ハンガリーのプログレッシヴ・ロック・グループ「EAST」。 74 年結成。 80 年代中盤まで活動し、数枚の作品を残す。 初期の二作は、ジャジーなシンフォニック・ロック。
| Varga Janos | guitar |
| Zareczky Miklos | vocals |
| Palvolgyi Geza | keyboard |
| Moczan Peter | bass |
| Kiraly Istvan | drums |
81 年発表の第一作「Jatekok」(蒼い楽園)。
内容は、80 年代初頭らしいクリアーなサウンドを活かした、技巧的かつポップなシンフォニック・ロック。
ギターとシンセサイザーを中心とした演奏であり、フュージョン/ハードポップ色も見せつつ、決めどころではテーマを勇ましく歌い上げている。
テーマはキャッチーなのだが、堅実なリズム・セクションとともに見せる雄大な盛り上がりには、正しいシンフォニック・ロックの醍醐味がある。
CAMEL が極めた道に近く、そこに PINK FLOYD 風のブルージーな情感を織り交ぜた作風といってもいい。
また、ナチュラル・ディストーション・トーンが心地いいギターと、鮮やかなピッチ・ベンドさばきを見せるムーグ・シンセサイザーのせめぎ合いには、MAHAVISHNU ORCHESTRA や RETURN TO FOREVER を思わせる硬派なジャズロックの迫力もある。
同時に、この時代らしいエレポップ風の音作りもある。
ヴォーカルは英語。
訛りのため、ANYONE'S DAUGHTER を思わせるところもある。
アルバム前半は、組曲形式になっており、曲が切れ目なく続く。
1曲目「Nyitany」(Overture=オーヴァーチュア)(3:28)重厚なオープニングを経て以後は、軽快なシャフルのリズムでギターとシンセサイザーが疾走するインストゥルメンタル。
シンセサイザーによる明解なテーマそしてハーモニー。
空高く飛翔するような爽快な序曲だ。
2曲目「Messeze A Felhokkel」(Far Away With The Cloud=遙なる雲海)(5:41)潮騒がざわめくイントロダクション。
ピアノとベースによる劇的なリフレインに導かれたヴォーカルは AOR 調である。
メローなヴォーカルに対し、バッキングはファンキーに跳ねる。
オブリガートはきらめくムーグ。
間奏は、ブルーズ・フィーリングある伸びやかなギター・ソロ。
終盤は、ムーグとギターの壮絶なインタープレイが続く。
終盤のインタープレイは、いかにもテクニカル・ジャズロックといわんばかりのゴリ押しだ。
ジャズ・フュージョン調の演奏と AOR 調の歌メロによるバラード風のヴォーカル・ナンバー。
3曲目「Szallj Most Fel」(Fly Up Now=今、飛翔の時)(5:29)ギターのパワー・コードが轟き、手数の多いドラムスが多彩な打撃を放つイントロダクション。
リム・ショットとピアノのコードによるタイトなリズムが刻まれる。
ヴォーカルは密やかな表情を見せるが、サビでは高く突き抜け、LA 風のジャジーなポップスになる。
ギターとベースのコンビネーションがポップな色合いを引き締める。
後半、メローなピアノ・ソロから曲調は優美なタッチに変化し AOR 化。
ファルセットのヴォカリーズとさえずるようなムーグの取り合わせは、リゾートホテルのラウンジ・ミュージック一歩手前である。
ジャジーなポップスにハードな表情とスペイシーなサウンドスケープを取り入れた歌もの。
ハードなギターとポップス風の曲調が微妙な緊張を生む。
4曲目「Kek-Fekete Latomas」(Blue-Black Vision=蒼黒の世界)(2:16)
メカニカルなシーケンス・ビートが駆け巡る、典型的なシンセサイザー・ミュージック。
ハイハットの細かい刻みとベースのアクセント。
オシレータの電子音が交錯する。
終盤、突如ドラムが激しくロールし、ギターとシンセサイザーのテクニカルなユニゾンが一瞬ほとばしる。
インストゥルメンタル。
5曲目「Gyemantmadar」(Diamond Bird=ダイアモンドの鳥)(4:06)
シンセサイザーが描くほんのりエキゾチックなテーマが取り巻くメランコリックなヴォーカル・ナンバー。
