その夜は、空気がごうごうと鳴り響いていた。
他に音は一切無く、ただ、ごうごうという音だけが、空と大地の間にあった。
「流石に夜になると結構冷えるな」
独り言を言いながら、ゼル=ディンはデッキで物思いに耽っていた。

ここバラムガーデンの2階デッキは見晴らしが良く、何も考えないで過ごすには良い場所だと思い、
何となくやっては来たが。
「ママ先生・・・」
黒く長い髪が一瞬、脳裏に蘇る。振り向く時にいつも、さあっと流れた黒髪。
その瞬間がたまらなく綺麗で。そっと触れると、驚くほど滑らかで。
いつもその人は傍にいた。皆の傍にいた。でも皆それを忘れていた。
幼い頃の記憶は力に封じられ、誰もそれに気付いていなかった。
ふぅっ、と思わず溜息が漏れる。すると、
「なにしてるの〜?」
背後からのんびりとした声がかかった。
「ん?ああ、セルフィか」
振り向くと、驚いたような顔をした仲間が立っていた。そして、
「セルフィだけじゃないわよ」
更に後ろから、ゆっくりとキスティスが現れる。
「めっずらし〜。ゼルが、こんな時間に1人でこんなトコにいるなんて〜」
「いたら、悪ィかよ。そういうお前等だって」
ムッとした顔で、ふいと前を向く。セルフィとキスティスは顔を見合わせると、
ゼルを挟むように彼の両側に立った。
「どうかしたの?何か、悩み事?」
キスティスがゼルの顔を覗き込む様にして尋ねる。セルフィは目の前に広がる廃墟と化した
トラビアガーデンを見つめ、少しだけ眉をひそめた。
「別に。ただ・・・ぼーっとしてただけだよ」
「昼間の事とか思い出して?」
はねつけるつもりで言った言葉を何気なく切り返され、ゼルはぎくりと身を固くした。
キスティスは笑いながら、つと視線をトラビアガーデンの方へ向け、言った。
「私もセルフィも、そんな事考えながらここに来たから、もしかしたらそうなのかなって、思っただけよ」
「ビックリだもんね〜。実はアタシタチ、幼馴染みでしたぁ〜って?」
うーン、と背筋を伸ばしながら、セルフィも言う。そんな2人を見ながら、ゼルはぼそりと付け加えた。
「んで、オレ達の敵はママ先生でしたってな」
そう言って再び黙り込むと、空気のごうごうという音が大きくなった気がした。
その音で殆ど聞こえないくらいの声で、ゼルはポツリと呟く。
「なーんで、忘れちまってたんだろうな、オレ。『物知りゼル』になった理由もそこにあったってのに」
「へぇ?そうなの?」
微かな声を聞き付けたキスティスが興味津々といった表情をすると、セルフィも勢い込んでゼルに尋
ねた。

「なになになに〜?『物知りゼルのひみつ』大公開〜?」
「バカ、何でそーなるんだよっ!」
「いいじゃない、教えてくれたって」
「そうだよ〜!知りたいよ〜!」
左右から2人に迫られ、ゼルは思い切り息を吐き出すと、渋々話し始めた。
「オレが5歳の時だよ、きっかけは。いつもみたくサイファーの野郎に泣かされて・・・」

陽射しの強い、暑い日だった。海の碧が、いつも以上に鮮やかで、
見ているだけで何だか胸が高鳴って、訳も無く幸せだった。
「アハハ、アービン、こっちだよー!こっちおいでー!」

「まってぇ、まってよー!セフィー!」
皆で海辺で遊んだ。アーヴァインとセルフィは鬼ごっこをして、
キスティスとスコールは、一生懸命貝殻を集めていた気がする。
「ほら、いーい?スコール、これがね、『さくらがい』っていうのよ」
「うん」
いつも通り、姉さん風を吹かせて、昨晩知ったばかりの貝の名を、得意げにスコールに教えるキスティス。
黙ってそれを聞いて頷くスコール。
そして自分は、ゼルは砂山を作って遊んでいた。
「とんねる、つくって、そしたらおしまいだ!」
もう少しでトンネルが開通し、完成するところだった。その時に来たのだ、サイファーが。
「おい、泣き虫ゼル。いいモンやるよ!」
「ん?なに?」
嫌な予感はしていた。サイファーが、あの、何か企んでいる時にいつも浮かべるニヤニヤ笑いをしていたから。
「ほら、手ぇ出せ!」
「ん・・・いい、いらない。ぼく、いらない」
怖くなった。また何か、変なモノ渡されるんじゃないかって。しかしサイファーは、
「なんだよ、おれがやるって言ってんだからな!はやく出せ!」
「・・・」
言うことを聞かないと頭を叩かれる!そう思ったらつい、手が出た。
「な、なに?」
「ほらよっ!」
サイファーが手にのせたのは、蟹だった。ハサミを振り上げて怒っていた蟹は、ゼルの小さな手を
力の限り挟んだのだ。

