、ご協力お願いしまーす」
喉をからして懸命に叫ぶ宮下に、募金が集まる。
ジルは、それを遠目に見て、徐に息を吐いた。
「………………」
ものの十秒で、ジルの目から涙が零れた。
通りかかった男性が、はっと振り返った。
ものすごい美少年が、募金箱を持って、右下45度あたりを見つめて泣いている。
「ど、どうしたんだね?君」
駆け寄った男に
「……募金」
一言だけ呟いて、また涙を零す。男は、慌てて財布を出した。
「いくら、いるんだい?」
「……たくさん」

その後は、ジルの前に長蛇の列ができた。
「ありがと……これ……」
ジルの差し出す赤い羽根は、あっという間に無くなった。横山が慌てて追加補充する。
橋本は《最後尾》と書かれた紙を列の後ろで高く掲げた。


「そして川原君は、半日で百万円という、赤い羽根最強伝説を生んだんだよ」
「ふうん……」
「その後は『もう一生分のボランティアしたから』って言って、絶対参加しなかったけどね」
「ははは……」
乾いた笑いで、橘はテープのスイッチを切った。
「ほかに、何か無いかな……もっと、微笑ましいような……」
「うーん、そうだね。橋本くんにも、聞いてみよう」


「ええっと、僕が、すごく川原君が可愛いと思えたエピソードっていうのは……」
橋本が頬を染めて話し始める。
「川原君のお家のお手伝いさんが変わったばっかりのとき、知らないでお弁当にグリンピースを入れちゃったんだよね……」
ジルは、偏食の子だ。
親が無頓着だったらしく高校生になっても食べられないものがたくさんあった。
グリンピースもその一つ。特に、ミックスベジタブルに入っているそれを、川原は憎むほど嫌っていた。

「もうっ、もうっ、もうっっっ!!」
顔を真っ赤にしてジルが怒っている。
「あいつ、クビ!!絶対、クビ!!」
「どうしたの?川原君?」
見ると、豪華な三段重ねお弁当箱の一番下が豆ご飯。冷凍ミックスベジタブル入りのチャーハンよりはましだったが、ジルを怒らせるには余りある品。
「僕が、豆嫌いって知らないのかしらっ」
昨日来たばかりで、誰も教えていなければ知らないだろう。
しかし、ジルにそういう考えはできない。
(帰ったら、お母様に言いつけて、やめさせてやる)
唇を噛んで、その豆ご飯を睨みつけた。そして、橋本を振り向いて言った。
「これ、全部、豆取って」

「二十九、三十……」
数えながら、丁寧に箸の先で豆を拾い上げる。
「緑の部分が、ちょっとでも残っていたら、ダメだからねっ」
おかずを先に食べながら、ジルが言う。
「はい」
橋本は自分の弁当も食べずに、その作業を続けた。

「はあ、出来たよ、川原君」
綺麗に、緑色の無くなったご飯を差し出す橋本に、川原は微笑んだ。
「ありがとう」
それだけで、橋本の苦労は報われた。
そして、川原はそのグリーンピースの山を見て言った。
「埋めてきて」
「は?」
そんなに、グリーンピースが憎いのか?
見たくも無いほど??
お取り巻き一同、息を飲んだが、次に川原が言ったのは意外な一言。
「だって、かわいそうでしょう?」
「えっ?」
「僕は、嫌いだけと、この子たちだってせっかく生まれてきたんだよ。埋めたら、また芽が出て、今度こそ、この子たちを愛してくれる人のところに行けるかもしれないでしょう?」
じーん。
川原が綺麗な瞳でじっと見つめるので、橋本は胸打たれた。
「わかった、花壇に埋めてくるよっ」
立ち上がって、教室を駆け出した。
バカな!橋本!
いくらジルでも、熱の通った豆が芽を出すなんて思っちゃいないぞ。
これは、豆ご飯だったことへの怒りの変形八つ当たりだ。
その証拠に、橋本が花壇にせっせとグリンピースを埋めるのを、ジルは二階の窓から双眼鏡で覗いて肩を震わせていた。

「なんかさあ、グリンピースのことを『この子たち』って言う川原君がすっごく可愛くって……」
ぽわわん、と夢見る瞳の橋本に、橘は訊ねた。
「ちなみに、芽は出たのか?」
出るわけがないと思いつつ、ここで嘘でも橋本が『出た』と言ってくれたら《ジルと豆の木〜奇跡の出芽》とかトウスポなみにでっち上げようとした。
「ううん、次の日、猫かカラスにほじくり返されていて……」
なくなっちゃってた……と遠い目をする橋本。
橘は、溜息をついた。

「俺、やっぱおりるわ。っていうか、おろしてくれ」
「ええっ!何で?橘君っ」
ジルの推薦文を書くということは、自分のジャーナリストとしての将来に深い影を落とすことになる、と橘正春は考えた。
「お前らが、書いたほうがいいもの書けるよ。絶対。うん……」
橘は、肩を落として自分の教室に戻っていく。
横山は、途方にくれた。


「それで、あんまり自信は無いんだけど……」
横山が差し出す紙を受け取りながら、ジルは大きな瞳を見開いた。
「何の話?」
「何のって……生徒会長の……立候補の推薦文だよ」
「………………ああ!」
思い出したというように、ジルは大きな声を上げた。
「あんなの、本気のわけないじゃない」
「へっ?」
「この僕が、生徒会なんて面倒くさい仕事するわけないでしょ」
(うっ……そりゃそう思ったけど……)
「そりゃあ、生徒会室がロココ調だったりバロック風だったりして、その上、思うままに使えるならまだしも、職員室のすぐ近くの小汚い会議室でしょ?使う時は、顧問の先生に鍵を開けてもらって……」
うんざりしたように溜息をついて言う。
「やっぱり、生徒会にもっと権限を与えるべきよね。そしたら僕だって考えるのに……でも、会長はやっぱり面倒よね。副会長かな?会長は、ギイで。僕は、生徒会のマスコット……」
ジルの呟きに、横山は呆然と佇む。
昨日、寝ないで考えてきたその推薦文はどうなるんだ?
ふと、ジルがそれに気がついて、手に持った紙を広げた。
「あっ」
「何、何?ええっと『川原君は、とっても綺麗です』?」

川原君は、とっても綺麗です。僕は、川原君に笑ってもらえるとそれだけでぽうっとしてしまいます。でも、川原君は、笑わなくても綺麗です。
どんな表情でも、すごく綺麗です。
だから、僕は、毎日川原君を見ていたいです。みんなもきっとそうだと思います。
もし、川原君が生徒会長になったら学校行事のたびに、みんな川原君を見ることが出来ます。それは、とっても幸せなことだと思います。 (以下略)

「ふうん……つまんない」
ジルは、その紙をたたんだ。
「本当のこと書いているだけじゃ、人の心は打たないわよ。横山、もっと勉強しなさい」
「は、はい……」
横山は、しゅんとうなだれた。けれども、
「まっ、これは記念に取っておいてあげるけどね」
紙を胸ポケットにしまったジルを見て、顔が輝いた。
本当にいらないものなら、即行、屑箱というのがジルだ。
しかも、胸ポケットには大切なものしか入れないことも、付き合いの長い横山は知っていた。
「つまんないもの読んだから、肩こっちゃった、横山、揉んで」
「はっ、はい……」
椅子にふんぞり返るジルの背中に廻って、横山は幸せをかみしめたのだった。







完  





HOME

キリリク
トップ