テーマの響きは、西アジアから中央アジア、またはハンガリー独特のものかもしれない。
穏かなサウンド・スケープに、神秘的な色彩で描かれてゆく。
音の処理やヴォーカル表現は、意外なほど同時代のブリティッシュ・ポップスに近い。
ルパート・ハインのプロデュースといっても違和感はない。
瞑想的で曖昧模糊とした終章だ。
ドラマチックなシンフォニック・ロック大作。
テクニカルな演奏とエモーショナルなヴォーカル・パートをバランスよく配して、シンフォニックな広がりと胸躍る高揚感を生み出している。
手数のわりにリズムの切れが今ひとつなことを除けば、同時代の欧米の作品とまったく遜色ない。
特にムーグのプレイは絶品である。
ギターとムーグのインタープレイもすさまじい。
一方、ヴォーカル・パートはなかなかポップ。
このヴォーカルと演奏の組み合わせは、SEBASTIAN HARDIE の後期作品にも通じる。
また、シンセサイザーの音や使い方には、70 年代のシンフォニックなスタイルに加えて、80 年代型ハードポップやヒーリング系の曙光も垣間見えて興味深い。
余談だが、SBB や FERMATA など東欧諸国のグループには、70 年代初期のアートロックから一気にテクニカルなシンフォニック・ジャズロックへと到達しているグループが多い。
おそらく、ジャズやクラシックの素養が深く、基本的な演奏力がしっかりしているためだろう。
起承転結も明解な快作。
6曲目「Lelegzet」(Breath=安らぎの吐息)(3:11)
虚空に星が流れるように電子音が飛び交う。
ベースが静かに中近東風の旋律を奏でる。
左右のチャネルを、さまざまな電子音やプレイの断片がかけぬける。
おそらく次曲へのイントロダクションなのだろう。
インストゥルメンタル。
7曲目「Nezz Ram」(Shadow=シャドウ)(3:52)
前曲とクロス・フェードで、シンセサイザー・シーケンスが湧き上がり、テクノ調のシンセサイザー・ビートが走りだす。
ドラムはあいかわらず手数が多い。
うっすらと流れるストリングス、そして謎めいたヴォーカルとオーケストラ・ヒット風のシンセサイザー・オブリガート。
リズムは切れ味よいのだが、すでに 80 年代、サイケデリックというよりはエレポップ調というべきだろう。
一方ギター・ソロは、ハードロック・スタイル。
こういうミスマッチが、この作品をかろうじてプログレ側へとつなぎとめているのかもしれない。
エレクトリック・ビートによるスペイシーなエレポップ・チューン。
流行の音でした。
8曲目「Uzenet」(Message=メッセージ)(4:22)ピアノが和音を叩きつける重々しいオープニング。
ヴォーカルもアグレッシヴな表情である。
間奏は、ヘヴィなギターと低音シンセサイザーのユニゾンが轟く。
透き通るようなシンセサイザーやギターのアルペジオに和らげられず、ヴォーカルは険しいまま。
高らかに何かを訴えている。
ヘヴィな内容と思われる歌もの。
メッセージは何なのだろう。
ドラムのプレイが多彩。
ハードロックではなく、あくまでヘヴィなシンフォニック・ロック。
9曲目「Epilog」(Epilogue=エピローグ)(2:27)チャーチ・オルガンが厳かに高鳴るオープニング。
ヴォーカルは、前曲からの流れそのままに、重厚にドラマチックに歌い上げる。
ムーグのファンファーレが輝かしい。
宗教的な感動のあるクラシカルな終曲。
10曲目「Remeny」(Hope=明日への光)(4:42)
カーテン・コールか回想のような感じのテクニカル・ジャズロック。
ヘヴィなシンセサイザーと手数勝負のドラミングにハードなギターが、真っ向勝負する。
ギターは、うねるようなリズム・セクションに乗って暴れまわる。
痛快だ。
エンディングはオルガン、シンセサイザーが雄大なパノラマを描き、リプライズしたシンセサイザーの神々しいファンファーレをドラム・ロールが祝福する。
キャッチーな歌メロとテクニカルなアンサンブルによるシンフォニック・ロック。
ヴォーカル含め、演奏技術は申し分なし。
音的には、ジャズロックな面と 80 年代エレクトロ・ポップな面を巧みに交差させている。
全体に、同時代の英米のポップスやフュージョン・サウンドの影響を強く受けているようだ。
