| KING CRIMSON |
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60 年代末に結成、現在も先鋭的なサウンドで活動を続けるイギリスのプログレッシヴ・ロック・グループ「KING CRIMSON」。 30 年に渡る活動は、音楽的にいくつかのフェーズに分けられる。 69 年から 72 年までは、フリー・ジャズの影響を強く受けた大胆な即興と近代クラシカルな和声/アンサンブルを結びつけた作品が主であり、解散/再結成を経た 73 年以降は、メタリックなサウンドと超絶技巧による現代音楽的な即興作品、そして 80 年代以降はミニマル・ミュージック、ポリリズムの手法やさまざまなテクノロジーを盛り込んだヘヴィ・ロック作品を発表している。 爆発力を持つ演奏が生む破壊のカタルシスと、厳粛にして幻想的な叙情を漂わす構築美が交錯する音楽性は、多くのミュージシャンに影響を与えつつも、オリジナリティという点で唯一無二の孤高の境地にある。 ロバート・フリップの音楽家としての姿勢を反映してか、通常のロック・バンドのレベルを遥かに越えた途方もない器楽実験の継続を重視しているところも、グループを特異な存在にしているようだ。 短 2 度、増 4 度、8 分の 6 拍子、ストラヴィンスキー、バルトークの諸作が全て CRIMSON に聴こえてしまう人も多いはず。 2003 年 4 月来日。 King Crimson |
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名高い 69 年発表の第一作「In The Court Of The Crimson King」。 あらゆるプログレッシブ・ロックの出発点、アンカー・ポイントといえる作品の一つ。 オープニングの「21st Century Schizoid Man/Mirrors」から終曲「In The Court Of The Crimson King」まで、ジャズの持つ激情/狂気とクラシックの叙情/荘厳さをロックに取り込んだ、とてつもない音楽になっている。 荒々しくヘヴィなリフで幕を開ける「21st Century Schizoid Man/Mirrors」は、ブルースとジャズを火の粉のように飛び散らせて狂気のフレーズを吐き出すギター、そのギターに絡みつくように吠えるサックス、そして柔らかなタッチの生み出す引き締まったリズムが、嵐のようなインストゥルメンタルを繰り広げるブリティッシュ・ロックの金字塔的なナンバー。 暴力的なまでの決めのユニゾンとそれを受けてたつドラムが生み出す緊迫感は、言葉にし難い。 また、フルートとメロトロンの響きが生み出す静謐なバラード「I Talk To The Wind」のたたえるいびつな叙情味と寂寥感、さらには雄大なシンフォニーにのせて絶望感に満ちた物語を繰り広げる「Epitaph」における凄絶なまでの美と重厚さなども、無比の境地にあるものである。 そして「Moon Child」では、マイルス・デイヴィスに匹敵するテンションと静かな色彩があふれるジャズ・ロック・インプロヴィゼーションを展開し、終曲「In The Court Of The Crimson King」では再び壮麗なシンフォニーを奏で、大団円を迎える。 プロローグのノイズのような音の意味や、そもそもどのようなアイデアから出発してこんなアルバムが作れたのかなど、興味はいまだ尽きない。 意識の拡大に無残にも失敗し、無常感のみが残った 60 年代の灰塵の中から現れ、来るべき時代も絶望に満ちるであろうという恐怖の予言を唱えつつ、不気味に微笑みながら新時代の幕を開けた作品であった。 あまりに語られたせいか、この辺りの作品は聴いていないのに聴いたつもりになっている人も多いのでは。会社(学校、育児他)休んで居住まい正してちゃんと聴いてみましょう。 (EGCD 1) King Crimson |
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70 年発表の「In The Wake Of Poseidon」は、 「Peace」と名づけられた小品がナビゲーションする構成以外は、音楽的なヴァリエーションという意味で概ね前作の延長上にある作品である。 新メンバーとして英国フリー・ジャズ・シーンの気鋭キース・ティペットが新風を吹き込み、さらに、脱退したイアン・マクドナルドに代わって、サックス奏者のメル・コリンズが加入している。 また、ベース演奏はピーター・ジャイルズが担当し、レイクはヴォーカリストに専念する。 