WAPASSOU

  フランスのプログレッシヴ・ロック・グループ「WAPASSOU」。 70 年キーボードのフレディ・ブリュアを中心にストラスブールにて結成。 74 年アルバム・デビュー。 ユニークな三部作を発表するも、その後作風が変化、87 年に活動停止。
  三部作はドラムレスの編成によるエレクトリック室内楽。 CRYPTO レーベル。

 Messe En Re Mineur

 
Freddy Brua keyboards
Karin Nickerl guitars
Jacques Lichti violin
Eurydice vocals
Fernand Landmann sound
Gisele Landmann light-show

  76 年発表の第二作「Messe En Re Mineur」。 三部作の劈頭を成す作品であり、約 40 分にわたるオリジナルの「ミサ・ニ短調」一曲から成る。 その内容は、ロックというよりも電気楽器による室内楽あるいはニュー・エイジ・ミュージックの先駆けの一種であり、かなり風変わりである。 ギター、ヴァイオリン、オルガン、メロトロンらがエフェクトを駆使して重なりあい、リズム・セクションを欠くためにビート感のないままフワフワと永久に漂い続ける。 演奏そのものは稚拙であり、チープなエフェクトによる音響ゆえに、ジャーマン・ロックのようにシンプルな反復やパターンが生む「冴えた幻惑世界」といった味わいもない。 (POPOL VUH をぐっとヘタにした感じはあるかもしれない) 演奏も編集作業もマイク・オールドフィールド一人にすら太刀打ちできていない。 それでも、素朴な音が旋律を成してこだましながら他の旋律と干渉しあううちに、次第に夢見心地を超えて一種の神々しさともいうべき独特の境地が見えてくる。 もちろん、神々しいとはいっても高尚なものではなく、サイケデリックな酩酊の果てのものではあるのだが。 これは、音楽的な計画性や運動性とは無縁の、幼児のような無邪気さとひたむきさが偶然生み出した音なのではないだろうか。 結果として出てきた音は、教会音楽、クラシック、フォーク、エレクトリック・ミュージックといった雑多な音楽的バック・グラウンドが、微妙なポイントで均衡した奇妙なものになった。 終盤に近づくに連れ、インチキ臭いいかがわしさと無垢な姿勢がごちゃごちゃになり、奇天烈さはいよいよ増大する。 全編、オペラともスキャットとも効果音ともつかぬソプラノのヴォーカル入り。 作曲はフレディ・ブルア、プロデュースは J.C. ポニャン。
  オルガンは音に説得力をもたせるために存在し、ヴァイオリンは主として不安をあおり緊迫感を高める存在であり、エレクトリック・ピアノは素朴ながらも構築されたイメージを付与している。 一方、ギターは、性急で不恰好な存在として、全体をかき回すような役割のように思える。

(KICP 2806)

 Salammbo

 
Freddy Brua keyboards
Karin Nickerl guitars
Jacques Lichti violin
Fernand Landmann sound
Gisele Landmann light-show
Monique Fizelson vocals

  77 年発表の第三作「Salammbo」。 三部作の第二部。 テーマはグスタフ・フローベールによる同名の小説。 内容は、古代都市カルタゴをめぐるドラマらしい。 ムソルグスキーも同作品にインスパイアされたコーラス入りの小品を残している。 おそらくインスピレーションをかきたてる文学作品なのだろう。 高踏な文学趣味がいかにもプログレらしく、その背伸び具合が微笑ましい。 アルバムは、15 分以上の作品を LP 両面にすえた二部構成。 前作とほぼ同じサウンドながら、緩急/動静/高低のドラマがちゃんとある。 叙景的な効果を狙ったと思われるエレクトリックなノイズもあり、シンセサイザーも頻繁に使われている。 作曲はフレディ・ブルア、プロデュースは J.C. ポニャン。 裏ジャケットには、本盤製作にあたっての VISITORSATLANTIDE の仕掛人、ジャン・ピエール・マッシエラへの謝辞がある。

