「げっ!ジル」

三好は、自分を呼んだ人物を確認した瞬間、足早にその場を立ち去ろうとした。
それを、
「呼ばれてるぞ」
ガシッと捕まえたのは、海堂だ。いつものように高遠とセットで下校しようとしていたところ。
「はなせ」
「何だ。わざと無視しようとしたのか」
海堂が納得したときには、すでにジルは追いついていた。
「三好くん、今、ちょっといい?」
「いや」
「ちょっとこっちに来て」
「だから、良くないって言ってんだろっ」
三好の拒絶をきれいに無視して、ジルは三好の腕を掴んでグイグイと引っ張っていく。
普段は華奢な美少年のどこにこんな力があったのか。
火事場の何とか力とはよくいったものだ。
(バカには勝てないんだろうか…)
三好は手をひかれながら心の中で呟いた。


ジルが三好を連れ込んだのは、今度は旧体育館。海堂たちには色々な思い出のある場所だが、別にジルにはこれと言って関係ない。
ジルは、とにかく三好と二人きりになりたかった。
「何だよ、こんなところまで引っ張ってきて」
憮然とする三好に、ジルは唐突に言った。
「三好くん、キスしたことある?」
「は?」
ジルの問いかけに、目がテンになる三好。
いったい何の話なんだ。
ジルの方は、話のきっかけとして尋ねてみたけれど絶対三好は経験豊富だとふんでいるので、返事は待たない。
潤んだ瞳で見上げて囁く。
「ね、僕のこのサクランボのような唇に、キスしたいと思わない?」
「いや、全然、思わないし」
「遠慮することないんだよ」
「遠慮じゃねーよ!!」
こぶしを握る三好。
「照れること、ないんだよ?」
「だから、違うって」
はっきり拒否しているにもかかわらず、その事実を理解できないのか、したくないのか、ジルはじりじりと三好に迫っていく。自分の経験値アップのために、絶対に三好とキスしないといけないと思い込んでいる。そう、ジルは思い込みの激しい少年だ。
「ヤメロって」
「三好くん…」
唇が近づいて、三好はとっさにジルの唇を手でふさいだ。
「んぎゅ」
「それ以上近寄ると、このまま鼻までふさいで息できないようにしてやるぞ」
ジルは一瞬柳眉を吊り上げかけたが、すぐに悲しそうな顔をして三好を見つめた。
ジルの瞳に、大粒の涙が浮かんだ。当然、嘘泣き。
「三好くん、いじわるだ…」
「う…」
ジルの涙に、三好は一瞬ひるんだ。
ジルは長いまつげを震わせながら、三好の胸にすがるように手を伸ばす。
キスを誘うしぐさで、そっと赤い唇を舐め、そして薄く開いたそれを三好の顔に寄せていく。
三好は、硬直した。
何しろ二年前のミス和亀。ジルベールと、当時は真面目に呼ばれた美貌。
「三好くん…」
ため息のように囁く声もなまめかしい。
その辺の美少女クラスは裸足で逃げ出すその綺麗な顔が近づいてくる。
ジルの性格さえ知らなかったら、誰でも、恋に落ちる瞬間。
「てか、その性格が問題なんだよっ!!」
迫りくる頭を掴んで、押しやると
「いたっ、痛い、イターイ!!」
熊の爪ならぬ三好の指先に、こめかみを押さえつけられてジルは泣き叫んだ。
「俺の握力を侮るなよ」
「あーん、わかったから、離して、離してええっっ」
三好が手を離すと、ジルは両手でこめかみを押さえてうつむいた。
そして、ポツリと言った。
「今ので、コンタクトが落ちた」
「何だ?」
「コンタクトが、外れて落ちちゃったよっ、捜してっ!」
その場に座り込むジルに、三好もしかたなく
「世話の焼けるヤツだなっ」
一緒になってしゃがんで四つん這いになったところ
「スキありっ」
ピョンと抱きついたジルが、三好の唇を奪った。
(隙できてキス…回文ができた)
二重の喜びのジル。
三好は、あっけに取られたまま押し倒された。
と、その時
「何してるっ」
大声が聞こえて、二人はビクリとその声の主を見た。

旧体育館の入口から飛び込んできたのは、妹尾だった。
実は、職員室の窓から三好の手をひくジルの姿が見えたので、気になって追いかけてきた。
妹尾は、愕然としていた。
ついさっきまで、自分とキスしてフラフラになっていた少年が、何故、この大きな生徒を押し倒しているのだ。
(ええと、確かこの生徒は理系の…)
実習中文系だけを受け持っている妹尾には名前までもはわからなかったが、目立つルックスなので顔くらいは覚えていた。
三好がジルを押しのける。ジルはプイと横を向く。
妹尾は、咳払いして言った。
「川原、何でこんなところでこんなことをしているのか、教えてくれるか?」
「別にっ」
ツーン
という擬音語が聞こえそうなジルの態度に、妹尾はムッとした。
「先生に対する態度じゃないな」
「先生じゃないモン。教生だモンね」
「このっ」
「あ、センセイ、じゃあ、俺は、これで」
センセイを強調して、三好はチャッと片手を挙げてその場を立ち去る。
とっとと帰って、うがいがしたかった。

妹尾はジルと向き合った。
「いったいどういうつもりだ?」
「どういうって?」
「何で、俺とキスした後、ワザワザ別のヤツを押し倒してキスしているんだ」
と、そこまで言って、妹尾はひらめいた。
(口直し?!)
そんなに自分としたキスが嫌だったのか。
それとも、無理やりキスされたショックを、本命の彼に慰めてもらいたかったのか。
いや、後者はどう見ても違っただろう、という理性的な判断ができないのが恋する男。
「川原は…」
どこか苦しそうな妹尾の問いかけに、ジルは小首をかしげた。
「アレが…好きなのか…?」
妹尾の言うアレは今見た三好のことで、
「あ、アレ…、そんな、別に…好きっていうか、なんていうの、もう僕にとっては慣れちゃってるっていうかぁ」
ジルにとってのアレはキスのことだ。
頬を染めるジルに、妹尾は理解した。
(川原は、あの生徒のことが好きなのだ)
理解じゃなくて、誤解だと、誰か教えてやって欲しい。
「そうか…」


次の日、三好は教育実習生妹尾の突然の呼び出しにビビっていた。
昨日のことの件で、注意を受けるのだろうか。
不純同性交遊。
(カンベンしてくれよ〜)
そうでなくても、昨日ジルにキスされたのはショックだったのだ。
いや、ショックと言うか情けない。親友の高遠にすら話せないのもそのためだ。
(いつか笑って話せる日も来るだろう…その日まで、ファイトだ!自分)
「失礼します」
職員室に入って、妹尾の前に立つ三好。
妹尾は、重々しく口を開いた。
「三好君…」
「はい…」
「君は、川原一美を、男として幸せにする自信はあるかい」
「いやもう、ぜんっぜん、ありませんっ」
即答だった。






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