「うん…うん…わかってる。うん、愛してる」
頬を薔薇色に染めた泉が、耳元の携帯電話を両手で握り締めて小さく囁いた。
強は読んでいた漫画を放り投げて、寝ていたベッドの上でゴロリと転がった。
「うーっ」
「なあに、ツヨくん」
携帯を切った泉が、髪をかきむしる強をきょとんと見る。
「毎日、毎日、よく飽きないな」
「飽きるって、電話?」
「電話もだけど、その最後の挨拶だよ」
「愛してる?」
「ううっ」
強はゴロゴロとベッドの上を転がる。
泉は、くすっと笑って
「でも、ツヨくんだって言うんでしょ?春日先輩に」
訊ねると、ソッコーで答えが返った。
「言わねえよっ、そんなん」
「え?ホント?」
「男がそんなこと口に出せるかよっ」
強の顔は赤くなっている。
「うそっ、言ったことないの?」
「無い」
「春日先輩、かわいそう」
「何でだよ」
強は唇を尖らせる。
「だって、好きな相手からは、そう言ってもらいたいものだよ?ツヨくんだって、春日先輩に言われたら、嬉しいでしょ?」
「そんなこと…」
「それとも、先輩も言わないタイプかな」
「やっ…」
(そんなことは…ない…)

『強、可愛い』
『強、愛してる』

春日はいつも言う。でも、たいがいエッチの最中だったりするから、
その言葉に強がちゃんと返事できたためしは無い。
いや、たとえ日常の中で言われたとしても、言葉に詰まって何も答えられないのが強だ。
「ともかくっ、俺は別に…」
「一度くらい言ってあげればいいのに…」
泉の呟きを聴こえない振りして、強は布団にごそごそと潜り込んだ。



「強らしいじゃないか」
沢木は男らしい口元から白い歯をのぞかせて笑った。
「でも…」
うつむく泉を覗き込むようにして、沢木は泉の腰を抱き寄せた。
ここは沢木の部屋で、例によって二人はベタベタアマアマの時間を過ごしている。
「でも、何?」
泉のうなじに口づけて沢木が囁く。同時に胸のあたりでいたずらするその手を両手で押さえて泉は言った。
「ツヨくんが、そういうこと言えないのって、僕のせいじゃないかなって…」
「泉の?」
沢木が顔をあげた。泉は、沢木の片手を両手で握り締めたまま、ポツリポツリと話す。
「僕って、昔からこんなでしょ?いっつも…すぐ泣いたり、色んなことぐずぐず言ったり…
我慢とかしないで、わりと全部出すほうだし…そのたんびに、ツヨくんは、僕の分、我慢していたんじゃないかなって…」
「泉」
「僕がすぐ泣くからツヨくんが泣けなくなったみたいに、僕が、女の子みたいなことも平気で言うから、ツヨくんは我慢して言えなくなったのかな、って思うの…」
「アイツの意地っ張りな性格は、生まれつきだと思うぞ」
「違うよ。ツヨくん、本当は、すごく感情的だったり、繊細だったりするの。意地っ張りになってしまったのは、僕のせいなの」
既に泉はポロポロと涙をこぼしている。
沢木は慌ててその涙を拭って、
「わかった」
力強くそう言った。



「で?何で、俺が?」
翌日、沢木のマンションまで呼び出された春日が、眉間にしわを寄せる。
「朝のジョギングの途中で犬に追いかけられて、そのまま道路に飛び出して車にはねられた…なんて、間抜けな芝居をしなきゃいけないんだ?」
「何なら、車道に飛び出した幼稚園児を助けるために、自らが犠牲になってはねられた…でも、いいぞ」
「だから、何で?」
「まあ、それくらい切羽詰ったシチュエーションなら、あの強情ツヨムシも『春日、死なないで、愛してる』くらい言うかな、と」
「寝言は、寝て言えよ」
「俺は、ぐっすり寝るたちだから、寝言は言わん」
真面目な顔でにらみ合う二人。
「もう、やめて、アッくん」
お茶を運んできた泉が泣きそうな顔で間に入る。
「そんなの、ダメだよ。ツヨくん騙すみたいなこと…」
「騙すわけじゃない。決行日は、今度の火曜日。エイプリルフールだ。ちょっとした冗談だよ」
泉の言葉に、沢木はしゃあしゃあと答えた。
「冗談でも、ダメ。ツヨくん、ショック受けちゃう」
「そうか?」
「それより、俺がそんな冗談にのると思うなよ」
春日の呆れた声に、沢木は
「やっぱり、そう言うとは思った」
あまりがっかりした風もなく、泉の手からカップを受け取ってコーヒーをすすった。
「でも、お前も、一度くらいツヨムシに『好きだ』とか『愛してる』とか、言われてみたくないか?」
笑いを含んだような沢木の上目遣いに、春日は平然を装いながら答えた。
「そんなこと…口に出さなくても、わかっていれば良いんだよ。『言わで想うは、言うに優れり』ってね」
「ほーっ」
「とにかく、余計な真似はしないでくれよ」
「はいはい」