「21世紀」の変奏とも取れるハードで狂気を孕んだインストゥルメンタルが迫る「Picture Of The City」や、レイクによる厳かなヴォーカル表現と決然たるメロトロンの調べが感動を巻き起こすシンフォニックなタイトル・ナンバーに加え、ホルストの「火星」をモチーフに、轟々たるメロトロンの多重録音が魔術的な展開を繰り広げる大作「Devil's Triangle」など、重厚な作品が並ぶ。 また、アヴァンギャルドなヴォーカルが生む独特のブラック・ユーモアと、先鋭的なフリー・ジャズ・ピアノの演奏が印象的な「Cat Food」は、このグループの新たな一面といえるだろう。フリップとマイケル・ジャイルスがジャジーなプレイで応戦するのも聴きものだ。 そして、「Cadence And Cascade」では、ヴォーカルにゴードン・ハスケルを招いて、イアン・マクドナルドによる主題を発展させた繊細な夢想美を描いている。 素朴な歌唱が、心の奥底の幼年期の記憶を優しくたどってゆくようだ。 前作のなぞり直しという印象が強いが、ティペットの演奏に代表されるように、前作よりもジャズ的な自由さ、広がりが感じられる。 メル・コリンズの嗜好か、ファラオ・サンダースの「Karma」に近い世界を見せる場面もある。 おそらく、即興演奏に無類の強みを発する KING CRIMSON の真の姿を垣間見せたスタジオ・アルバムなのだろう。 個人的には、グレグ・レイクが全作品のヴォーカルを取れなかったのが少し残念。 本作を最後にジャイルズ兄弟はグループを脱退し、すでに独立していたマクドナルドとともに McDonald & Giles を結成する。 (EGCD 2) King Crimson |
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同じく 70 年に発表された「Lizard」。 フリップ、シンフィールド以外のオリジナル・メンバーがすべて去り、実質的に KING CRIMSON は解体された。 しかし、その音楽は、煮えたぎる混沌と情熱を孕みながらも、厳然とその偉容を保ち続けている。 前作を上回る英国ジャズ・シーンのサポートを得た本作は、大幅な管楽器セクションの導入によって、モダン・ジャズ、フリー・ジャズ、そしてポスト・フリーの世界をにらんだ、美しくもエキセントリックな英国らしい音楽世界となった。 アルバムは、前二作と同じく衝撃的な作品「Circus」で幕を開ける。 激しいアコースティック・ギターをフィーチュアし、ブラスやメロトロン、独特の逸脱感を孕むヴォーカルらが、繊細な叙情を湛えながらも、邪悪なパワーを迸らせ、どこまでも捻じれていく。 前作のティペットの参加で示唆された新たな前衛ジャズへの志向を明確にした、まさしく異形の音楽である。 狂気が吹き荒れる物語の中で官能的な管楽器とピアノの調べに酔いしれることができる。 様々な楽器のフレーズの断片が、ゆっくりと渦を巻くような眩惑的なインストゥルメンタルが繰り広げられる「Indoor Game」にも、新しいジャズへの希求は現れている。 ヴォーカルの評価は分かれるところだが、「Happy Family」のようなネジの外れたようなブラック・ユーモアをもつナンバーでは、ハスケルのヴォーカルが生きていると思う。 しかしフリップ卿はお気に召さぬようだ。もっとも本曲の焦点は、ティペットの鮮烈なソロ・ピアノとコリンズのフルートらによるフリー・ジャズ・セッションのようなインストゥルメンタル・パートにある。 小品「Lady Of The Dancing Water」は、透明で繊細な美しさを湛えた佳品であり、こういう曲では、たしかにレイクのヴォーカルが懐かしくなってしまう。 それを補うかのように、組曲「Lizard」では YES のジョン・アンダーソンがゲスト・ヴォーカルとして迎えられ、シンフォニーに色を添えている。 本組曲は、重厚なメロトロンとブラス、透徹な響きの木管、ボレロのリズムが生み出す豊かな色彩をもつ交響曲とジャズ・アンサンブルが交錯し、夢想的なヴォーカル・パートを経て、緊迫感にあふれた怪奇なアンサンブルへと展開してゆくスリリングな野心作である。 不気味なパワーで迫るユニゾン・リフ、爆発するブラス、空間を満たすメロトロン、そして緻密なドラミングが、CRIMSON 以外の何ものでもない音楽を構築している。 ジャズのエネルギーを飲み込んで肥大し、触手を伸ばし続ける異形のアンサンブルが、メリーゴーランドのように回りながら無限の彼方へと吸い込まれて消えてゆくと、聴き手は一人忽然と取り残されて悪夢を噛み締めて汗をぬぐうのだ。 ベラ・バルトークの「舞踏組曲」や「中国の不思議な役人」辺りからの影響もあるようだ。 ジャケット同様、全体に、中世暗黒時代を連想させる古典的な美しさとフリー・ジャズのもつ狂おしく現代的なエネルギーが錬金術のように混ぜあわされ、摩訶不思議な御伽噺のようなイメージを抱かせるアルバムとなっている。 鮮やかに響き渡るコルネットやオーボエがいつまでも耳に残る。 巷では評価の分かれる作品だが、僕は絶品だと思います。 キライな人は何年か経験つんでから、また聴き直してみてくださいね。 (EGCD 4) King Crimson |
