「兄者……」
白虎は煙る灰色の空を見つめ、すでに感覚の無くなった足をさすってつぶやいた。
(私はもうだめです)
 味方の兵士を庇って足に銃弾を受けた。その兵士とも離れ離れになって、おそらくもう生きてはいないだろう。
 家康が方広寺の鐘銘にある「国家安康・君臣豊楽」という文字に難癖を付けて始まった徳川方と豊臣方の合戦は、始まってはや半月になろうとしていたが、一進一退、いつ決着がつくともわからなかった。
 今白虎がいる砦は、徳川方の石川忠総と蜂須賀至鎮の率いる軍勢に奇襲を受けて、ほとんどの者が逃げ出してしまった。本来「戦忍び」ではない白虎が巻き込まれてしまったのは不運としか言いようが無いが、
(これも、私の運命だったのです)
 あたりには逃げ遅れた兵士の屍が積み重なっている。さっきまで血の匂いにむせ返りそうだったのが、今では何も感じない。全ての感覚が麻痺してきているのだ。
 白虎は、ゆっくりと目を閉じた。
 そのとき、ふわりと身体が浮いた気がした。
(死ぬと魂だけになるという……)
 傷ついた重い身体を捨てて、軽くなったのだろう。
 白虎が最後に思ったのはそれだった。








(ここは?)
 重いまぶたを無理に開くと、天井の木目がぼんやり見えた。
「気がついたか」
 傍らで寝そべって白虎の顔を覗き込むのは、よく知る顔だった。
「やしゃ、お、う……? 何で……」
「博労ヶ淵で死にかけているのを見つけて、助けてやったのだ」
 夜叉王丸は、赤い唇の端を上げ、満足そうに微笑んだ。
「一時は危うかったが、もう大丈夫のようだ」
「ううっ」
 白虎は起き上がろうとしたけれど、
「脚をやられているのだ。起きるのは、まだ無理ぞ」
 夜叉王丸にやんわりと肩を押されて、再び横になった。
「合戦は?」
「ん?」
「大坂は、どうなったのです? あ、兄者……兄者たちは」
 戦忍びとして合戦に加わっていた青龍や玄武を心配して悲痛な声を出すと、
「…………」
 夜叉王丸は、何か考えるように白虎の顔を見つめ、
「……皆、死んだ」
 静かに言った。
「え……」
 もともと血の気の無かった白虎の顔が、真っ青になる。
「みな……?」
 唇を震わせて、
「では、大坂は、負けたのですか……」
 蚊の鳴くような声でつぶやいた。夜叉王丸は、静かにうなずく。
「みな……兄者も……みんな……」
 白虎の両目から、涙が吹き出した。しっかりしているといってもまだ十一歳の子どもである。愛しい兄やその仲間たち、みな自分を置いて死んでしまったのだと思うと、
「うっ…ううっ…うぁあぁぁっ」
 胸を引き裂かれる悲しみに、赤子のように泣き出した。
「おお、よしよし」
 夜叉王丸は寝そべったまま、白虎の頭を胸に引き寄せると優しく撫でさすった。
「うわぁあああん」
 白虎はその胸に抱かれて、泣きじゃくった。
「好きなだけ泣くが良いぞ」
 慈しむように白虎の髪に頬ずりをしながら、夜叉王丸の目はおかしそうに細められたが、もちろん白虎にそれがわかる筈は無かった。
 ひとしきり泣いて、泣きつかれたのか、白虎は眠ってしまった。まだ体力も十分に回復していないのだから仕方ない。
「起きたら、次は何と言ってやろう」
 夜叉王丸は、ほくそえんだ。
 
 
 



 白虎は次に目を覚ましたときに、
「何故、私だけ助けたのです」
 泣きはらした赤い目で訊ねた。
「みんな死んでしまったのなら、私もあそこで死なせてくれればよかったのに」
 再び涙ぐむ白虎に、
「そのようなことを言うものではない」
 夜叉王丸は、夕餉の粟粥を椀によそいながら言った。
「それでは、朱雀が悲しむぞ」
 朱雀の名前を出されて、白虎はハッとした。
「朱雀の……兄者」
 この合戦のことを聞きつけた朱雀から、一度だけ極秘の連絡があったが、
「もはや、死人(しびと)には関係の無いこと」
 と、玄武が念を押して連絡を絶った。おそらく今も甲斐の国で心配しているに違いない。
「お前が死ねば、朱雀が悲しむだろう」
 夜叉王丸が繰り返す。
 白虎はコクンと頷いて、そして、その瞬間胸に湧きおこった不思議な気持ちに戸惑った。
「……朱雀の兄者が悲しむから、私を助けたのですか?」
「何?」
「私を助けたのは、兄者を悲しませないためですか?」
 何故こんなことを尋ねているのか、白虎にもわからない。
「そうだな。私は、あれがかわゆい」
 夜叉王丸は、クツクツと笑った。
「…………」
 白虎は、無意識にきゅっと唇をかんだ。
「さあ、少し食べよ、身体のためだ」
 さじにすくった粥を差し出されて、白虎は顔を背けた。
「食べたくありませぬ」
「これは、わがままなお子だ」
 夜叉王丸は粥を吹いて自分の口に含むと、おもむろに白虎に覆い被さり、唇を重ねた。
「んっ、んんんっ」
 嫌がる白虎の顎をつかんで無理やり口を開かせて、粥ごと舌を差し込んだ。
「ん…ふ……っう」
 いやいやと首を振る白虎に、夜叉王丸は微笑んで、
「自分で食べぬと、こうじゃ」
 白虎は涙目で夜叉王丸を睨む。
「それとも、白ウサギはこうして食べさせて欲しいのか?」
「……自分で、食べます」
 起き上がろうとしたけれど、やはりそれは無理だった。
「寝たまま、口をあけるが良い」
 夜叉王丸はにっこり笑って、再び粥をすくった。ふうふう吹いて冷まして、白虎の口元に運ぶ。白虎はおずおずと口をあけた。小さな丸い舌が覗くのが、たまらなく愛らしい。夜叉王丸は、雛の世話をする親鳥の気分を楽しんだ。



 実のところ、真田雪村を中心とした大坂方の奮戦振りは徳川の予想外で、両者の間では、今にも和睦が成立しようとしていた。白虎の兄たちもみな無事である。けれども、そんなことを正直に教えてやるような夜叉王丸ではない。
 そのことを知った白虎が激怒するのは、まだ少し先のことである。

 
 
 
 



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