エイプリルフール当日は入学式で、三年生になった泉も強も在校生として式に出席したが、昼過ぎには解放された。新入生の入寮関係の仕事は、昨日終わっている。寮長補佐の二人も、今日はお役御免だった。
「沢木の大学?」
「うん、何か知らないけど、ツヨくんに紹介したい人がいるって」
「誰だよ?」
「僕も知らないの。連れてくればいいから、って…」
相変わらずの暴君沢木。泉は、本当に詳しいことは聞いていなかった。
「ふうん。ま、いいけど」
「うん」
二人して並んで歩きながら、泉が話を切り出した。
「それより、ツヨくん、この間の話」
「何だよ」
「僕ね。ツヨくんが、春日先輩に『好き』って言えないの、僕のせいじゃないかと思ったの」
「な、ななな、何を突然言い出すんだよっ」
慌てる強。
泉は、先日沢木に言ったことと同じ話をする。
「僕ね、あれからまた考えて、やっぱり僕がこんなんだから、ツヨくん、強くならないといけないって思って、女々しいこと絶対言えないって性格になったんだと思うの」
「やっ、そんな…」
「でもね、ツヨくん。好きって伝えることって、女々しいことじゃないと思うの」
やはり泉はポロポロ泣きながら
「好きな人に、気持ちを伝えるって、本当に大切なことだと思うの」
強をじっと見つめる。
「わ、わかった…わかったけど、別に、俺は泉のせいでこんなになったわけじゃねえし…」
「ツヨくん」
「泉」
すがりつく泉に、うろたえつつも条件反射で抱きしめる強。
ちなみに場所は百万石学園の正門前。新入生も父兄もまだ大勢いる。
新入生の間でこの綺麗な双子が、あやしい噂となったのは言うまでも無い。


「ここ?」
「うん。そう言われたんだけど…」
沢木の入学する大学の学生会館。大学はまだ春休み中だったが、暇らしい学生がウロウロしている。
すれ違う大学生達は皆、制服を着た可愛いツインズに見惚れるように振り返った。
「こっちだ」
いくつかの部室が並んでいる。その一つのドアから沢木が出てきて、泉を手招くと、辺りを牽制するようにひと睨みした。
一年生とは思えない(しかもまだ入学前)迫力に、他の学生は足早にその場を離れる。
二人が沢木に連れられて部屋に入ると、
「やあ、こんにちは」
眼鏡をかけた飄々とした人物が立っていった。
「百万石のOBの和田充生先輩」
沢木が紹介する。
「学生なんだけど、プロの催眠術師だ」
「さいみんじゅつ???」
沢木の言葉に、双子は声を揃えて驚いた。
「君が、強君だね。話は聞いているよ。緊張しなくていいから、安心して任せてね」
「な、何を聞いているって?」
怯えて後退さる強。
泉もいつもの涙目。
「大丈夫だから、心配するな」
沢木は、磊落に笑った。
「和田先輩は、ちゃんとした所で催眠療法とかもやってるプロなんだから」
「別に、そんなんで治してもらうような病気もってねえし」
強が沢木を睨んだ。
「ついでに頭も良くしてもらえるといいな」
「何いっ」
「ああ、興奮しないでリラックスして、こっちに座って」
和田は、慣れた手つきで強を引き寄せると、用意していた椅子に座らせた。
「何だよッ」
「いいから、この手を見て〜は〜い」
気が抜けるような声に、ついうっかりそのひとさし指を見て、単純強はあっという間に術中にはまった。
「ツヨくんっ」
「しっ」
「はい、だんだん眠くなりますよ〜」
和田の声と同時に、強の目がとろんとしてまぶたが閉じる。
身体が左右にゆすられる。
「眠くなる、眠くなる〜ぅ」