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71 年の「Islands」では、前作に続いてジャズ・ミュージシャンがゲスト参加。 前作まで比べると、アコースティック・アンサンブルの繊細な美しさに力点が置かれた結果、パワフルなフリー・ジャズ色よりも静謐なサウンドの印象が強い内容となっている。 RETURN TO FOREVER が翌年開花させる音楽性に、いち早く到達していた感すらある本作は、マイルス・デイヴィスに始まるポスト・フリーの流れが、英国でもイアン・カー、SOFT MACHINE、キース・ティペットらによってしっかりと受け止められていたことを示す一例だろう。 また、ロバート・フリップがプロデュースしたティペットのジャズ・オーケストラの音楽との相互作用もあったのかもしれない。 オープニング・ナンバー「Formentera Lady」は、まさに RETURN TO FOREVER ばりのジャズ・アンサンブルによるアコースティック・インプロヴィゼーションの謎めいた美しさと東洋的な響きに魅せられる名作。ティペットの奔放にして瑞々しいピアノ、ハリー・ミラーによる神秘的なダブル・ベース(バール・フィリップスを思わせるところもある)、ポリーナ・ルーカスのソプラノ・ヴォイスが印象的だ。 また、CRIMSON 節ともいえるメカニカルで神経質な 8 分の 6 拍子にドライヴされてギターが火を吐く次曲「Sailor's Tale」は、叙情的な本アルバムではそのエレクトリックな攻撃性で際立った存在感を放つ。 サックスとギターのロング・トーンによる付かず離れずのユニゾンは、荒々しい即興のぶつかり合いへと発展し、ヒステリックにかき鳴らされるギターとメロトロン・ストリングスは、星々の海を煮えたぎらせて新しい星雲を生み出す。ここに「太陽と戦慄」の原型を見ることも可能ではないだろうか。 このオープニングの二作品はあまりに鮮やかな好対照を成す。 そして、美しい前曲のラストで、既に煮えたぎる次曲のテーマが静かに奏でられているところが興味深い。 両者は互いに変奏曲であり、ヤヌスのような CRIMSON の二面性を現している。 ほかにも "悪魔の BEATLES" と謳われた「Ladies Of The Road」における歪曲したポップ・ソングのパロディや、ピーター・ハミルと共通する哀感と怪奇趣味が混ざった歌詞とダイナミクスの大きい演奏が強烈な「Letters」など、エキセントリックな美感を提示する作品が並ぶ。 そして、なんといっても白眉は、ボズ・バレルの美しいヴォーカルをフィーチュアし、静けさと気品に満ちたタイトル曲「Islands」だろう。 バス・フルートやコルネット、オーボエ、ピアノ等、アコースティックな響きをフィーチュアしたサウンドは、繊細なヴォーカルとあいまって、シンフォニーというにはあまりにたおやかであり、黄昏の淡い光とやがて訪れる深い闇の予感をイメージさせる作品になっている。 ジョン・ダンの「誰がために鐘は鳴る」を思わせる歌詞のなんと美しいことか。 この、一貫して彼等のアルバムに現れた彼岸的かつシンフォニックな作風は、再結成後にはジョン・ウェットンの手で引き継がれてゆき、CRIMSON サウンドの特徴の一つになる。 また、本作はピート・シンフィールドにとって最後の参加作品となったが、作詞の才能はここでもいかんなく発揮されている。 じつは、彼の個性こそが初期 CRIMSON に漂う繊細なリリシズムの源泉なのでは、と改めて思わせるところもある。 さて、本作で英国ジャズのアコースティックな響きに魅せられた方には、キース・ティペット主導の CENTIPEDE による「Septober Enegy」やジョン・サーマン(John Surman)の Deram 録音作「Tales Of The Algonquin」、さらにはマイク・ウエストブルックの名作「Metropolis」などをお薦めする。 (EGCD 5) King Crimson |
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72 年にライヴ・アルバム「Earth Bound」を録音して、いわゆる第一期 CRIMSON は終焉を迎える。 その終焉を感じ取るかのように、サックスやドラムらが荒々しいインプロヴィゼーション中心の演奏を繰り広げ、スタジオ盤のもつ緻密さが生む緊迫感とは別のエネルギーを放射する作品となった。 アナログ時代に日本では発売されなかったので、輸入盤を探し回ってようやく入手したのが懐かしい。 King Crimson |
