「ジル、じゃなかった、川原くん、妹尾先生が呼んでるよ」
二限と三限の間の休み時間。クラスメイトに言われて、ジルは思いっきり柳眉を逆立てた。
「何で、アイツに呼ばれなきゃならないのよ」
「何でって…」
教師が生徒を呼んでいるのだから素直にいけばいいのだが、ジルにとって『アイツ』は、ウンコの後の手で自分の髪を触った、とんでもない野郎だ。だから、プイと横を向いて言った。
「横山、代わりに行って来て」
「うん」


「失礼します」
横山が入って来たとき、妹尾は特に驚きも失望もしなかった。予想通り。
「来たな、小人その一」
「小人??」
妹尾にとっては、ジルとそのお取り巻き連中の集団行動は、タカビーな白雪姫とその彼女に部屋もベッドも占領されながら『ハイホーハイホー♪』と能天気に歌う小人集団にしか見えなかった。
(さしずめ、俺が、最後にいいとこ取りの王子様ってワケ)
妹尾もかなりいい性格だった。
「川原に伝えておけ、今日の英単語の試験、50点以下だったら居残りだって」
「は、はい」
「マンツーマンで教えてやるって」
「………」
「行ってよし」
「えっと…」
「何だ?」
「どうして、川原くんだけなんですか?他の人も、50点以下だったら…」
「いや、川原だけだから」
「な、なな、なんで?」
「決まっている、川原が可愛いからだ」
ひっ!
横山は息を飲んだ。そして、じっと妹尾の顔を見る。
「行ってよし」
すました妹尾の言葉に、弾かれたように職員室を飛び出した。

「たたた、たいへんだっ」
横山は教室に飛び込んで、そしてまっすぐジルに向かって突き進む。
その時ジルは、横山以外のお取り巻きに囲まれて、昨日見たテレビドラマをとうとうと語っていた。
ちなみにジルは、一人で三役までは完璧に(自己評価)演じ分けられて、台詞もバッチリ暗記(あくまで自己評価)している自分を『和亀の姫川亜弓』だと思っていた。なぜ、北島マヤじゃないかというと『普段は平凡な少女』という設定が自分にふさわしくないからだ。
「それでね、その時、刑事さんが言うの。奥さん…人生やり直すのに…遅すぎるってことは、無いんですよ…」
どうも、火サスらしい。
「大事件っ」
「そう、それで事件が…って、何よ、横山」
名演技(しつこいけれど自己評価)の邪魔をされ、ジルが唇を尖らせる。
「川原くん、妹尾に狙われているよ」
「えっ?」


かくかくしかじか。
横山が語る話に、ジルは再び柳眉を逆立てた。
「なんて図々しいのっ」
「そうだよ、本当にっ」
「教生のくせして」
「川原くんに手を出そうなんて、恐れ多いことをっ」
口々にブーブー言う、お取り巻きズ。
大げさな追従に、ジルはいちいち頷いていたが、横山の
「川原くんに目をつけたのは、見る目はあるけど」
憮然としながらポロリとこぼした言葉に、ピクンと片眉を上げた。
「……まあ、確かに、僕の美貌ならしょうがないけどね」
ジルは前髪をかきあげる。
(あ…)
ジルがその気になった様子なので、お取り巻きズは慌てた。
「だめだよ、川原君」
「そうだよ、あんなヤツの言うとおりになっちゃダメだ」
「誰が?」
キッと睨むジル。
「誰が、あんなヤツの言うとおりになるっての?」
「あ、そうだよね」
「当たり前じゃない。大体、何?今日の英単語のテストで、僕が50点以上ならいいんでしょう」
(う…)
眉をひそめるお取り巻きズ。
その視線に気がついて、
「なによっ、僕はテストでは、三回に二回は50点以上なんだからねっ」
逆に言うならば、三回に一回は50点以下だ。
お取り巻きズは、お互いに視線で会話して、結論を出した。
「川原くんなら、絶対50点以上だと思うけど、念のために…」
「何よ」
「久し振りに、NC作戦を…」
NC作戦、これは一年のとき二学期の期末試験前に風邪をひいたジルが考えた試験対策。正式名称、名前チェンジ作戦。
答案用紙に、ジルがお取り巻きの一人の名前を書いて、そのお取り巻きがジルの名を書く答案用紙入れ替え作戦だ。
ちなみに、お取り巻きズは全員、ジルの筆跡をマスターしている。
ジルの作ったバインダー式のテキストで、一日五分の練習でバッチリ!
気の毒なのは、おかげで皆、くせのある丸文字になってしまった。
「ふうーん、いいわよ。じゃあ、英語だから田中君ね」
田中は私立文系のE組の中で、ダントツ英語のできる男だ。
それだけに試験に対しての思い入れも深い男だが、ジルの命令は絶対だ。
「…わかった」
あとのお取り巻きたちは心の中で田中に手を合わせた。
そして、思った。
ジルも、精一杯がんばって欲しい、と。


五時間目の英語の時間。NC作戦の結果、ジルは百点。
田中君が何点だったかは、気の毒で書けない。ミニテストだったから、その時間中に結果が出ているのだ。
授業の終了間際、
「百点か、がんばったな」
おかしそうに目を細めて解答用紙を返す妹尾に、ジルはプイっと横顔を見せた。
妹尾はいっこうに気にした様子無く、次に海堂を呼んだ。
「海堂、45点!なんだ、これは」
「しらねぇよ」
「約束だから、居残りだぞ」
「えーっ!アレ、マジだったのか?なんで、俺だけ」
「そりゃ、お前が、かわいいからだ」
その会話に、ジルはビクッと震えた。


なに、なに、なに、なに、なに――――――っ?!!!
なんで、海堂なのよっ?!
それって、僕とのことだったんでしょっ?
海堂にも同じこと言ってたってゆーのっ??
どーゆーことーっ?!!


キッと横山を睨みつけると、横山はブンブンと首を振っている。


会話を聞いたほかの生徒が、
「妹尾先生、セクハラー」
「ダメですよ、海堂くん、カレシいますから」
やいのやいのと囃し立てる。
海堂は憮然と、
「俺、今日はダメだぜ、約束あるし。また今度な」
返ってきた答案用紙を丸めてズボンのポケットに入れた。
飄々と席に着く海堂を見るジルの唇は、プライドを傷つけられたショックで噛み締められている。
それを目の端に捕らえながら、妹尾は、内心ほくそえむ。
ジルを刺激するツボがどこかは、十分、心得ていた。









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