「アッくん、これ…」
涙目で見上げる泉を、沢木は目で制して、小声で言った。
「ツヨムシの性格改善催眠治療」
「そんなっ!」
泉が叫んだ時、ドアが開いて、もう一つの声がした。
「どういうことだ、沢木っ」
怒りの形相の春日が立っている。
「和田先輩もっ」
ズカズカ入って、春日は和田の胸倉を掴んだ。
「あ、ちょっと待って、僕は、沢木君に頼まれただけで」
「わかってますよ。でも、実際、怪しい真似しているのはあなたでしょ。さっさと解いてください」
「ええと…」
困った顔で沢木を振り返る和田。沢木は肩をすくめてうなずいた。


「ふあああっ…よく寝たあ」
大きく伸びをする強。
「よく、って五分くらいだよ?」
泉が心配そうに強に寄り添って、何か変わったところは無いかと見つめる。
「んーっ、でも、すっきりしてるんだけど」
強が言うと、
「あれはまずストレスを取り除く治療でね」
和田が微笑んだ。
「催眠をかかり易くするための前段階だったんだけど…」
そこまで言って、春日に睨まれて慌てて口を閉じた。
「ふうん。こんなに気分良くなるなら、またやってもらってもいいや」
「そうかい?いやあ、君はとっても術にかかり易いタイプだから、僕も…」
「先輩っ」
「あ」
春日の不機嫌な声に、再び口を閉じる和田。
「まったく、ほら、帰るぞ。強」
春日に手を引かれて
「えっ?」
強は泉を振り返る。
泉はコックリうなずいた。
「ごめんね、ツヨくん…僕、本当に知らなかったんだよ」
小さな声は、強には聞こえなかった。
「ほら」
ぐいぐいと沢木に手を引っ張られて、強は部屋を出て行った。
それを見送った沢木が泉に近づくと、
「アッくん、ひどいっ」
パチンと頬を叩かれた。驚きに目を瞠る沢木。
痛さでいえば猫パンチくらいにしか効いていないが、泉が初めて沢木に手を上げたというのがショックだ。
「催眠術なんて危ないこと、勝手にツヨくんにするなんてっ」
「や、危なくないよ」
和田の言葉は、二人には綺麗に無視されている。
「ごめん、泉」
「やっ、許さない」
「悪かったよ」
泉の華奢な身体を抱きしめて謝る沢木。
「今日のことは謝っても、僕、絶対、許さな…」
言いかけた唇をふさがれる。
「んっ」


「じゃあ、僕は、これで…」
和田は、すごすごと部屋を出て行った。



「春日、どうしたんだよ」
手を引かれながらの強が、見上げて言うと、
「お前こそ、何をされかかっていたのかわかってるのか?」
春日は不機嫌な声で答えた。
「んー?なんか、俺の頭を良くしてやるとか言ってたような…?」
「馬鹿」
「なんだよっ」
頬を膨らませ、唇を尖らす強。
ひと気の無い校舎の近くまで来ると春日は立ち止まり、強の髪をくしゃっと撫でてそのまま脇に抱き寄せた。

沢木に呼び出された時間より早めに行ったのは、嫌な予感がしたからだ。
案の定、とんでもないことをやっていた。
(催眠術かけられて、好きとか言われても嬉しいもんか)
春日の心の叫びを知らない強は、きょとんとしたまま。

「お前は…」
春日が、ポツリと言った。
「強は、今のままでいいから…」
「俺?……馬鹿のまんまがいいってこと?」
ちょっと考えた後、ムッとして眉を寄せた強。
春日は、プッとふき出した。
「強、可愛い」
「へっ」
「強、愛してる」
ぎゅっと抱きしめられて、強は慌てた。
けれど、泉の言葉がよみがえった。

『好きな人に、気持ちを伝えるって、本当に大切なことだと思うの』

強は顔に血を上らせたが、思い切って言った。
「俺も、春日が好きだ」

春日が固まった。

「あ、愛し、てる…」
普段なら考えられない蚊の鳴くような強の声に、春日は美しい顔を驚愕にゆがめて、強を見つめた。
強は、なんで春日がそんな顔をするのかわからない。
何で、そんな首吊り死体でも発見したような顔をするのか?
「春日?」
頬を染めて上目遣いに見上げると、春日は
「お前、やっぱり、催眠にかかってるのか…?」
「はあっ?」
強の顔が、今度は怒りで赤くなった。
「せっかく思い切って言ったのに、何だその台詞はっ!」
「だって、強が」
「うっせえっ!もう二度と言わねえ!!っていうか、嘘だよ、嘘っ」
「強?」
「そうだっ、今日は、エイプリルフールだかんなっ、今のは全部、嘘っ」
「強…」

せっかくの滅多に無いチャンスを逃したということに気づいた春日は大後悔したが、時すでに遅かった。

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