その朝の太陽は、新たな草の芽生えと共に、ティトーを連れてやって来た。
「ティトーが眼を覚ましたよ!!」
自分の足で立ち上がり、嵐の前と変わらず微笑む息子を前に、両親は初め言葉を失ったが、
抱擁を求めて伸ばされた腕の温かみを感じたその瞬間、歓喜の祈りを叫んで力一杯息子を抱き締めた。
村人は奇跡の名を囁き合い、次々と祝いの言葉を述べに、ティトーの家を訪れた。
「良かった、本当に良かった…」
普段は穏やかな微笑みを絶やさない、村で1番優しい医師が、眠れぬ夜のせいで隈の浮いた疲れた顔を、
涙で濡らして少年を抱き締めた時は、思わず貰泣きしてしまう者もいた。
「ありがとう、先生」
「皆も、本当に、ありがとう」
そんな中で、ティトーは終始物静かだった。
そして皆の興奮が冷め遣らぬ内に、彼は再び両親と向かい合っていた。
「父さん、母さん。改めて、言いたい事があるんだ」
父は笑っていた。母は俯いて何かを悩んでいたようだったけれど、
何も言わずにただ自分達を見つめている息子を見て、決心したように頷いた。
「何だ、ティトー?」
どちらも何が言いたいのか、分かり過ぎるほどに分かっていたが、それでもあえて父は尋ねた。
「体が回復したら、秋になる前に旅に出る。竜の羽探しに、『古の西の島』を目指す。
決めてたんだ。アーイを助ける事が出来たら、この村を出ようって。止められても、何としても出ようって。
俺はもう子供じゃない。だから、その証を得て、またこの村に帰ってくる。必ず!」
長い衰弱の間にやつれた筈のティトーの顔は、穏やかな中にも燃え上がるような意志を宿していた。
「どうしても、行くのだな」
「ああ」
止められても村を出る、という決意は、嘘ではなかった。
だが出来ることなら彼は、両親の許しを得て旅に出たいと思っていた。
「…分かった。行って来い。だがな、ティトー。そうまで言うなら、
竜の羽を手に入れるまで、村には帰って来られないものだと思え!」
語気荒く言い放ったその時父は、時が来たのだ、と思った。息子は最早巣で親鳥の帰りを待つ雛では無く、
今まさに飛び発たんとする若い鳥だった。
「どうしても、行くの?」
それでも母は引き止めた。彼女にとって、村の外は危険が満ち溢れる場所でしかなく、
愛する子をそのような場所に解き放つ事は、恐怖以外の何者でも無かった。
「ああ、行くよ。アーイも一緒に」

「あの子も?」

何と言うことだろう。息子は、隣でしっかりと兄の手を握っている小さな妹までも
連れて行こうと言うのだ。そして、妹もそれを承知している!
「そんな…アーイまで…」
「お願い、お母さん。私、お兄ちゃんと一緒に行きたいの。ずっと前から約束していたの!
だから、これだけは譲れないわ!」
ずっと前から。娘のその言葉が胸に響き、母は唇を噛んだ。
この旅立ちは、この子達が生まれた時から決まっていた事…運命だったのかもしれない。
夫と共に命をかけて護ってきた子供達が、何時か巣立つ事。
それがどんな形で訪れるのか、考えなかった訳では無い。
「母さん。必ず帰ってくるよ」
「お母さん!」
清水のような2人の眼差しに、母は折れた。
「…分かったわ。行きなさい、2人で。でもね、ティトー。アーイを絶対に護ってあげるのよ。
そして、アーイ。貴方は絶対危ない事をしては駄目。お兄ちゃんを助けてあげてね」
「お前達2人なら大丈夫だ。私達はここで、この村で、この故郷で、お前達の帰りを待っているよ」
親子は微笑んだ。信頼と情愛の笑みは温かく、双方の魂を勇気付け、瞳を輝かせた。
「ありがとう、父さん、母さん」
ティトーはこの瞬間、他の誰でも無く、この父とこの母の下に生を受けた事を、感謝した。
嵐の爪痕が消え、それと引き換えに多くの恵みが村にやって来た或る日の朝、
兄妹は村を出ようとしていた。
「気を付けてな」
父は息子の肩を叩き、娘を力一杯抱き締めた。
「…帰ってくるのよ」
母は息子の髪に触れ、娘の額に口付けて、涙を堪えた。
言葉は少なかった。少年の大切な旅立ちを、村人達は静かに家の中で祝い、無事を祈った。
「行ってきます」
「それじゃあね、お父さん、お母さん!」
羽無き兄と、花羽の妹は、太陽に向けて旅の初めの一歩を記した。

第1章・完

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