  一部(18:04) ドラマチックなピアノの和音進行をバックにした男性のモノローグで始まる。 モノローグにはフランス語独特の響きと低音に独特のヌメッとした感触がある。 追いかけるように女性のスキャットが始まる。 なかなか劇的なオープニングだ。 続いて激しいアジテーションと軍隊の行進のような SE。 となると最初のアジテーションはヒトラー? おそらくテーマと関連すると思われるがよく分からない。 ピアノの和音、スキャットによるふわふわした演奏が続く。 一旦演奏は消えてゆく。(1:38) いつの間にかバイオリン、ギター、シンセサイザーそして女性ヴォーカルらによるベース、ドラム不在という特徴を生かしたホワホワした夢のような演奏が始まる。 天国で人間の愚かな所業を笑っていらっしゃる方々のための BGM のようである。 タイトルのわりには、これといって何かの描写という様子もない。
  続いてヴァイオリンとオルガンによるおだやかな演奏が始まる。 伴奏はギターのアルペジオ。 オルガンのリードするテーマをシンセサイザーが追いかける。 オルガンはまさしく夢見るようなメロディを奏で、ワウ・ヴァイオリンがユーモラスに絡みつく。 そしてけばだったファズ・ギターも参加。 幼少期の思い出を語るような、慈愛の響きあるアンサンブルである。 ヘタウマ的魅力のある演奏だ。 (4:00)
  不気味に低音を繰り返すオルガン。 上声は変調させられたヴァイオリンのノイズだろうか、風のように吹き荒れ狂おしく暴れ始める。 ギターはおちついた演奏を続けている。 オルガンを補うように金属的な音のシンセサイザーが現れる。 メタリックな音なのにフレーズはきわめて人間臭く訥々とした調子である。 存在感あるオルガン、ギターの音。 (5:48)
  再びオルガンの不安げな響き。 嵐は吹き荒れる。 狂おしい「Salambo...」の叫びとともにヴァイオリンは悲劇的なメロディを力強く歌い上げる。 そしてドラマは動き出す。 (6:07)
  ヴァイオリンのリードへオルガンが重なり、スリリングなアンサンブルを成す。 ヴァイオリンのトレモロに重厚なオルガンが応じ、緊迫度合いを高める。 オルガンが、一人かけあい風の新たなテーマを提示、あたかもテルミンのように変調されたヴァイオリンが応える。 珍妙なかけあいだ。 オルガンはシャープなジャズ風のアドリヴを見せるのだが、エフェクトされたフニャフニャのヴァイオリン、ギターも合わせた全体としては弛緩した演奏になっている。 (8:53)
  ヴァイオリンがクラシカルにして荒々しいテーマを示しオルガンが力強く重なる。 ヴァイオリンはアドリヴ風のプレイも交えて走る。 再び強烈なファズ・ギター登場。 オルガンのリフレイン(ジョン・ロード風)、ファズ・ギター、ベース(これはオルガンの低音部だろう)、ヴァイオリンの四者がもつれあう。 なんともだらしないのだが、推進力があり、クライマックスといっていい演奏だ。 精一杯ハードロックを気取るといってもいいかもしれない。 (10:31)
  ヴァイオリン、ギター、オルガンの交錯はやがてオルガンの提示するクラシカルで明解なテーマへとまとまってゆく。 やや悲劇的な色調を帯びたドラマチックな演奏である。 全体での反復は次第にビート感を生む。 ヴァイオリンのカデンツァ。 そしてトゥッティ。 最後はリタルダンド。(12:38)
  オルガン、ヴァイオリン、ギターによるアンサンブルがゆったりと歌いだす。 シンコペーションを用いたおだやかなテーマだ。 珍しくジャズ風の敏捷なオブリガートを見せるオルガンがおもしろい。 突如湧きあがる神々しき女性スキャット、それを支えるヴァイオリンの調べ。 激しかった前章を受けとめる印象的な内容である。 一転してメランコリックにして甘美なアコースティック・ギターのソロ。 ストリングスを思わせるオルガンが一瞬高鳴り教会を思わせる。 そして終章へ。 (15:02)
  滴り落ちるような音へとエフェクトされたキーボードが訥々とささやきだす。 回想といった趣の静かな演奏である。 アコースティック・ギターのアルペジオが密やかに確実に前進する力を生み、おだやかなヴァイオリンが付き従う。 幼くも切ない哀感を伴う音である。 (17:32)
  再び湧きあがる女性のスキャット。 繰り返し現れるテーマである。 そして静かにフェード・アウト。