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ヴァイオリンとパーカッションの導入に加え、メンバーの刷新を図って到達した、音楽的実験の頂点ともいえる 73 年発表の「Lark's Tongues In Aspic」。 嵐のように猛威を奮うパーカッション、感情移入を拒絶する無機的なフレーズを繰り出すギター、狂気を迸らせるヴァイオリン、そしてヘヴィかつ変則的なリズムを叩き出すドラムとベースが創出した音楽は、きわめて非人間的であり誰も耳にしたことのない、現代的なものだった。 本作こそは、インプロヴィゼーションを重視し、パーカッシヴでテンションの高い、いわば「フリー・ロック」とでもいうような新たな音楽へと進化した CRIMSON の生み出した最高傑作であり、YES から移籍したビル・ブルフォードに代表される先鋭的な音楽技術集団としての面目躍如たる作品といえる。 ミューアのパーカッションの呪文が衝撃的なインストゥルメンタルを呼び覚ます「Lark's Tongues In Aspic Part 1」は、ヘヴィ・メタリックかつエキゾチックな響きを持った現代音楽調インプロヴィゼーション。 「21世紀」以来久々の強烈なインパクトを持つナンバーである。 この作品を初めて聴いたときの衝撃は、忘れることができない。 続編である「Lark's Tongues In Aspic Part 2」は、うねる奇数拍子の上で攻撃的でメタリックなリフと虚空へ放たれんとするフレーズが絡みあい、破壊的ながらもドラマをもつ究極のヘヴィ・メタリック・ナンバー。 またジョン・ウェットンの男性的なヴォーカルをフィーチュアし乾いた叙情を湛える「Book Of Saturday」や、前期 CRIMSON を彷彿させるアコースティック・アンサンブルが美しい「Exiles」も、この過激な作品の内にあって一層の輝きを放っている。 本作は、フリップのギター・サウンドと鉄壁のリズム・セクションを核とした、革新的なヘヴィ・メタリック・インプロヴィゼーションが新たな時代の始まりを宣言する、新生 CRIMSON のデビュー・アルバムといえるだろう。 無比のオリジナリティと、全くといっていいほど古さを感じさせないサウンドは、いまだに驚愕の的だ。 クラシックをベースにしつつもスコアにとどまらず、あくまでフレット上でのインスピレーションを大事にするフリップの姿勢は、ギタリストとして尊敬すべきものであろう。 また全くの推測だが、本作のアイデアには MAHAVISHNU ORCHESTRA の音楽が寄与しているように思う。 なお、ジェイミー・ミューアは、本作以前デレク・ベイリーの THE MUSIC IMPROVISATION COMPANY で活動している。ブルフォードの師匠役含め起爆剤としてはあまりにハマった人選といえる。 (VJCP-2305) King Crimson |
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74 年にはライヴでのインプロヴィゼーションと、むしろ第一期に近い構成のスタジオ・テイクを混在させた「Starless And Bible Black」を発表。 いわゆる叙情的な作品はほとんど姿を消し、張り詰めた緊張とヘヴィで強烈なインパクトを持った作品が並ぶ。 アルバム全体を通すと作品にややばらつきを感じるものの、ミューア脱退後もフリップのメタリックなギターを中心とした前衛即興アンサンブルは完成に近づき、メロディアスなナンバーにおいてすら、異常なまでに緊迫感を保ったパフォーマンスを味わうことができる。 発表時には一部がライヴ録音であるという程度の説明であったように思うが、後のフリップのインタビューでほぼアルバム全体がアムステルダムでのライヴ録音への若干の手直しということが判明し、ファンを驚愕させた。 オープニングの「Great Deciever」は、前期のオープニング・ナンバーを彷彿させるハードなギターのリフと激しく変化するリズムが強烈なナンバー。 そして、ウェットンの巧みなヴォーカルとオリエンタルなエキゾチズムが香るアンサンブルによる「The Night Watch」は、メタリックな作品が並ぶ中で一際メロディアスに響く。 もっとも全体を覆う緊張感や苛立ちのようなものは隠すべくもなく見えてはくるのだが。 唯一安らぎを与えてくれるのが、「Trio」と名付けられた小品。 ヴァイオリンとメロトロンそしてベースのアルペジオが織りなす典雅にしてデリケートな世界である。 そして、アルバムのラストを飾るライヴ・テイクの大作「Fracture」は、後期の優れたインプロヴィゼーションとして、前期の「Moon Child」と双璧をなすと同時に、KING CRIMSON サウンドの最終到達点として圧倒的な迫力でそそり立つ象徴的な作品でもある。 