その日の放課後。
「…決めた」
「えっ、何?」
横山が振り向くと、ジルは唇を噛んで一点を見つめている。
「どうしたの?川原君」
「絶対、僕の魅力で、とりこにしてみせるから」
「何を?川原くんっっ!!」
怯えたように尋ねる横山をきれいに無視して、ジルは教室を駆け出した。



「妹尾先生」
ジルが額にかかる髪の毛をかきあげながら、職員室に入ってきた。
「何だ?川原」
妹尾は、興味無さそうに、机に向かったまま顔も上げずに応えた。
(むっ!)
一瞬、眉がつりあがりかけたジルだったが、気を取り直して可愛い声を出す。
「さっきの授業で、質問があるんです」
「なんだ?」
ようやく顔をあげて、椅子と一緒に振り返る。
「ここでは、ちょっと…」
「ほう」
妹尾はおかしそうに目を細めた。
「授業でわからなかったことを質問するのに、職員室じゃマズイなんてことないだろ?」
ジルの目的はわかっているが、ちょっと意地の悪い気持ちでからかってみる。
「それとも、他の先生には知られたくないのかな。恥ずかしがりやなんだね」
「それは…」
と、その時、まだ残っていた三年私文担当の英語教師、高松が口をはさんだ。
「なんだ、川原、何か質問だったら俺に聞け。妹尾先生は、また勉強中なんだからな」
「「いいえっ!!」」
何故か勢いよくハモって応えた妹尾とジルに、驚き仰け反る高松。
「あ、いえ、すみません」
妹尾は、とってつけたように謝ると
「僕の授業の質問ですから。きちんと対応するのも実習のうちですし」
言い訳しつつ立ち上がり、ジルの腕を取って職員室を出て行った。
取り残された高松は、出て行く二人に不思議そうに首をひねった。
ジルも首をひねっていた。
(何で、妹尾が僕の手を引っ張ってるんだ?)
わからないまま連れ込まれたのは、進路指導室。
今の時期はまだ決まった日にしか使用されないので、その他の日には打ち合わせと称して教師たちが雑談をするところ。今日はもう使われる予定はない。
「もうこの時間は、誰も来ないよ」
微笑む妹尾。
一瞬、きょとんとしたジルは、次の瞬間、本来の目的を思い出した。
ここで妹尾が協力的なことに疑問を持てないのがジル。
予定通りひとばらいができたところで、早速、行動に移った。
「なんだか、この部屋、暑いですね」
シャツのボタンをいきなり外す。
(そうきたか)
内心、かなり嬉しい妹尾。
「質問は、何だ?」
「質問は…」
ジルは二つ目のボタンも外して、風を送り込むように襟元をくつろげた。
白い喉と華奢な鎖骨を見せびらかすようにして、上目遣いで見上げる。
「質問は?」
「…先生…好きな人、いる?」
ジルは切れ長の瞳を揺らして、精一杯色っぽい顔で見つめた。いつも鏡で練習している自信作。
「川原…」
「先生…」
「誘っているのか?」
「えっ?」
「誘っているんだよな」
「え、まあ…」
あまりにあっさり乗って来たので、ちょっとビビったジル。
「じゃあ、悪いのはお前だ」
ニッと笑った妹尾は、そのままいきなりジルに口づけた。
(え―――――っ!!!)
目を見開いたまま、内心、絶叫のジル。
本当ならば、妹尾をちょっと誘惑して、その気にさせたところでニッコリ微笑んで立ち去る予定だったのに。
いきなり襲われるとは思わなかった。
いや、思わなかったのはジルが甘い。アメリカ土産のチョコレートなみにアマい。
けれどもしかたない。何故ならジルは、実のところ、こういった経験など全くないただの耳年増少年だったからだ。
当然、キスも初めてだった。
「ん…んんーっ」
抵抗して腕を突っ張るけれど、もともと小柄で華奢なジル。大人の力にはかなわない。
「やめて」
と、開いた唇を割って、妹尾の舌が入ってきた。
ビクッと身体を強ばらせたジルに、こわくないよと言うように妹尾はそっと背中をなでた。
ゆっくりと舌を絡めると、それまで突っ張っていたジルの腕から力が抜けて、いつのまにかダランと落ちた。
ゆっくりと丁寧に口の中を愛撫する妹尾の慣れた動きに、ジルは朦朧としている。
妹尾は、小さな赤い唇を甘噛みしながら、そっとジルの顔を盗み見た。
目の焦点が合っていない。
顔に血が上って、白い肌が薄桃色に染まっている。
(可愛い)
そっと唇を離して、顔をよく見ようと覗き込む。
唇の端からこぼれた唾液が顎に伝わり落ちるのが、いかがわしくて色っぽい。
それを親指できゅっと拭って妹尾は囁いた。
「初めてだった?」
その瞬間、ジルの目が見開いた。はっと飛び退さって、手の甲で唇を押さえていった。
「は、初めてのはず、ないでしょっ」
「川原?」
「そんな…初めてなんて…そんなはず…」
呟きながらヨロヨロと後退さり、壁に背中をぶつけるとクルリと回って、ギクシャクした動きでドアを開けて出て行った。
妹尾は、そのおもちゃのような動きをぼうっと見ていたが、ジルの背中がドアの向こうに消えると、小さく吹き出した。
「ホント、むっちゃ可愛い」
クスクスと笑い続ける妹尾は、自分を誘惑しようとしたジルが逆に自分のキスにメロメロになったという手応えに、大そう満足した。