  SE 的なヴォイス以外はオール・インストで迫る、ドラマチックで暖かみのある佳作。 全体は小さなパラグラフに分かれているため(ここで示した時刻は参考です)、聴く側も呼吸を整えやすく、なおかつ、おだやかで安らぎある情景と、緊迫した悲劇的な情景のコントラストが明快な流れを生んでいる。 クラシカルで夢物語風の雰囲気の演出は、主としてオルガン、ヴァイオリンによる。 これらが演奏の軸といえるだろう。 女性のスキャットやファズ・ギターそして SE など、ポイントとなるような音の配置も巧みである。 全てはふわふわと落ちつきなく、素人臭い音作りなのだが、アレンジの工夫によってちゃんと聴くに耐える内容になっている。 堅固で揺るぎない構築物というイメージには程遠く、かといって、弛緩と酩酊の果ての研ぎ澄まされた意識を売りにするような音でもない。 それでも、拙さが生む素朴なロマンや憧れだけが描くことのできる微妙な美がしっかりと現れているように思う。 幼少期へのノスタルジーのような暖かくも儚い音である。


  二部(19:03) エレクトリック・ギターを中心とする祝祭的なモティーフから幕を開ける。 オルガン、ヴァイオリンは静かに伴奏する。 おだやかな教会音楽調のアンサンブルである。 湧きあがるストリングスをきっかけにヴァイオリンのリードへ。 (1:24)
  再びギターがリードするも、今度はややアドリヴ調も交えた力の抜けた演奏だ。 ヴァイオリンとの微妙な「合わなさ」が印象的。 続いてやや衝撃的なファズ・ギターの登場。 穏やかなハーモニーなのだが、音色が強烈だ。 (3:05)
  続いて、オルガンによるクラシカルなテーマが主導権を握り、やや演奏に緊張が走る。 (4:07)
  一転静けさを強調するようにヴォリュームが下がり、オルガンによる二声の演奏が始まる。 慎ましやかなオルガンを伴奏にロマンティックなヴァイオリンのソロ。 次第にヴァイオリンは力を増し、途中で加わったギターとのアンサンブルを成す。 ここまで全体にクラシカルな演奏が続いている。 (6:39)
   今度は変調したオルガンの電子音をリードにヴァイオリンとのアンサンブルが始まる。 そして、女性ヴォーカルによるエキゾチックなフォーク・タッチの歌唱。 ヴァイオリンの演奏は、伴奏なのか単なる邪魔なのか分からないくらい大胆である。 間奏は、オーヴァーダビングされた二声のヴァイオリンによるハーモニー。 (8:36)
   またも静寂の中オルガンが空ろな調べを奏でる。 ヴァイオリンも加わって、寂しげなアンサンブル。 またもファズ・ギターが決然とテーマをリードし始める。 哀愁漂わすはずが、ヴァイオリン、オルガンによるクラシカルで調子の外れたリフレインのせいで、巧まずしてユーモラス。 次第に勢いが生まれてくる。 (10:53)
   ギターのコード・ストロークが始まると、演奏は一気にドライヴ感をもち始める。 そして今度はオルガンがリード。 教会風をすっかり忘れたように勇ましい演奏である。 ヴァイオリンと互いに高めあいつつ、奔放かつ危なげなジャズ・タッチのアドリヴを放ってゆく。 クライマックス。 (13:25)
   堰を切ったような演奏が一段落し、またもオルガンによる厳かな演奏が始まる。 ゆったりと呼吸を整えるような演奏だ。 ヴァイオリンも静かに付き従い、端正なイメージの演奏になってゆく。 続いてヴァイオリンが思い切ってリードを取る。 高音による切実なリフレインに力を注ぐようにギターのコード・ストロークが叩きつけられる。 熱気の名残を使い切るような演奏だ。 (15:49)
   何度目かのブレイク。 沸立つようなオルガンを背景にヴァイオリンの調べが漂う。 ノイジーなシンセサイザー、ギターも加わってエフェクトでギトギトながらもクラシカルで上品なアンサンブルが始まる。 (16:55)
   突如切り込むのは夢見るようににじんだキーボードとハープのようなギターの和音。 ワウ・ヴァイオリンとともに悪酔いしそうなエレクトリックの混沌を縁どってなんともいえぬ高尚な世界を演じている。 壮大なエンディングである。 (エンディングに続き、鼓動のような音がしばらく続く)