この作品は言葉で云々できない。 ただ音を浴びるしかない。 一言添えるならば、本曲はギタリストとしてメカニックの限界に挑んだものでもあるということだ。 CRIMSON の前身である Giles Giles & Frip の唯一作に収録された「組曲第一番」のパターンの、高度な応用であることも分かるだろう。 メタリックなインプロヴィゼーションの表現力は飛躍的にアップし、多様な曲調の作品を悲痛なまでの緊張感をもって演奏している。 パーカッシヴで巨大な即興演奏は、比類無い緻密さと荒々しさで迫るのだが、どこか絶望的な雰囲気を持って未来を予見しているように思えてならない。 アヴァンギャルドという観点では最も進んだ作品だ。 そして改めて、MAHAVISHNU ORCHESTRA や LIFETIME と同列に語るべきエレクトリック・ジャズの極北としての内容があるように思う。 (VJCP-2306) King Crimson |
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同年、遂に編成はトリオとなってしまい、旧友イアン・マクドナルドやデヴィッド・クロスをゲストで迎えて「Red」を発表。 タイトル・ナンバー「Red」は、減音階の上をメタリックなギターが這いずり、うねり、爆発する、まさに臨界状態そのもののような緊張感をもつ名曲。 「Lark's Tongues In Aspic Part 2」と同じく、轟々たるリフが圧倒的なパワーで襲いかかり、ライド・シンバルのざわめきが異常なまでの緊張感を煽る。 ベースやギターの低音は獲物を屠る牙のように凶暴だ。 前曲の余韻のままに幕をあける「Fallen Angel」は、詩情豊かなヴォーカルを中心にアグレッシヴなアンサンブルがきわめて繊細な表現を見せる名バラード。 全体を貫くのは怒りに満ちたギターの轟音だが、その向うに哀しいまでに切実なメロディが響く。 ヴォーカルを彩るオーボエがどこまでも切なく美しい。 現代の CRIMSON クローンが依拠するのは、まさしくこのサウンドである。 エドガー・アラン・ポーを連想させるタイトルをもつ「One More Red Nightmare」は、かつてのオープニング・ナンバーのようにヘヴィなリフがリードする作品。 後期 CRIMSON のメタリック・サウンドで奏でる「21世紀」といったところか。 コリンズのソプラノ・サックスとギターが狂おしい交錯を見せる。 「Providence」は前作を思わせる即興曲。 当時は分からなかったが、こういった演奏こそが CRIMSON の生の姿なのだ。 タイトルからしてもおそらく米国でのライヴ録音ではないだろうか。 終曲「Starless」は、暗黒の世界にこだまする力強い歌と美しい詞が一つになった CRIMSON 最後のメッセージである。 ヘヴィな反復が一気にジャズ色の強い即興演奏へと発展し、やがてテーマへと収束、ドラマチックにエンディングを迎える。 CRIMSON たるべきスタイルを意識的に再現しているような面もあるものの、感動しないといえば嘘になる。 全編を通して、見事なまでにアンサンブルは計算し尽されており、どの作品も隅々まで神経のゆき届いた緻密なタッチで仕上げられている。 各メンバーのプレイもすばらしく、特にブルフォードのドラミングは、荒々しさと緻密さという相反する要素をまとめ上げた好演奏になっている。 前二作が実験的/過渡的であったのに対して、このアルバムは個々の楽曲の完成度、分かりやすさという点で抜きんでているといっていい。 逆に既に CRIMSON の前進は止まっており、動きを失ったことによって、静止画のように全てをさらけ出しているともいえるのではないか。 聴きようによっては、すでに解散が予定されていたからこその捨て身によるクオリティとも取れる作品だ。 いずれにせよ、アグレッシヴなサウンドとミステリアスなインプロヴィゼーション、そして荒れ果てた叙情を交錯させた独特の音楽を完成させて、頂点に達した第二期 CRIMSON も、このアルバムで終焉を告げることになる。 (EGCD 15) King Crimson |
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80 年代以降は「Discipline」のシーケンサーの如き変拍子ギター重奏にびっくりさせられたものの、初めて「21世紀」を聴いたときほどの衝撃には至らなかった。 とはいえ、時代の音楽を的確に捉え、エイドリアン・ブリューというギタリストの参画に象徴されるような新しい表現手法にチャレンジするフリップの姿勢には、逞しさを感じたし、なによりその複雑怪奇な音楽をちゃんとライヴで再現しているのに驚いた。 スティック、シモンズ・シンセサイザー・ドラムそしてフリッパートロニクスと、新たなテクノロジーを積極的に取り入れるところにも、バンドのいやフリップの貪欲なまでに積極的な姿勢が感じられる。 但し、あっけらかんとしたブリューのヴォーカル・スタイルと、霊験あらたかなるタイトルを持ち出した「Lark's Tongues In Aspic Part 3」には少し失望させられた。 King Crimson |