しかし、この後、ジルが一筋縄ではいかない少年だと言うことに気づかされるのだった。



「は、初めてなんて…この僕が…」
ジルは、廊下の壁に手をつき、身体を支えながら歩いた。
(悔しい…)
誘惑するつもりが、逆に、キスされて、こんな状態になってしまって……。
(キスなんて…)
お母さまのお友達のまなさんから借りたルビー文庫で散々勉強済みだったのに。
夜寝るときには、ギイからのおやすみのキスをもらっていたのに(←妄想)。
(やっぱり、実際の経験を積まないとダメなんだっ)
唇を噛むジル。
そこに、横山がやってきた。
「川原君、捜したよ。どこに行っていたの?」
ふと顔を上げて、横山を見つめるジル。
「どうしたの?」
ジルの様子がおかしいので、横山は眉を寄せた。
「おいで、横山」
ジルは、横山の手を取ってぐいぐい引っ張った。
「どうしたの、川原君」
「いいから」
と、使われていない音楽室に横山を連れ込んだジル。
何が何だかわからずびっくりしている横山に、ジルは言った。
「横山、僕に、キスしたい?」
「ええええっ!!!!」
「声が大きいっ」
「ええええええ」
小声で言い直す横山。
「どうなのよ」
「き、キスって、そ、そんな…」
横山の顔は真っ赤。大好きなジルからそんな言葉をもらうなんて、考えたこともなかった。
「したいの?したくないの?」
いつものペースに戻ったジルは、腰に手を当てて横山を睨んでいる。
「どっちなのよっ?!」
「し、したいですっ」
と叫んで、小さく付け加える。
「さ、させてもらえるなら…」
「いいよ」
ジルは赤い唇を尖らせた。
「ほ、ホントウ?」
横山は、半信半疑。
「いいから、ホラ、早く」
ジルが顎を上げて誘うので、横山は震えながらそっと唇を重ねた。
かすったかどうかもわからないキスに、ジルは柳眉を逆立てた。
「何よ、今の」
「えっ?」
「そーじゃないでしょう?もっと、ホラ」
「も、もっと?」
「そう、舌とか使うの」
横山は、鼻血を吹きそうになった。
「もう一回」
ジルが再び上を向く。横山は、焦ってしがみ付くようにジルを抱きしめた。
「いたっ!」
ガチッと歯がぶつかって、
「いたああああい!!!」
ジルが口を押さえてうずくまる。
「ご、ごめん、川原君っ」
慌てる横山をキッと睨んで、自分のことは棚に上げて叫んだ。
「もうっ!ダメ!横山、初めてでしょっ!」
そして、立ち上がってこぶしを握った。
よく考えたら、経験の無いへたくそなヤツと練習してもしょうがない。
(そうだ、相手はちゃんと選ばなくちゃ)
「横山、悪いけど、失格」
「えっ!」
「じゃあね、あ、しばらく僕の後付いて来ないように、他の子にも言っておいてね」
ジルは、音楽室を飛び出した。
そして、前方によく知る長身を見つけた。
軟派そうな明るい髪、整った顔。
ジルの『和亀学園化計画 昼休み恋愛相談』でも、ダントツの人気を誇った男。
(彼なら、経験ありそう)
ジルは瞳をキラリと輝かせると、語尾にハートマークを七つほども付けて、下校しようとしている相手を呼び止めた。

「三好くぅ〜んvvvvvvv」





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