正輝視点
「やっぱり、四月のイベントはお花見だと思うのよ」 文絵が突然言い出したとき、仁志は眉間にしわを寄せた。 去年の四月、ベロベロに酔っ払った文絵を二人がかりで介抱した記憶は、俺にもまだ新しい。 「藤嶋家恒例桜祭りを、今年もやりましょう」 「ザケんな」 仁志は一刀両断に切り捨てた。 「何が恒例だ。いいかげん懲りろよ」 「あら、何に懲りるのよ」 「桜の根元でゲエゲエ吐くことにだよ」 「あら、汚い話」 「アンタのことだって」 「もう、いいわ。仁志は不参加なのね、桜祭り」 「ああ、そうしてくれるとありがたいね」 「綺麗なのに。後悔しないわね」 「俺は桜なんか見たって、嬉しくも何ともないからな」 「絶対、参加しないわね?」 しつこく念を押す文絵。 「くどいな」 言い捨てた仁志だったが、文絵の次の言葉に顔色を変えた。 「順一さんは、来るんだけど」 「なっ」 「さっき電話して誘ったの。けっこう嬉しそうだったわよ」 赤い唇の端に勝ち誇った笑いが滲む。こういう表情(かお)が、最高に美しいのよ、我が婚約者殿は。そしてその弟は、 「いつの間にそんなことしてんだよ。この…」 ババアというようなことを言いたかったらしいが、その言葉はさすがに飲み込んで、男前の顔を引きつらせている。順一が絡むと漫才のような姉弟だ。少なくとも、仁志はそんなキャラじゃなかったはずだが。 (恋愛とは、かくも人を変えるものか――) と、シミジミ見守る先で二人の漫才は続く。 「考えてみれば、仁志がいないほうが順一さんとゆっくり仲良くお話しできるし。ちょうど良かったわ」 「順一が来るんなら、俺も行くに決」 「だぁめっ! 絶対参加しないって、言ったでしょ」 「っ…」 「男が軽々しく前言撤回しないでよ」 「……文絵」 「お姉サマを呼び捨てにしないで。そうそう、松涛の家は私の家だから、勝手に入ってこないでよ」 松涛の家というのは、以前に文絵が俺たちのバアさんから譲り受けた古い屋敷だ。生前贈与とかいう奴だったが、その甲斐なく、直後にポックリ死んじまったんで、結局のところ他のものと合わせてバカ高い相続税を支払った。まあそんなことはどうでもいいが、その家の無駄に高い塀に囲まれた奥庭には、樹齢何百年とかいう立派な桜の樹がある。バアさんの自慢だったその桜は、死体ならぬ文絵のゲロを養分にして、今年も壮絶に美しく咲き誇っているらしい。 「じゃ、さっそく順一さんを連れて行きましょうっと」 「って、今日なのかよ!」 慌てる仁志をきれいに無視して、 「じゃ正輝、吉兆に電話していつもの頼んでおいて」 「ラジャー」 女王様は、さっさと出て行った。 「なあ、仁志、本当に行かないの?」 そろそろ文絵から呼び出しの電話が来る。もちろん、わざとらしく俺にだけ。仁志は、むっつりと黙り込んでいる。 「文絵だって本気じゃないんだし。そもそも順一さん連れてったのが、仁志を呼び出す餌みたいなもんだしね」 「それが気に入らないってんだよ」 わかってんだろ、と仁志が唸る。そういう態度は、俺の少年のような悪戯心をくすぐってくれる。 「でもさあ、いいのか? お前行かなかったら、文絵、去年のアイツらとかに声掛けるかもよ」 「う……」 ちなみに去年の藤嶋家恒例(なのか?)桜祭りは四月四日で、『オカマの日』だとか銘打って二丁目の騒がしい連中を呼んだのだった。 そうそう思い出した。あの樹齢うん百年の桜は、文絵だけでなく二丁目のオカマたちのゲロも養分にしていたのだ。さぞ今年の花は毒々しいに違いない。 「順一さんがオモチャにされてる様子が目に浮かぶねぇ」 言ってやったら、案の定、仁志は立ち上がった。 「ったく」 悔しそうな仁志の顔というのは、なかなか拝めない代物だ。調子に乗って、 「ごめんなさいオネエサマ。って謝ったら、入れてもらえるよん」 「誰が言うか」 裏拳で殴られた。 「来たわね」 玉砂利を踏みながら奥の庭に向かっていると、いつの間に着替えたのか和服姿の文絵が立ちはだかった。 「こちらのお兄さんには招待状は出してないんだけど」 形の良い顎を突き出して言う。仁志は眉間に深いタテジワを刻む。 「元はバアさんの家だろ」 「今は私の家よ。ここから先に進みたかったら私を倒して、じゃなくて、私に許しを得て行きなさい」 「あのなあ」 「まあまあ、仁志」 漫才は楽しいんだが、腹が減った俺としては一刻も早く吉兆の膳にありつきたく、ここは素直じゃない姉と弟の仲裁に入ることにした。 