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81 年発表のアルバム「Discipline」。 「Drive To 1981」なるキーワードとともに現れたまさかの復活作は、アメリカ人ギタリスト、エイドリアン・ブリューとピーター・ゲイブリエルの作品にも参加したセッション・マン、トニー・レヴィンそしてビル・ブルフォードというフォーメーションによるテクニカル・エスニック・ロックともいうべき内容である。 ポリリズム、シーケンス、ギター・シンセサイザー(フリッパートロニクス)、エレクトリック・ドラム、スティックなどの新奇な技巧とテクノロジーを操り、ニューウェーヴ、ワールド・ミュージック、無国籍、ディスコなど、時代のイコンとがっちりオーヴァーラップするサウンドが、旧来のファンの度肝を抜き賛否両論を巻き起こした。 A面は、ブリューのギターがあまりにも有名な「Elephant Talk」から、ヒネリとキャッチーさが微妙なヴォーカル・ナンバー「Frame By Frame」、そして、旧来ファンをくすぐるヘヴィ・チューン「Indiscipline」らが並び、確かに衝撃的。 B面は、ポリリズム、ギター・シンセサイザーなどを用いたエクスペリメンタルな音で迫り、終曲「Discipline」にて止めを刺す。 メタリックでありながらも奇妙なエキゾチズムによって丸みを帯びた音のイメージが、この終曲のぶつっと切れるエンディングを経ると、やおら剥きだしの金属のような、非人間的で凶暴な感触で甦る。 やはり KING CRIMSON の音なのだ。 プロデュースはグループと ROXY MUSIC や CAMEL で有名なレット・デイヴィズ。 同年初来日。 ところで、本作を特徴づけるフレーズ反復によるミニマル的なアプローチについて、スティーヴ・ライヒの「Counterpoint」シリーズや「18 人の音楽家のための音楽」との関わりがあったのかどうか、興味あるところです。 (28MM0064) King Crimson |
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98 年発表の「Absent Lovers - Live In Montreal 1984」。 80 年代 CRIMSON の総括としての意味が大きいであろう 1984 年のラスト・ツアーのライヴ・アルバム。 ライヴ盤としてはおそらく CRIMSON の最高作だろう。 ブリューの MC で「今日がツアー最終日です」と入っており、事実上 80 年代 CRIMSON の最後の活動となった。 「Larks' Tongues In Aspic」から「Three Of A Perfect Pair」まで 80 年代のレパートリーをほぼ網羅した内容であり、ヘヴィな混沌よりもタイトな明快さを重視した演奏である。 オープニングからはやや軽めの演奏が続くが、「Industry」から「Dig Me」辺りで最初のクライマックスが訪れ、CD1枚目最後の「Indiscipline」では、ようやく火のついたほとばしるような演奏を聴くことができる。 この曲が、音楽的にアルバム「Islands」の流れにあることを今回初めて気がついた。 二枚目は、MC から始まり、1 曲目からフリップが大爆発。 きわめて 80 年代的なバックをしたがえた奔放なソロである。 「Frame By Frame」はもはや自家薬籠中。 安定感と疾走感を備えた名演だ。 うっすらラテン風味を漂わせるヴォーカル・ナンバーに続き、「Sleepless」はダイナミックなリズム・セクションが突出する内容。 この二人の、この音が 80 年代 CRIMSON なのだともいえる。 メロトロンの轟音と刃物のようなギター。 「Part II」も重さよりも凶暴なスピード感を突きつけてくる。 自ら葬り去るときの最後の輝きが、スタイリッシュな美しさをもつのは、今回も同じ。 CD 二枚組。 エンハンスド仕様。 (DGM9804) King Crimson |