  進行する力とドライヴ感の強まった傑作。 第一部同様短い章の積み重ねながらも、漂うような優しさ、暖かみよりも熱気(まあさほどではないんですが)ときっぱりとした主張の勝った作風である。 中盤の一気呵成のトゥッティはその象徴だろう。 静かな場面には、包み込むような温もりよりも、厳かで宗教的な印象がある。 これは、ヴァイオリンがかなりまともなクラシック・スタイルを貫いており、毛色の変わった室内楽といった趣を醸し出しているせいだろう。 テーマはより明快になり、展開のさせ方にもメリハリもある。 次々と繰り出されるフレーズを追いかけているうちに、ふと気づくと惹きこまれているタイプの演奏である。 もしかするとこれは「名品」であると同時に「名演」といっていい内容かもしれない。


   一つ一つの音は素人臭いが、全体として不可思議な幻想性にあふれた類希なるインストゥルメンタル作品。 演奏の比重からしてキーボーディストのセンスが大きいのだろう。 オルガン、ヴァイオリン、ギターなど、どれも技巧よりも音に対する鋭敏な直感を活かしたプレイが主のようだ。 そして、これらのパーツをつなぎ合わせるシナリオがよくできている。 このような、かなり偶然に頼ったアンサンブルが、ちゃんと夢見るような美しさと暖かさをもっているところがすごい。 音数は少なく、大きな起伏もないにもかかわらず、耳を惹きつける不思議な味わいがある。 直接感覚に作用して麻痺/酩酊させるような、いわばサイケデリック・ロックにも近い効果をもっているようだ。 ほんのりデカダンなムードは、いかにもヨーロッパらしい。 また、リズム・セクションの不在は、室内楽風の雰囲気を強める方向にはたらいている。 とはいえ、それほど本格的なクラシックの素養は感じられないし、クラシカルなアンサンブルをロックを持ち込む際によく見られる力みもない。 たとえば、CLEARLIGHT SYMPHONY のような音楽と比べると圧倒的に素人臭い。 しかし、素朴な音/プレイであっても、テーマを膨らませる想像力とセンスよく音を積み重ねることによってちゃんと音楽になるのだ。 百花繚乱の 70 年代にあっても珍しい例だろう。

(KICP 2807)

 Ludwig- Un Roi Pour L'Eternite

 
Freddy Brua keyboards
Karin Nickerl guitars
Jacques Lichti violin
Gisele Landmann light-show
Fernand Landmann sound
guest:
Veronique Nickerl vocals
Marc Dolisi ARP synthesizer on 3

