歯車

朝から出かけていた彼女が帰ってきた時、空はすっかり暗くなっていた。

「また拾ってきたの?」
両の手には袋を二つずつぶら下げている。
「違うわ。買ったのよ」
彼女はマーチンを脱ぎ散らかして言った。
「誰から」
「わたしの知らない人だからあなたも知らない人よ」
「幾らで」
「財布ごとあげたのよ。財布に幾ら入っていたかは忘れてしまったけど」
部屋の隅でくしゃくしゃになっている麻のカバンは彼女の物だ。
彼女はいつもその下に財布を隠している。
でもきっと中は空だ。
「それで、見つかったの?」
「いいえ。ないわ。またないのよ」
どの袋もしっかりと口が結わえてある。
「まだ見てないじゃないか」
「でもわかるの。感じないのよ。もうとても疲れたわ」
彼女はふるりと頭を振って両手に持っていた袋を置いた。
辺りには同じような袋が数えきれない程転がっている。
何ヶ月も前から、全部彼女が一人で溜めた。
「絶対わかるのよ。あんなにきらきらしてたんだもの。綺麗だったのよ。
でも今もそうだとは言えないかしら。汚れているかも知れない?でもわかるわ、大丈夫」
手当りしだいに袋の口を開けてひっくり返す。
大きいものから小さいものまで、全部床にぶちまける。
おかげでフローリングは傷だらけだ。
「いつもこうよ。わかってるのにそれでも持ってきてしまうの。
わたしがいけないの?でもあのコもいけないのよ。そうでしょ?」

言いながら袋を開ける手は休めない。
あっという間に砦が出来て、彼女はその中に籠ってしまう。
「どうして黙って行ってしまったのかしら?ねえ、どう思う?」
「さあ」
「もうわたしのことを嫌いになってしまったのかしら。こんなに探しているのに見つからないのよ?」
「どうだろうね」
「わたしとても寂しいのよ、辛いのよ。ちゃんと伝えれば良かったのかしら、
でもこんなに長い間ひとりぼっちになるなんて考えたことがなかったのよ、
いつも聞こえていたのにこんなことになるなんて。ああもう本当にどうすればいいの?
ねえわかる?全てを失くしてしまったような気持ちになるのよ、心臓がもぎ取られたような」

彼女は自分で作った砦を壊してその上を歩いた。
治りかけていた足の裏の傷がまた開いて、血が流れ出る。
僕はいつも通り靴を履いたまま部屋にあがる。
そして彼女の血がついた歯車を踏みつけて溜め息をつく。
「もう動かないのかしら、あの音はとても冷たくて素敵だったのに。あなたはあの音が嫌いだった?どう?」
彼女は随分前に動かなくなった懐中時計を振って意味もなくネジをまいた。
僕が蹴飛ばした一際大きくて重たい歯車は、さっき揃えたばかりのマーチンにぶつかって、ドアに傷をつけた。
此処はなんだか、全てがおかしくなってしまったと思う。
僕があの歯車を捨ててしまってから。

弓凪 藍さんのHP『Apple Jack』(現在は閉鎖されています)でキリ番(2000番)を踏ませて頂きました!!
そして『P's Mansion』初、SSを頂いてしまいました!!
もうキリ番踏めただけで感動なのに、更にリクエストまで!!
「歯車」というキーワードで何か作品を、とお願いしたところ、こんなに素敵なものが(><)
素描か銅版画のような文章世界は私の憧れです。
弓凪さん、本当にありがとうございました!


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