やや失礼だが、ハンガリーにもリアル・タイムで流行が伝わっていたことに驚かされる。
ともあれ、前半のドラマチックな組曲や、後半の「Uzenet」、「Remeny」のようなシンフォニックなクライマックスへと持ち込むド根性は見上げたものだ。
惜しむらくは、メインストリーム・ポップス調の音とテクニカルな演奏をまとめようとした試みが、今ひとつ効果をあげていないように思えること。
できれば、70 年代のマテリアルでまとめてほしかった。
もっとも、私の耳が古いだけかも。
(KICP 2823)
| Kiraly Istvan | drums |
| Moczan Peter | bass |
| Palvolgyi Geza | keyboard |
| Varga Janos | guitar |
| Zareczky Miklos | vocals |
82 年発表の第二作「Hüség」(Faith)。
内容は、泣きのギターとメタリックなシンセサイザーがリードするフュージョン風シンフォニック・ロック。
70 年代初期のプログレにそれ以降に流行したフュージョン/エレポップ・タッチも組み入れた独自の作風となっている。
口当たりのいいテーマを軸に重厚なアンサンブル、スリリングなソロ、哀愁のヴォーカルらを配した演奏であり、一気にクライマックスへ持ち込むもったいぶらない語り口がいい。
特徴は、ミドル・テンポの演奏の堂々たる歩調と、ポルタメントとピッチ・ベンドを多用するシンセサイザー。
一つ一つの曲よりも、アルバム全体を一つの作品としてとらえると、起伏や相変化が浮かび上がってくる。
B 面では、新たな作風へのチャレンジもあり。
ヴォーカルはハンガリー語。
前作の英語が訛りが強かったので原語の方が印象はいい。(もちろん意味はまったく不明だが)
ジャケットは高橋葉介の「みるく」と同じ。
1曲目「Hüség」(Faith=フェイス)(3:39)。
伸びやかなシンセサイザーによるテーマは、ベースとギターのアルペジオのオブリガートも含めると 19/16 拍子。
ややオリエンタルな響きは、東欧独特のものだろうか。
鳴き声のようなテーマの問いかけに、低音のストリングス系シンセサイザーが応える。
SOLARIS と同じく、メタリックな光沢のあるシンセサイザー・サウンドである。
そのままスピーディなシンセサイザー・ソロへ。
元の 2 拍子系とスピーディな 3 拍子系が交錯する、技巧的な演奏となる。
続いて、ギターも華やかに走る。
再びテーマ、そして一気にテンポ・アップして走る。
せわしないシンセサイザーの応酬は、鮮やかなエンディングを迎える。
シンセサイザーのテーマを中心に悠然とたゆとうインストゥルメンタル。
東洋風の変拍子とポリリズミックな展開は、ポルタメントの効果とあいまって独特のフワフワ感を生む。
シンセサイザーは、なめらかな金属的光沢をもつサウンドを基調に、音色をこまめに調節して変化をつけている。
インストゥルメンタル。
美しくも挑戦的なアルバム・オープナーである。
2曲目「Keresd Onmagad」(Search Yourself=自己の探求)(5:12)。
ざわめくシンバル、そして一撃、シンセサイザーによる薄暗いファンファーレが鳴り響く。
トラジックだがドラマチックな幕開けだ。
ヴォーカルは、苦悩をぐっとこらえるような調子である。
ミドル・テンポによるやや重苦しい演奏だ。
ヴァースの最後では、ギターのオブリガートにもあおられてヴォーカルは高らかに歌い上げる。
最初の間奏は、ブルージーな「泣き」のギター・ソロ。
伴奏は、ファンファーレ風のシンセサイザー。
ギターは切なくむせび泣く。
セカンド・ヴァースの伴奏には、リズムを明確に刻むピアノが加わっている。
間奏二回目は、管楽器を模したようなシンセサイザー。
淡々と進むリズム。
低くうねり、轟くシンセサイザーの重厚な調べ。
電子音が吸い込まれるように消えて終わり。
OMEGA 風の重厚さを主に TAI PHONG のように丹念な演出が成されたバラード。
シンフォニックな広がりとともに、「泣き」と「重さ」がある。
このもったりとした重さは、原語の響きとも無縁ではあるまい。
