泣いている少女の名前はチトセハナノエン、その小さな身体を抱き上げて優しく揺すっている老人の名前はクモヨリクダリシといいました。
<星砂海岸>
「さあさ、姫様。たくさん泣いて、くたびれたでしょう。少し、お休みしましょうか。」
夕暮れ、空はまだ太陽の紅を名残惜しみ手放しきれない。
泣いていた小さな姫は、乾いた木肌に似た老人の手に頬を包まれ、涙に止まれといった。
「うん、クモじい、チトはとっても疲れた。」
何時何処とも知れぬところ、此処は海岸。
人影を支える浜辺の砂は熱い白色、自ずから輝いている。
「でも、チトはクモじいのおはなしを聞かないとお休みといえない。」
その髪と同じ輝く黒い眼が、老人の眼を映す。まだ細くなる前の柔らかい手が、老人の顎鬚を撫でた。
「クモじい、おはなし、して。」
「はい、姫様。」
見上げた頭上に、たなびく雲。
夜まではまだ少しかかるであろうこの時。
「では、この海岸のお話をしてあげましょう。昔々、この海岸の砂は今のように白くはなくて、ひどく汚されていました。」
「なんで?」
「この海の向こうから、よくないものがみぃんな、此処へ流れ着いてしまったからです。」
「よくないものってなに?」
「それは姫様がもう少し大きくなったら教えてあげましょう。」
「ふぅん。」
「この海岸には海々砂(みみすな)という娘が1人、暮らしておりました。
海々砂は大海原の娘の1人で、金色の髪と目を持つ乙女でしたが、海岸の砂が汚されていた為に、その髪も斑に濁っておりました。」
「かわいそう。」
「はい。とても可哀想な方でした。
毎日毎日、父であり母である海の水を少しずつ分けてもらって、砂浜を洗っておりましたが、
よくないものはどんどん流れてきますので、とても追いつきません。
疲れ果てた海々砂は、毎日泣いて暮らしておりました。」
「かわいそう。」
「しかし或る日の夜、海々砂がいつものように泣いていると、誰かがそっと涙を拭ってくれました。
驚いた海々砂が顔を上げると、そこには見知らぬ若者が立っていたのです。」
「わかもの?」
「姫様の兄上様、トワノヨザクラ様のような方のことです。」
「にいさま!」
「そうですとも。さて、海々砂は若者に『あなたはだれ?』と尋ねました。
すると若者は優しく微笑んで海々砂の手を取りいいました。
『私は綺羅屑(きらくず)、天の息子の1人で、この海岸の空に住まう者です。
毎夜、涙を流す貴女を慰めたくて降りてきました。』と。
こうして海の娘・海々砂と天の息子・綺羅屑は出会い、言葉を交わすようになりました。」
「なかよしになったの?」
「ええ、そうですとも。2人はとても仲良しになったのです。
しかし、海々砂は綺羅屑と一緒にいられる時は良かったのですが、独りの時はやはり砂浜の汚れを深く嘆いておりました。
そこで綺羅屑は、どうにかして海々砂の涙を止められぬものかと、姉である青群雲(あおむらくも)に相談をしました。」
「それで?」
「青群雲は弟の願いを聞き入れ、彼に海々砂と一緒に自分の所へ来るようにいいました。
2人が青群雲を訪ねると、彼女はいいました。
『海々砂、貴女の浜辺を弟が綺麗にしたいといっています。私は弟の願いを聞きました。
これから毎日、少しずつ。貴女の砂を、私のもとへ持ってきて頂戴。』
海々砂は尋ねました。
『砂を一体どうなさるのですか?』
青群雲は不安そうな海々砂を抱き締め、いいました。
『私がそれを天へ届けます。そうして弟が貴女の砂に星の光を宿し、汚れを清めます。
星の光を宿した砂は、雨となって再びこの海岸に降り注ぎ、貴女のもとへ還るのです。』
海々砂はとても喜びましたが、ふと顔を曇らせました。
『でも、きっとまた海の向こうから、汚れが運ばれてきます。』
すると今度は綺羅屑がいいました。
『その通りだろう。だから、海々砂。私はずっと貴女の砂に星の光を宿し続ける。私は貴女と共に在る。』
綺羅屑の言葉に、海々砂は初めて嬉しくて泣きました。」
「嬉しくても泣くの?」
「はい、姫様。姫様が大きくなったら、きっとそういうことがありますよ。」
「ふぅん。」
「こうして海々砂と綺羅屑、そしてその優しい家族の力を借りて、海岸の砂は美しく在り続けることができるようになったのです。
海々砂が深い悲しみに沈むことは、2度とありませんでした。」
「よかったね!」
「嬉しいことですね。とても」
チトセハナノエンの涙は乾き、その跡も最早無く。
空は何時しか陽光に別れを告げ、夜に染まり始めている。
「クモじい、お砂がキラキラしてる!」
2人の影を沈めた浜辺は、夜空に似せて煌く。
「はい、姫様。これが、星の砂なのです」
「海々砂と綺羅屑のだね!」
小さな姫は、手を叩き。老人は姫を砂浜へ立たせてやる。
「クモじい、チトは眠くなくなったよ!」
笑う姫、笑う老人。
「それはそれは。ではお夕飯を頂いて、お風呂に入って、お休みしましょう」
笑う2人は、家路へ。
了