父と母と息子がおりました。
息子は兄と弟でした。
家族は旅暮らしをしていました。
弟が4つの時、5つ年上の兄に手を引かれながら通った獣道で、
彼の腰に揺れる小さな麻袋に何かの種が住み着きました。
それは簡単に払い落としてしまえる、小さな小さな種でしたけれども、
彼はそのままにしておきました。
或る日父の身体に太陽が降りてきて、
酷く熱く熱くなってしまって、
そのまま太陽に行ってしまったので、
母と息子になりました。
その頃、弟の麻袋の上で、小さかった種は、
小さな薄緑色の芽を出していました。
時が経ち、弟がその人生で14度目の夏を迎えた翌日、
母は再び妻となりました。
兄は祝福の笑顔と花冠を母に捧げ、
代わりに弟を連れて新たな道を行きました。
その頃、弟の麻袋の上で、小さな薄緑色の芽は、
美しい蔓を伸ばし始めていました。
「その蔓を切ってやろうか」
「いいんです。これは僕が死ぬまで側にいてくれる」
兄弟は長い時を共に過ごし、
その時々で兄は、幾度も幾度も弟の小さな麻袋に住み着いた
鮮やかな緑を引き裂こうとしましたが、
弟は頑として兄の意思を拒み、兄の刃を拒み、
終には兄から逃げ出しました。
兄が何故弟を包む緑をそうも嫌がったのか、
今となっては誰にも分かりません。
そして何故弟が、自らを取り巻く緑をそうも守りたがったのか、
それも今となっては誰にも分かりません。
独り旅する事になった弟は、
その後長く長く生きて、
或る名も無い町でその歩みを止めました。
寒い冬の朝、凍り付いた石畳の上に横たわる老人の横で、
大きく開いた朱鷺色の花、
その薄絹の如き花弁の妖しさは、
夜半の月か女の柔肌のようであったと、
道行く人はそれを見て、悲しみよりも前に、
何かへの渇望に満たされたと言う事からも、
お分かりでしょう。
その花は、小さな弟が老人になって初めて、花を開かせたのです。
了