エゼロがなかなか目を覚まさないのは別に珍しいことでも何でもありませんでしたが、
リンクは今日のエゼロが目を覚まさない理由はいつもと違うように感じました。
何だかとても、苦しそうなのです。
いえ、苦しそうというよりは、悲しそうに見えました。
なのでリンクは、いつもより優しくエゼロの名前を呼んでみました。

リンクは知らないことですが、いつもならエゼロはリンクより先に起きるのです。
そしてこの勇敢で、好奇心旺盛で、怖いもの知らずの相棒が目を覚まして、自分を力いっぱい起こすまで、
眠ったふりをするのでした。
毎日めいっぱい頑張るリンクの安心しきった寝顔を眺めるのが、密かな楽しみになりつつあったのです。

でも、今日のエゼロはまだ眠りの中にいたのです。
彼はグフーの夢を見ていました。

いつものように図書室で、エゼロはグフーにピッコルの役目について話をしていました。
グフーは兎色の目をぱちぱちと瞬かせながら、真剣に聞き入っていました。
「よいか、グフー。今日は、ニンゲンの良い心と悪い心に少しだけ触らせてやるぞ」
「心に、触る?それはどのようにするのですか?」
グフーが上擦った声で尋ねるので、エゼロは声を上げて笑いました。
「ハッハッハ。オヌシは本当に「ニンゲンの心」の話になると、アツくなるのう」
ズバリと言い当てられたグフーは黙り込んで俯きました。
そんな弟子に優しい眼差しを向けると、エゼロは本棚から2冊の本を取り出しました。

「この金色の表紙の本が「良い心の本」、そして銀色の表紙の方が「悪い心の本」じゃ」
両手で抱えなければならないほど大きな本は、まるで生き物のように見えました。
エゼロはいいました。
「良く聞け、グフーよ。今からこの本を使って「ニンゲンの心」に触れさせてやるが、
それは本当の「ニンゲンの心」ではない。あくまでも「よく似たもの」でしかないのじゃ。
しかし、似姿であるが故に下手をすれば本物以上の影響を及ぼしてしまうものというのが、
世の中にはたくさんある。
この本の中に在る「ニンゲンの心」も、そういうものと思ってかかるのじゃぞ」
師の目に宿る光が、これまでにないくらい真剣なものであることに気付き、グフーは息を呑みました。
「特に「悪い心の本」には、くれぐれも気をつけねばならん。今後もワシの許可なしにこの2つの本を開くことは許さんからな」
そういうと、エゼロはまず金色の表紙の本を開きました。

・・・これが、ニンゲンの心・・・良い、心・・・。幸せを感じる、心・・・。

それを感じた時、グフーは自分の中にぽっ、と音を立てて明かりが点ったように感じました。
その明かりは丁度チロリア草のように綺麗なまるい形をしていて、とても小さくて、暖かくて、
じんわりと波紋を描いて身体の中に広がってゆくような気がしました。
知らず知らず笑みがこぼれ、少し身体が軽くなったようにも感じます。
しかしそれは本当に一瞬の輝きで、すぐに思い出に変わりました。
グフーは、物足りないような気がしてなりませんでした。

「どうじゃ?少し、元気になったじゃろ?」
エゼロに尋ねられ、グフーは頷きました。
「よし、では次は「悪い心」じゃ」
そういってエゼロは金色の表紙の本を閉じると、銀色の表紙の本を開きました。

そして、すぐに本を閉じました。
でも、それだけで充分だったのです。

・・・こ・・・れ・・・が・・・。

グフーはその時、子供の頃に負った火傷のことを思い出しました。
身体の中に熱湯の雨粒が1粒、落ちたように感じました。
ひどく乱れた傷が残ったように思いました。
ひどい痛みと苦味、そして熱。どれも嫌なもので、一刻も早くどうにかしなければ危険だとわかっているのに、
グフーは自分がこの感覚をもっともっと求めているのがわかりました。
触れていた時間は良い心よりもずっと短い筈なのに、残されたものはとても重く、確かだったのです。
大きな力に揺さぶられ、息が詰まり声も出せない、苦痛以外の何ものでもないもの。でもそれこそが自分の求めるもの。
グフーは目を閉じて、しばらく震え続けていました。
膨れ上がりそうな程に満たされて、笑いを吐き出しそうになりました。
でも、恐ろしくて震えているふりをしていました。

・・・悪い心は、何て、強いのだろう・・・。何て、重たくて・・・。何て・・・。

「ダメじゃ、ダメじゃ、グフー!」
エゼロは必死に叫びました。
手を伸ばそうとして、手がないことに気付きました。
その身体は既にピッコルのものではなく、少しくたびれた帽子に変わっていました。
悪意に満ちた笑いと共に、全ての始まりが遠ざかっていきます。
「グフーッ!!」

もう、何も、残っていません。

・・・。

「うーん、うーん」
何度も名前を呼びましたが、エゼロが難しい顔でうなっているので、リンクは困ってしまいました。
少し考えて、自分から目を覚ますのを待とうかとも思いましたが、
幸せそうに眠っているのならともかく、きっとよくない夢を見ているのであろう友達を放っておくのは、
何だかとても悪いような気がしました。
「うーん・・・うーん・・・」
悩んでいる内に、エゼロの顔はどんどん難しそうになっていきます。
リンクは慌てて、いつも通りエゼロを軽く叩き、ひょいっと掴むとぎゅっと頭にかぶってしまいました。
「うーむ・・・はっ!」
リンクの頭の上で、エゼロが目を覚ましました。
「お、おお、リンク。よく寝たのう。さあ、元気モリモリ出発じゃ!」
いつも通りのセリフですが、少し元気が無いような気がします。

リンクは、エゼロにどうしたのか聞こうかと思いましたが、止めました。
エゼロは、いつも通りにしようとしています。
それはきっと、リンクが聞こうとしたことを、エゼロは話したくないからだ、と思ったのです。

「どうした?行かんのか?」
リンクが部屋を出ようとしないので、エゼロが心配そうに声をかけてきました。
するとリンクは文字通り転がるようにして駆け出しました。
「おわわっ!オイ、コラ!リンクよ!そんなに転がってはワシがホコリだらけに・・・むぎゅ」
家を扉を勢いよく開けて、リンクとエゼロは外へ飛び出しました。

「リンク、そんなに慌てんでも・・・」
そういいかけてエゼロは、リンクがものすごく真面目な顔をしているのに気付きました。
(・・・もしや、コイツなりに気を遣ってくれておるのかのう?)
口をへの字にして、一生懸命に何かを我慢しているような顔が、エゼロの下にあります。
(やはり、ワシの目に狂いはなかったな、リンク)
エゼロは胸の中にふと、チロリア草のような明かりが点ったのを感じました。

「・・・なんじゃその顔は!フツーでいいんじゃ、フツーで!」
頭の上から、威勢の良い大きな声が降ってきます。
リンクはちょっとびっくりした後、にかっと笑って元気よく剣を抜き放ちました。

「さあ、リンク!次のエレメントを探しにゆくぞ!」

おしまい


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