「いたいっ!」
びっくりして手を振ると、蟹は濡れた砂の上に落ちた。波がすぐにそれを海へさらう。
「いたい、よぉ・・・」
痛かった。でもそれよりも驚きと恐怖で、涙が滲んできた。
「ふぇ・・・えぇーん」
霞む視界の中で、サイファーが笑っていたのが悔しくて。更に涙が溢れてきた。
「ああー!また泣かしてるー!」
キスティスが走ってくる。アーヴァインとセルフィも走ってくる。サイファーは笑いながら何か言っている。
「サイファー!」
「やーいやーい!また泣いた!泣き虫ゼルー!」
キスティスがサイファーに掴みかかる。サイファーは逃げる。
駆け寄ってきたセルフィがゼルの頭を撫で、アーヴァインがおろおろとサイファーと
ゼルを交互に見つめる。
そして、スコールは。
ただじっと、ゼルを見つめていた。何も、言わずに。
「どうしたの?みんな・・・」
「まませんせぇ、あのね、サイファーがね、またゼルのこと泣かしたのー」
アーヴァインの声に急ぎ足になるママ先生。優しく抱き上げられて、
その細い首にしがみつくと、髪から仄かに香る何かの花の香りが、
震える身体と心を静めてくれた。
「どうしたの、ゼル?」
「サイファーが、サイファーがね、かにさん持ってきて、それで、かにさんに、おてて、はさまれた」
「そう・・・痛くて、びっくりしたのね」
「うん」
ギュッと閉じた目を開くと、スコールはまだゼルを見つめていた。
 
「その夜に、決めたんだよ。『物知りゼル』になるってな」

べッドの中で、考えていた。
(どうして、いつも泣いちゃうんだろう?泣いたらダメだって、思っているのに。
強くなりたいって、思っているのに。サイファーに何かされると、いっつも泣いちゃうんだ)
セルフィやアーヴァインだって泣くことがある。
キスティスだって、たまにだけれど、泣く。
サイファーも、実は泣いているところを1回だけ、見たことがある。
(スコールは絶対泣かない)
少なくとも、自分はスコールが泣いているところを見たことが無い。
自分だったら泣いてしまいそうな時でも、じっと黙って、絶対に泣かない。
(まませんせいも、弱虫なんかきらいかもしれない・・・)
今は優しいけれど、このままでは何時か嫌われてしまう日が来るのではないか。それが何よりも怖かった。
(強くはなりたいけど、サイファーみたいに乱暴にはなりたくないな。
スコールみたいに、えっと、そうだ、『がまん』できるようになりたいな)
忍び寄る眠気と必死で戦いながら、考えた。
(それで、サイファーとは違うことをするんだ。どうしよう?えーっと・・・)
眠気を追い出すために、勢い良く起き上がった。
(そうだ!いっぱい本を読んだりして、いろんな所に行ったりして、『物知り』になろう!
そしたら、絶対に、サイファーみたいにじゃなくて、何かできる。
まませんせいみたいに、いろんな事をおべんきょうするんだ!
ぼくは、強くもなるけど、『物知りゼル』になってやる!)
静かに聞こえる波の音が、応援してくれている気がした。

「・・・とまぁ、そんなワケで、『物知りゼル』誕生ってトコかな」
話し終えるとゼルは目を閉じ、過去の残像を頭から追い払った。
「そうだったんだ〜」
セルフィがぱちぱちと瞬きをして、深呼吸した。
「まさか、そんな理由があったなんて思わなかったわ」
キスティスも心底驚いている。ゼルはちっ、と舌を鳴らすと、3歩ほど下がって、
シャドウボクシングを始めた。
「どーせ、大した理由なんざねぇとでも思ってたんだろ?」
「ま、ね。少なくとも貴方がそんな純情少年だったとは思って無かったかも」
「悪ィかよ、純情少年で!・・・ったく」
軽くキスティスを睨み、手の動きを速める。すると、セルフィがぴょんぴょん跳ねながら言った。
「でもでも、ゼルってエライよ〜。サイファーに負けるもんかぁって、
『物知りゼル』になろうって思ってさ、ホントになっちゃったんだよ〜?
これってスゴイ事じゃない〜?」
「・・・」
ある意味、サイファーはどうでも良かった。いや、良くなった気がする。
ただ、『彼女』の為に何かしたくて。『彼女』に嫌われたくなくて。
(ま、それも今になって気付いたと言やぁ、そうだけどさ)
「ママ先生も喜んでたんじゃないかな〜?」
ママ先生。黒い長い髪の、いつも優しい、母であり先生だったひと。今はもう、遠い昔の姿だけれど。
「でも、戦わなければならないのね」
キスティスが、痛みをこらえているような顔で言い切った。
「ああ」
魔女イデア。それが現在の『彼女』の名前。大好きだったそのひとは、今は遠いひと。
「助けてあげようね、あたし達で、ママ先生のこと」
セルフィが、微笑んだ。
「そう・・・ね。倒すのではなく。私達のママ先生だもの。私達が助けなきゃ」
キスティスも、何かを振り切るように首を振り、月を見る。
つられてゼル見上げると、美しく巨大なそれは、白い石の色に輝いていた。
「やるしかねぇんだもんな、結局。避けられないんなら、オレ達がやるしかないんだ」
言い聞かせるように、一言一言はっきりと口にすると、迷いが消えていく感じがした
「独りじゃないもんね。皆がいるから、絶対、絶対大丈夫だよね」

セルフィの確信に満ちた言葉に、他の2人も力強く頷く。
いつの間にか、ごうごうという空気の音は止んでいた。


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