私が高校を卒業した次の年、或る友人と共に卒業式に出かけた。
その時、世話になった先生から、今度また1年生の担任をすることになったので、
卒業生から何か1言、新入生に向けてメッセージは無いか、と聞かれたので、
私は「校則はきちんと守ろう」と言った。
あまりに普通というか、当たり前な答えだったので、先生には意外だったらしい。
しかし、自由な校風の母校には、正直校則は有って無きが如しものであったと思う。
その点に関しては、在学中から常々疑問を持っていたので、こんな言葉が口をついて出たのかも知れない。
高校生活、というものは、それまでの学校生活とは色々な意味で異なるものだった。
学校に通う人間も、様々な場所からやってくるし、生徒の数も増える。必然的に関わる人間が増え、
学ぶことも多くなる場である筈だ・・・というのは今現在の意見だが、
入学前も漠然と『これまでの生活との違い』を感じていたように思う。
もともと志望校へ入れる可能性は50%と言われての受験だったので、入ってからきちんとやっていけるか、
どんな人がいるのか、等と必要以上に考えていたように思う(別に、特別な事ではないけれども)。
今になって振り返ると、高校時代が1番物事の捉え方が尖っていた頃だと思う。
父親と上手くコミュニケーションが取れなかったのもこの時期だし、様々な出来事や意見に対し、
半ば意図的に偏った見解を持つようにしていた。
ありがちな事だが、自分を何かしら特化しようというのが、私の高校時代全般を通じての意識であった。
しかもそれは或る種の技術や資格を身に付けようとか、そう言った具体的な事でなく、
様々なものへの意識、言い換えればものの見方という点において、である。
極端な話にはなるが「自分は何か特別な考え方を持っているんだ、人と違わなくてはいけないんだ、
そうあるべきなんだ」というような事を真剣に、
半ば脅迫されたように考えていたのだ。周囲に対する見方が偏る事は必然であったと思う。
だが、幸いにも高校では良い友人に恵まれる事ができ、そういう人々との交流を重ねていく中で、
反省すべき事や、改めて考えさせられた事、新しい見方に気付く事が出来たと思う。
今なお交流を続いている友人は何人かいるが、やはり彼等からは未だ学ばされる事が多い。
私にとっての高校生活というのは、変化の連続であった。3年間という極めて短い時間ではあったものの、
日毎夜毎に自分自身が変わっていくように感じられたのは、決して誇張でも何でも無いと思う。
今もそういう変化が全く無いとは言わないが、現在の変化というのは基本的な事柄に新たなモノを追加して行く、
言わばパソコンのソフトウェアのヴァージョンアップのようなものであるように思う。
それに対して、当時の変化というのは、自分の中で培ってきた全てを根本的に覆す事だった。
壊してまた作り直すという言葉が最も相応しい時期だったのだろう。
そういった時期を経て、今の自分を見つめ直すと、何も変わっていない部分、
大きく変わった(というよりは落ち着いた)部分等、様々な部分が見える。
そのような視点を作り上げる手伝いをしてくれたという意味で、
私の高校生活は、非常に恵まれたものであったと言えるのではないだろうか。
了