「一美ちゃん、一美ちゃん」
「なあに、お母様」
「今日は、お母様のお友だちが来るから、お洋服、もっと可愛いのに着替えていらっしゃいね」
「お友だちって、まなさん?」
「そうさんも、れなさんも来るのよ。さあ、この間買ってあげた『ちょっとおねむな白い王子様服』になさい」
「はーい」
ジル川原は、いそいそと自分の部屋に戻って行った。ちなみに『ちょっとおねむな』云々は、ジルママの名付けたもの。ほかにも『いたずらな妖精の』『きまぐれな天使の』『木漏れ日の下で微笑む少年の』等々のお洋服が、ジルのクローゼットには山のようにある。
残念ながら普段は都立和亀高校の制服を着ざるをえないジルは、休みごとに着るこれらの服が大好きだ。
胸のスカーフにサファイアもどきのブローチをつけながら、ジルは呟いた。
「まなさん、続きもってきてくれてるかな」
お母様のお友だちのまなさんには、このあいだ大昔のルビー文庫を借りた。その中の『たくみくんシリーズ』というのが、目下ジルのお気に入りで、そのことをメールで伝えたら、今度遊びに行くときに新刊を持ってきてくれるといっていたのだ。
「僕にも、ギィみたいな人がいるといいのに」
自分のお取り巻きの顔を思い浮かべて溜息をついた。

「おじゃましまーす」
賑やかな笑い声と共に、ジルママの友人達がリビングに入って来る。
「一美ちゃん、まあ、可愛い」
「すごいわ、王子様みたい」
口々に誉めそやされて、ジルの鼻は10cmほど高くなったが、演技派ジルは可愛いふりを通す。
「そんなあ……」
「真っ白で、ふわふわして、マシュマロみたいよ」
「ほんとう、マシュマロマンね」
(ムッ)
れなさんの言葉に、恐らくマシュマロマンの姿は思い浮かべず、まなさんが適当な相槌をうって、ジルはむっとした。
しかし、まなさんからは借りなきゃいけないものがある。無理やり笑って挨拶するジル。


そして、ふっと気がついた。
みんな手にバイオリンを持っている。
室内コンサートでも始めるのだろうか。
「バイオリン、始めたの?」
ジルが訊ねると、ジルママのお友だちは、皆、笑った。
「これはね、違うものが入っているの」
「違うもの?」
「何だと思う?」
「ええー、わからないー」
さっさと教えてよ、と内心毒づきながらジルが小首を傾げると、まなさんがバイオリンケースのふたをパカリと開けた。
中から出てきたのは―――
「人形?!」
身長60センチばかりの大きな人形。彫りの深い顔立ちに金髪の美少年。
「ミカエルっていうのよ〜」
まなさんが、人形を座らせながら言う。
ジルはひと目でその人形に心を奪われた。
(ぼ、ぼ、ぼくに似ているっ!!!)
ナルシストジルにはその人形が自分と瓜二つに見えた。
「うちのオスカーも見て」
れなさんもバイオリンから人形を取り出す。
(これも、僕に似ているっ)
「うちのはマリオンっていうのよ」
(あああっ!これも似ているっ)
美少年人形は、全部自分に似ていると思うジルだった。
「ほほほ、一美ちゃん驚いた?」
ジルママが、自分もバイオリンケースを持って登場した。
「お母様も、持ってるの?」
ジルが目を輝かせた。
「お母様のは、みんなのよりちょっと大人なのよ」
でも13歳って設定なのだけどね、じゃミカエルは何歳なのかしらねぇとかなんとか呟きながらジルママが取り出したのは
「ギィ!」
ジルは叫んだ。
「エロールって言うのよ」
ジルママは息子の言葉をスルーして、ほかの三体よりもやや大きめの人形をスタンドに立たせた。
(ギィ、ギィねっ、これは!)
ジルには、今はまっている『たくみくんシリーズ』の攻め(笑)に見えた。
まなさんが、その隣にミカエルを並べた。
ジルは、自分とギィのツーショに見えて、鼻血が出そうになった。
でも、白い王子服を血で汚すわけにはいかない。
上を向いて、まだ出てもいないけれど、くびの後ろをトントンと叩く。
「あら、どうしたの一美ちゃん」
「いいえ、なんでも」

そうして、お母様のお友達に混ざってお人形のお着替えを眺めた。
すると、いきなり不穏な会話が耳に入ってきた。
「本当に、いくら買っても次々欲しくなるのよね、この子達の服」
「わかるわ。私も、先日ボークスで、ここからここまで全部下さい、ってやっちゃったわ」
「オークションも、熱くなるのよねえ」
そしてジルママが言った。
「最近は一美ちゃんの服より、エロールの服を買っちゃって」
(なんですってえええええ!!!)
ジルは内心叫んだ。
どうりで、今まで毎週のようにお買い物に行っては新しいお洋服を買ってくれていたのに、先週、先々週と何もなかった。そういえば、この間の日曜は、お母様には珍しく朝早くからお出かけしていたっけ。
そのあと、宅急便が届いていたのをコソコソ運ぶお母様の姿を、ジルは見ている。
そしてよくよく見ると、人形達は明らかに良いものを着ている。
いまエロールが着ている王子様服を見てしまったら、今、自分が着ているのは王子服というよりベロアのパジャマだ。
(あっ、だから『ちょっとおねむな』だったんだ!)
それにも気づいて、ジルはムッとした。

「ねえ、まなさん」
「あら、なあに」
「前、お願いした、あれ」
「ああ、本?あ、ごめーん、忘れちゃったわ。今度、ね」
悪びれず言う。ジルはますますムッとした。
お母様はじめお友だち皆が、夢中になっている人形にやきもちを妬きはじめる。
いきなり立ち上がって、
「お母様の、ばかっ!」
叫んでリビングを飛び出した。
「えっ?あら、一美ちゃんっ?!」
お母様も慌てて立ち上がった。

「一美ちゃん、ここ、開けなさい」
お母様が、ジルの部屋の扉を叩く。
どっしりした造りのドアは、中から鍵もかけられて、ジルが開けないことにはどうにもならない。
「嫌だ」
(お母様なんて、僕より人形が大切なんだ)
扉に背を当てて、唇を噛む。
「お母様が悪かったわ」
「………………」
「自分たちばっかり、ごめんなさいね」
「………………」
「実は、一美ちゃんのお人形もあるのよ」
「え?」
「他に三体いるの、好きなのを一美ちゃんのお人形にしていいのよ」
「……ほんと?」
ジルはそうっと扉を開けた。
ジルの前に、ギィとは違う顔の人形が三体差し出される。
「どれがいい?」
ニッコリ微笑むジルママ。ジルはおずおずと指差した。
「これ」
まなさんのところのミカエルにそっくりな、すなわち自分にそっくりなお人形。
「ユーリね。いいわよ。それじゃあ、一緒に遊びましょう」
「うん」

そうして、ジルはリビングに戻って、お母様のお友達と仲良くお着替えごっこで遊んだ。

翌日、月曜日。ジルが左手にスーパードルフィーを抱えて登校したことは、言うまでもなく、それを橘が学校新聞にとり上げたため、都立和亀高校でSDブームが巻き起こった――というのは嘘である。高校生に手の出せる道楽じゃない。




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