シュンシュンと温かい音をたてながら、水蒸気を吐き出す薬缶。
その隣には、クツクツクツと食欲を刺激する音をたてる、シチュー鍋。
時折ちらりとその2つに眼をやりながら、野菜を刻むレイチェル。
俺はベッドの中で、ぼんやりする眼を瞬かせながら、3つのものを眺めていた。

「ロック、目が覚めた?もうすぐあったか〜いシチューができるわよ」

優しい声がする。
その声に応えて微笑もうとしたけれど、力が入らなくて、何だか気の抜けた顔になってしまった。

(風邪なんて、引いたの何年振りだ?)

ひりひりと痛む喉を何とかしたくて咳き込んでみるが、どうしようもない苦しさが増しただけだった。
情けない顔をして溜め息をつくと、木で出来たお盆に食べ物をのせたレイチェルが、
穏やかな笑顔で立っていた。

俺が好きな彼女の表情。
その笑顔、笑顔、笑顔。
心の満ちた、笑顔。

「はい、どうぞ。熱いから気を付けて食べてね。おかわりもあるから」

木の匙を落とさないように、震える手に力を込める。
クリームシチューから立ち上る湯気が頬を湿らせて、それがとても心地良い、気がした。

「イタダキマス」

ひどく擦れてしまった自分の声がおかしくて、思わず笑うと、レイチェルも笑いながら、
俺の方にガウンをかけてくれた。

「無理しなくていいからね。ゆっくり、食べられるだけでいいから」
「アア」

レイチェルは年下の筈なのに、こういう時は母親みたいに見える。
こういう時ってのは、俺が参ってる時。

大口を開けてクリームシチューを口に入れると、まずニンジンの味と感触がして、
その次にマッシュルームがやって来た。

「・・・」
「お味は如何、ロック?」

俺が嫌いなもの、キノコ。
レイチェルは当然それを知っている。
なのに、何で?

「レイチェル」
「ん?どうかした?」
「ナンデキノコガハイッテルンダ?」

多分心底嫌だーって顔をしているであろう、俺。
でもレイチェルはにこにこ笑っている。
そして彼女は俺の手から匙を取り、小さなシチュー皿と化したそれにふぅふぅと息を吹きかけると、
俺の口元に持ってきた。

「ほら。あーん、ってして」
「・・・イヤダ」


キノコは嫌いだ。こんなもん食ったら、余計に体調がおかしくなる!
頑なに口を閉ざしていると、レイチェルは言った。

「食べなきゃ駄目よ、ロック!ほら、口開けなさい」

シチューが美味しいのは間違い無い。
何よりもレイチェルが俺の為に作ってくれた料理。
俺は諦めて、マッシュルームを頂いた。

「・・・!」
「はーい、よく頑張りました」

頭を撫でられて、それは流石に子供扱いし過ぎだと感じた俺が軽く睨むと、
レイチェルは声を立てて笑った。

「嫌いな食べ物って、頑張って食べようとするでしょ?そうするとね、風邪が逃げていっちゃうんだって」
「ナンデ」
「別に、何でもいいの。頑張ろう!って思う事があるとね、風邪がびっくりして飛んでっちゃうんだって」
そう言うとレイチェルは、少し困った顔をした。

「ごめんね。やっぱり嫌だったよね。シチュー、もういらない?」

俺はふっと息を吐いて首を振った。

「ソウイウコトナラ、タベル」

例え理由が無くても、間違い無く食べたと思う。
子供じみた甘えで彼女を困らせるのは、凄く格好悪い。
そんな事はしたくない。
ただでさえ、甘えてるんだし。
額に汗をかきながら、シチューを食べる俺を、レイチェルが黙って見つめている。
妙な照れ臭さも手伝って、俺は随分急いでシチューを平らげた。

「・・・ゴチソウサマ」
「どういたしまして!食べてくれて、ありがとう」

頬に触れるだけのキスをくれた後、レイチェルは後片付けをしに、台所へ歩いて行った。
ゆっくりと眠気が頭から身体に降りてくる。
俺はガウンを脱いでベッドに横たわると、長く息を吐いて眼を閉じた。

(もしも、今度レイチェルが風邪を引いたら、アイツが嫌いなもの、作ってやろうかな)

少々意地悪な考えに満足して、俺はもう1度幸せな眠りに落ちた。

たまには、風邪引きも悪くないかもしれない。


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