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95 年発表の「Thrak」。 91 年の再結成宣言以来、ベスト盤やボックス・セット等の発表はあるものの肝心の新譜が発表されず、ファンをやきもきさせたが、ミニアルバム「Vroom」を経て、遂に新新生 KING CRIMSON がヴェールを脱いだ。 「Vroom」からの作品を再アレンジした、強烈なインストゥルメンタルを中心にしたアルバムである。 ミューア/ブルフォード以来のツイン・ドラムスを含むダブル・トリオ(オーネット・コールマンのダブル・カルテットというのはあったけど)という変則的なフォーメーションは、メタリックな凶暴さと冷ややかに醒めた空気を生み出し、80 年代 CRIMSON に通じる感触をもちつつも、ヘヴィなリフを前面に押し出したインストゥルメンタルと飛躍的に質の上がったヴォーカルから、グループがそこよりもさらに成長を遂げていることが分かる。 荒々しくも個性的なギター・ワークとスティック、メロトロンの繰り出す淡い色彩のメロディのコントラストが、非常に印象的だ。 オープニングの「Vroom」は、本アルバムのサウンドの中核をなす、「Red」的な強烈なリフが激しく自己主張するヘヴィ・メタリック・チューン。 アルバムのラストにも「Vroom Vroom」として、さらに「Vroom Vroom Coda」ととしても、たたみかけるように変奏される。 3 曲それぞれに特徴のあるヘヴィなインストゥルメンタルだ。 オープニングとエンディングがループを成し、エンドレスな世界を描くというのは古来お約束の手法だが、ヴァリエーションに富んだ本作では、なかなか効果的ではないだろうか。 また、「Dinosaur」は、アグレッシヴなヴォーカルとヘヴィなギター、メロトロンの重々しい響きが全て現れ、CRIMSON サウンドの一種総括である名作。 そして、ツイン・ドラムスをフィーチュアした「B'Boom」を序章にして突入するタイトル・ナンバー「Thrak」は、ダブル・カルテットが明確に機能するインダストリアル・ミュージック風のナンバー。 重なり合う幻惑的なドラム・ビートによる恐るべきインタープレイが繰り広げられる。 90 年代 CRIMSON の新生面を見せる作品だ。 6 分以上の曲が一つのみ、というのも時代を意識してのことなのかもしれないが、曲の配置と間のつなぎが巧みであることで、全体を通した大きな流れ/雰囲気が感じられて、一気に聴くことができる。 難点は、後半のヴォーカル・ナンバーのギター・プレイが、音響処理も含めやや単調なことだ。 興味深いのは、ヴォーカル・ナンバーに漂う 60 年代サイケデリックの空気感である。 これは一体どこからきたのだろう。 パーカッシヴで引き締まったリズム・セクションと、アナーキーでヘヴィなギターの生み出す強烈なアタック、ヴォーカルとスティック、メロトロンの漂わせる乾いた叙情が、やはり CRIMSON 以外の何者でもない音楽を創り上げている。 (PCCY-00700) King Crimson |
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2000 年発表の「The ConstruKction Of Light」。 順列組み合わせ的な分派プロジェクトを経て、4 人編成で録音された作品だ。 冒頭から 80 年代以降の CRIMSON に共通する、独特のヘヴィなまろやかさをもち黒光りするようなサウンドが炸裂し、期待は裏切られない。 タイトル・ナンバーのような、二つのギターが地滑りのように巨大な断層を形成してゆく、あたかも 80'CRIMSON を総括するような演奏や、ブリューのダルなヴォイスにヘヴィ・メタリックなギターが絡みつくデカダンスあふれるムードなど、モダンな要素を取り入れつつも CRIMSON らしい演奏になっている。 ぞっとするほどテクニカルな切れと、武骨で不器用に叩きつけるような表現が同時に現れるところなど、「オルタナ CRIMSON」と呼んで差し支えないだろう。 今回はメロトロンは使われておらず、キーボード風の音も全てギター・シンセサイザーによると思われる。 リズムはシュアーでタイトであり、個性的というよりは打ち込みに生々しいニュアンスを持たせたような感じである。 それでも、ワイルドにして正確無比な打撃技は、「Lark's Tongues」でのブルフォードをグレード・アップしたような演奏ではっきりと分かる。 タイトル・ナンバーにおけるドラムンベースはかなりカッコいい。 また、今回の呼びものである「FraKctured」と「Lark's Tongues In Aspic-part IV」は、それぞれ過去の名曲の大胆かつフィージブルな翻案。 前者は、かつての当意即妙かつ凶暴な即興演奏的側面以上に、精密なフラクタル構造がイメージされる。 主役は完全にギター・アンサンブルであり、フリップの変則アルペジオ/リフの応酬である。 フル・ピッキングによる変則アルペジオは、もはやスタンダード化しつつあるのではないだろうか。 