「そなた、札は取り替えたか?」
俺が近付くと、その「福」はびくりと身体を震わせ、俯いてしまった。
まだ年若い娘の神だった。親からお役目を継いだばかりに違いない。
「もしや、初めての節分か?」
「は、はい・・・」
消え入りそうな声に合わせて、髪にあしらった玉の飾りが小さく鳴る。
伏せた睫毛を涙が濡らしている。
花の汁で色付けたらしき薄桃色の爪が、ふっくらとした唇を覆い、声を出すのを堪えていた。
「お役目が、大切だとは、分かっているんです・・・でも、私「鬼」なんて怖くて・・・
上手に出来るか分からなくて・・・皆に嫌われちゃうし・・・」
掠れて震える声でそれだけ搾り出すと、娘はしゃがみ込んで泣き出してしまった。
「・・・」
若い神にはよくある事だった。
特に、初めに「鬼」を割り当てられる者には、珍しい事ではない。
「そなた・・・名は何と?」
俺は娘の背を撫でながら、努めて穏やかに話し掛けた。
「は、はい、私、縁(ゆかり)と言います」
「縁か。俺は針。今年、「福」を担う者だ」
そう言って、俺は「鬼」の札を取り出した。
「あ、あの・・・」
縁は目に涙を溜めたまま、私を見つめている。
不覚にも、言葉に詰まった。
(・・・このまま、俺がもう1年「鬼」を続けてやっても・・・)
迷いが心の中に顔を出す。
(否。それでは縁は今後「鬼」の務めを果たせなくなってしまうだろう・・・)
「縁。これを受け取れ。そして、俺にそなたが持つ「福」の札を渡すのだ」
濃紫の札を縁の手に握らせる。
「針様・・・」
縁は胸元から朱色の札を取り出しはしたものの、戸惑っていた。
「聞け。我等、運気の神が「鬼」と「福」を交互に担うは、古よりの決まり事。
これを俺の一存で破る訳にはゆかぬ」
縁は黙って俺を見つめている。
「だが、未熟なそなたに俺が教えられる事は多い筈。それに「鬼」と「福」とは共に在る事も多きもの。
故に、俺がこれより1年間、そなたに付き添うてやる」
「え・・・?本当ですか?」
驚きに見開かれた黒い眼に見つめられ、再び俺は言葉に詰まった。
「ありがとうございます!針様!私、頑張りますから!」
そう言うと、縁は私に飛び付いた。
柔らかそうな髪から香る芳香に、華奢な背を思わず強く抱き締めてしまってから、ふと我に返った。
(少々甘かったか・・・己に)
視線を感じてそちらを見やると、先刻の犬が、何とも不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。
(・・・まあ、良かろう。「鬼」が「福」を得る事があってもな)
すっかり笑顔を取り戻した縁の手を引き、俺は豆まきも終わりに近付いた寺を後にした。
了