「悲しいよねェ」
おぎんは、もう一度そう言って、腕に抱いた赤子の生き人形の頭を撫でた。
又市は俯き、百介は柳屋の方に目を遣って、春風にそよそよと枝を揺らしているのが、遠目にも見て取れる柳の大樹を眺めた。
吉兵衛が次々と罪を犯すのを、あの柳はただ黙って見つめていたのだ。
神木だの化け柳だの祟り柳だの等とは、柳を見る人が勝手に言い立てることであり、柳の木は、ただ静かに、四季の移ろいと共に生を重ねているだけなのだ。
あの柳だけではない。人の心の暗闘、葛藤などに関わりなく、季節につれて森羅万象はただ移りゆくのである。
だが、この世に人のある限り、その一つ一つの位相に、人の想いの光と闇とが刻み込まれてゆくのも、又真実なのではないかと思う。
あの柳に刻まれた暗い位相が、これからは明るいものに充たされてゆくことを、百介は、八重とその子の為に祈らずにはいられなかった。
沖に目をやると、蒼く霞む春の海に白い帆が幾つも浮かんでいる。
いつもの品川の海である。
「じゃア、あたしはもう行くよ」
おぎんは、人形を笈の中に仕舞うと、踵を返した。
「おゥ」
又市も、品川の方へ下りていくおぎんとは、反対の方へ足を進めようとしたが、
「先生」
百介が凝乎と立ち尽しているので、声をかけた。
「如何かなさいやしたか」
「ああ、いえ」
はっと我に返った顔になる。
又市の顔を見、何故か少し顔を赤くした。
「何でもないんです」
「奴は朱引の内へ戻りやすが…。先生は如何なさいやすか?」
「ああ」
百介は、頷いた。
「私も江戸へ戻ります」
「じゃア、御一緒致しやしょうか」
と言うと、ぱあっと顔が明るくなった。
―判り易いお人だ
内心で苦笑しながらも、又市はほっとしていた。
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