不思議なリリシズムすらたたえているところがすごい。 後者は、インパクトとドラマチックな展開という意味では、前者を凌ぐ名演。 迸るようなソロの応酬からコーダへの流れはかなり感動的だ。 そして最終曲はプロジェクト名義の作品。 アンビエントなサウンド・スケープを切り裂くようにヘヴィなアンサンブルが走る。 全体に、デンジャラスにしてアブストラクトな音の像の迫力は前作ほどではないものの、ギターのフィーチュア度合いとパンキッシュなスタンスには、原点回帰ともいうべきパワーを感じる。 唯一残念なのは、あっと驚くような新たな方向性があまり感じられないこと。 タイトル・ナンバーを始め「81 年」周辺のイメージがつきまとう。 我ながらファンとは身勝手なものであると思う。 個人的には、81 年以降の音楽的集約・成果のようなタイトル・ナンバーがベスト。 (VIRGIN AMERICA 7243 8 49261 2 0) King Crimson |
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2003 年発表の「The Power To Believe」。 「Nuovo Metal」なるキー・コンセプトの下、2001 年末の北米 Level Five Tour および近年得意の先行ミニ CD で感触をつかみつつ、万を辞して発表された新作だ。 たゆまざる「訓練」の賜物である超絶技巧を駆使しながらも、曲想はきわめて明快でありアクセスしやすさは前作を凌ぐだろう。 「Red」CRIMSON と「1981」CRIMSON の融合形として満足のいくものだ。 エイドリアン・ブリューのヴォーカルも、20 年のキャリアからだけではない存在感がある。 マステロットのドラミングは現代的であると同時にビル・ブルフォードの面影をしっかりと引き継ぎ、ガンのディストーション・ベースにもウェットンを思い出させるプレイがある。 アグレッシヴにしてシンプルなカッコよさにあふれる 2 曲目、「かもめの歌」のオーボエをを思わせるプロローグ/エピローグをもつ 4 曲目、CRIMSON 流オルタナティヴ・ギターロックともいうべき 6 曲目(「Sailor's Tale」や「Part.2」を思わせる凶暴なストロークが圧巻)、プログレな緊迫感あふれる 8 曲目など聴きどころは多い。 ワールド・ミュージック的な要素や、ギター・シンセサイザーによる透明感ある音など、フリップのソロに近い叙情的な表現もある。 安定したラインナップによる着実な作品作りの結実といえるだろう。 (UICE-1045) King Crimson |
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お薦めということでは、60-70 年代は全アルバムがベストといわざるをえない。 おそらく、まず「In The Court Of The Crimson King」か「Lark's Tongues In Aspic」から入って、次へと進むのがよいでしょう。 前者から四枚は、強烈な決めのフレーズを核にし前衛ジャズ風の展開を見せるハードな作品と叙情的なヴォーカル・ナンバー、そしてメロトロンが大活躍のシンフォニックな作品という基本構成を持つ。 また後者以降は、インプロヴィゼーション中心のメタリックで前衛的なナンバーと男性的な力強さを持ったヴォーカル・ナンバーが多い。 僕にしては長い間聴き続けているグループのせいか、いくつか思い出めいたものもある。 スピーカを自慢するオーディオ・マニアの家で、サンプルとして「太陽と戦慄」をフルヴォリュームでかけた時のこと、イントロのパーカッションの金属音をバックにステレオの説明をしていた彼が息を呑むと同時に音が爆発し、壁にかけてあったコートが落ちサッシのガラスがビリビリと震えた。 そして一階にいた家人が、何か爆発したのかと血相変えて飛び込んできた。 また大学に入るとなんと「Fracture」をコピーしている輩に出会い、上には上がと思ったが、さらに友人に誘われて新宿の LOFT で「美狂乱」のライブを見て、もうあまりの衝撃にグッタリした記憶もある。 須磨さんはいまでもやってるんだろうか。 不思議なことに、90 年代のものの方が 80 年代のものより昔に近い、と感じるのは僕だけだろうか。 機会もないため、最近のマテリアルにはあまり手を出していない。 ブート防止のためのオフィシャル・ブートの先行発売はともかく、コンピレーションや順列組み合わせのユニットのアルバムを矢継ぎ早に出すフリップ卿のスタンスも、ちょっと商売がかり過ぎている気がする。 2003 年 2 年ぶりの新譜「Power To Believe」が発表され、ワールド・ツアーが予定されている。 King Crimson |