「ここはひとつ大人になって言えよ。入れてくださいって、一言」 「…………」 仁志は奥歯を噛みしめている。文絵は、それを見上げて、 「それだけじゃ足りないわねえ、『前言撤回します。ごめんなさいお姉さま』くらいは言ってもらわないと」 やっぱりそうきたか。 予想通りの言葉に、仁志はグッと拳を握ったが、 「だって、本当にタダで見せるのもったいないんだもの」 続く文絵の言葉に陥落した。 「順一さんの、キ・モ・ノ姿」 「ゴメンナサイオネエサマ」 「ほーっほっほっほ! おほほほほほ……」 文絵は、最高に嬉しそうに笑って踵を返すと、草履でスキップしつつ奥庭に向かった。仁志が急いでその後を追う。 「あ、仁志」 桜の樹の下に敷かれた緋毛氈。振り返った順一は、仁志の顔を見てホッとしたように微笑んで、すぐに落ち着かない素振りで近づいた。 「あの、藤嶋家じゃお花見は和服じゃないとダメだって言われたんだけど……違うのか」 着物のことはよくわからないが、箱根から帰ってきた文絵が「順一さんには灰桜がいい」とか何とか言っていた。いつサイズを測ったのかは謎だが、この日のためにオーダーしていたのだろう。文絵の見立てに間違いは無く、清楚な風情がよく似合っている。 「二人とも、洋服じゃないか」 仁志と俺を交互に見て、最後に恨めしそうに文絵を見る。騙されたのだと知って、 「着替えてくるよ」 そう言った順一の肩を、仁志が抑えた。 「自分で着たのか」 「まさか」 和服なんか着たこと無いから、と、順一は恥ずかしそうに首を振る。 「ここの、えっと、女の人が」 「ああ、カズさんが着せてくれたのか」 バアさんの代から住み込みでこの屋敷の手入れをしている家政婦だ。 仁志は、そのまま順一を引き寄せ、 「せっかく着せてもらったんだから、そのままでいろよ」 聞いてるこっちの背中がむず痒くなるような声で囁いた。 「脱ぐ時は、俺が手伝ってやる」 案の定、順一の顔が真っ赤になる。 「うわ、ゴチソーサン」 腹が減っていたはずなのに、 「なんかもう腹いっぱいだわ」 見詰め合う二人に背を向け離れる。 「あら、だめよ。誰かさんがこんなに頼んじゃったんだから、片付けてもらわないと」 確かに。吉兆のケータリング。人数がわからなかったから、適当に十人前ほど頼んだのだ。 「しかし考えりゃ、分かりそうなもんだったな」 「何が?」 「アナタ、最初から他のヒト呼ぶ気無かったデショ」 「ふふ……さぁね」 桜の木の下のどこか不器用そうなカップルを見て、文絵が目を細める。 まったく、何だかんだいって弟に甘いんだよ、このオンナは。 「あら、何してるの?」 俺がポケットから携帯を取り出したのを見て、文絵が目を丸くした。 「やっぱり片付け手伝ってもらわないと。とても四人じゃ食べきれないだろ」 「やめなさいよ」 文絵の制止を振り切ってボタンを押す。俺の少年のようなココロが、またもやくすぐられたのだ。 女の名前ばっかの携帯アドレスだが、その中には女じゃないのも混ざっている。コールを聞きながら、 「文絵が三人前食べる? 太るよ」 訊ねると、文絵は少し考える顔をして、 「そうねえ」 さっきより新密度の増したカップルをじっと見詰めて、そして、ニッコリと笑った。 「ええ、太るのは良くないわ」 「でしょ」 五回目のコールで野太い声が聞こえてきた。 「マサキぃ、なになに、どしたのぉ、うれしーっ」 何も言っていないうちからテンション高過ぎだって。 「ああ、アケミちゃん? 実はさぁ」 かくかくしかじか、桜祭りのお誘い。 「ほんとーぉ、やだ、ちょーうれしーぃ、ねえママたちも呼んでいい? え? お店なんかいいわよ。それより私だけ行ったのバレたら殺されちゃう。寒梅の大吟醸二、三本持って駆けつけるわ。待っててねっ!」 んーっんぶちゅっ! と携帯越しに大きなキスをもらった。アケミちゃんもキス魔だが、あそこのママはもっとヒドイ。 (そしてママは、仁志の激ファンだ……) 「あーあ。せっかくいい雰囲気なのに、あと一時間足らずの命ね」 ラブラブの二人をながめつつ、文絵が悪魔の微笑をもらす。 「風前の灯というか――この場合、嵐の前の桜かな」 お、五七五だ。 「今日の趣向には、合ってるわ」 END |
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