  78 年発表の第四作「Ludwig- Un Roi Pour L'Eternite」。 三部作の第三部。 芸術を愛した狂王ルードヴィヒを描く大作を中心にしたアルバムである。 アナログ・シンセサイザー、エレクトリック・ピアノ、オルガン、チェンバロらのキーボード、ヴァイオリン(エフェクトあり)、エレキギターによる緩やかなアンサンブルが、穏やかに描く夢想世界である。 次々と提示される主題をポリフォニックに取り巻く演奏ではあるが、印象はあくまで素朴で愛らしい。 サイケデリックで野放図な感じやジャーマン・ロック的な反復による酩酊感はない。 そういうプロっぽい音ではなく、アマチュアリズムを極めたような演奏なのだ。 室内楽というと、クラシック風の完成度が期待されるが、もちろんそういうこともない。 女子大のマンドリン部員がロック・バンドの真似事をやってみた感じというといいだろう。 ただし、リズムレスながらも、丹念な音の並びによる静々とした動きはある。 そして、前作よりも一つ一つの旋律の主張を明確にできている演奏力の向上とアレンジやアンサンブルの計画性が感じられる。 これははっきりとした音楽的前進であり、本作が傑作と呼ばれる由縁だろう。 女声のスキャット以外は全編インストゥルメンタル。

  1曲目「Ludwig(ルードヴィヒU)」(17:50 + 16:12) キーボード、ヴァイオリン、ギターのトリオが素朴にして愛らしい主題をいくつもつなぎ合わせて進んでゆく大作。 基本はテーマごとの短いアンサンブルの積み重ねだが、次のテーマへの移行はきわめて気まぐれに行われてゆく。 それにもかかわらず、不思議なことに全体を通してゆったりとした自然な流れがある。 オルゴールかチェレスタのようなエレクトリック・ピアノ、電子チェンバロ、意外なほど迫力のあるチャーチ・オルガン、ハーモニウムのような電子オルガン、ノイジーな電子音、寂しげながらもふわりと膨らんだ音色で歌いピチカートも奏でるヴァイオリン、ファズをかけてソロをとりバッキングでは訥々と和音やアルペジオを決めるギター。 アンサンブルは愛らしい音ながらもうっすらとした悲哀を基調としてゆらゆらと進むのだが、旧 B 面では物語を感じさせるメリハリのある展開となる。 思い切りな位相系エフェクトの音が懐かしい。
  
  2曲目「Le Lac De Starnberg 1886(スターンベルグの湖)」(1:16) さざめく湖水をバックに、ヴァイオリンが清らかで哀感のある旋律(ワーグナーだそうです)を奏でる。

  3曲目「L'adieu Au Roi(国王への告別)」(2:10)アナログ・シンセサイザーと女性のスキャット、電気ヴァイオリン、アコースティック・ギター、エレクトリック・ギターによる優美な作品。 終盤突如ギターがコードをかき鳴らす。

  4曲目「Hymne Au Nouveau Romantisme(ヌーヴォー・ロマンへの讃歌)」(6:25) クレジットがないことから、おそらく他のアルバムからの作品かシングル盤の作品だろう。 本 CD ではボーナス・トラックということになるのだろう。 ドラムス、ベースが加わった演奏であり、当然ながらタイトなロックっぽさが現れているが、上ものは基本的に変わらない。 音こそ多彩ながら、いかにもアナログ、モノフォニックでやや頼りなげなシンセサイザーとフニャフニャにエフェクトされたエレクトリック・ヴァイオリンによるアンサンブルが軽やかに走る。 やや安っぽいのだが、オプティミスティックな響きのある、愛らしい作品だ。


  前作までの衣鉢を継ぐ音の絵巻物風なタイトル・ナンバーが聴きものだろう。 シンセサイザー・ミュージック的なモダンさはなく、あくまでシンセサイザーを用いた室内楽というスタイルである。 技巧を雰囲気で補った前作に比べると、真面目に演奏に取り組んだために、一種独特のマジックが薄れた気がしなくもない。 それでも、ぼんやりと儚い夢の中にあるような不思議な感覚は健在である。 エレキギターのプレイは究極の訥弁型というか素人によるものなのか、あたかも音を拾うような演奏である。 一方ヴァイオリンは、はるかに演奏らしくなっており、アンサンブルをしっかりとリードしている。

(KICP 2808)


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