ブルージーなハードロック・グループの得意技としてよくある展開なのだが、やや異なるのは、シンセサイザーによる厳かな音響が想像力を刺激し、SF 映画の BGM のような空間的な広がりを感じさせるところ。
金管風のアナログ・シンセサイザーが、懐かしくもいい音だ。
3曲目「Magikus Ero」(Magical Power=マジカル・パワー)(2:08)。
前曲を振り払うように、一転してスピード感あふれる演奏が口火を切る。
ギターとシンセサイザーによる火を吹くように激しい応酬。
襲いかかるギターに対して牙をむくシンセサイザー。
シンセサイザーは、ピッチ・ベンドを巧みに操るみごとなプレイ。
ギターは、やはりブルーズを基調とするハードロック系の速弾き。その背景では、シンセサイザーで前曲の重厚なテーマが甦る。
後半は、シンセサイザーとギターが重厚な背景を蹴散らすように超絶ユニゾンで攻めたてる。
一気に沸騰するスピーディかつテクニカルなジャズロック。
痛快だ。
背景の低音シンセサイザーがテーマを再現し、シンフォニックな重みと広がりを演出する。
しかし、これだけギターとキーボードがすごいと、リズム・セクションがやや手薄に感じられてしまう。
インストゥルメンタル。
4曲目「En Voltam」(It Was Me=イット・ワズ・ミー)(5:57)
序奏、うっすらと響くストリングスを背景にギターのアルペジオがたんたんと刻まれる。
内省的なヴォーカルによるバラードだ。
ストリングス・シンセサイザーがヴォーカルに淡雪のようにうっすらと降り注ぎ、リズムが丹念に刻まれると、感傷的な「ニューミュージック」調ながらも、切なさを引きずって演奏が動き出す。
間奏部では、厳かなシンセサイザーとオルガンが層を成して響き渡り、ヴォカリーズが高まる。
リズムも重厚だ。
つかの間、光が差すようなキーボードに導かれて、ヴォーカルは苦悩と救済の間を揺れる。
演奏は、慈しむようなオルガンの響き、透き通るギター、豪快なタム回しとともに、厳かに華やかに高まってゆく。
エンディングは、次曲への橋渡しのように、きらきらとした音と重厚な音を組み合わせたキーボードによるクラシカルなアンサンブルへと変化してゆく。
バロック・トランペット・シンセサイザーがヘンデルの協奏曲のように神々しく響く。
内省的、宗教的にしてメロディアスなバラード。
静かな憂鬱は次第に情熱へと変化し、やがて、普遍的な祈りとして厳粛な粒子へと昇華する。
感傷的なもの、厳かな気持ち、光とともに自然と流れ出る微笑、そういうイメージを交えて人間の心持を描いているようだ。
SAGRADO の東欧版でしょう。
5曲目「A Vegtelen Ter Orome」(The Happiness Of The Endless Space=美しい永遠の宇宙)(1:38)
ファンク調のノリのいいエレクトリック・ビートによるインストゥルメンタル。
まずは、FERMATA やチック・コリアを髣髴させるレゾナンスの効いたシンセサイザー・ソロ。
ジャジーなソロにギターがさりげなく絡んでゆくのもカッコいい。
ギターとシンセサイザーのユニゾンを繰り返して、リタルダンドから、次曲へ。
エレクトリックなビートの効いたシンセサイザー・フュージョン。
ファンキーだがややスクエアな、中期の RETURN TO FOREVER や FERMATA、FINNFOREST に近い世界です。
インストゥルメンタル。
6曲目「Ujjaszuletes」(Born Again=復活)(3:41)
前曲の余韻そのままに、金管風のシンセサイザー・ファンファーレが柔らかく響き、うっすらとしたストリングスに鳥のさえずりが重なる。
そう、YES の名曲の序章に等しい雰囲気である。
ミドルテンポで歌い出すヴォーカルも、ややソフトである。
訛っているような気はするけど。
オブリガートは、琴かブズーキのようなギターとシンセサイザーが軽やかなリズムでカタカタと跳ねる。
濃厚なヴォーカル、劇的なピアノのオブリガート、そして二度目の間奏は、バロック・トランペット調のシンセサイザーがリードし、メロトロン・クワイア風のコーラスが伴奏する。
このシンセサイザーのエレクトリックな音色が、本アルバムを特徴つけている。
鐘の音、神々しいシンセサイザーのテーマとともに、静かにフェード・アウト。
ゆったりとしたテンポで進みつつ、しなやかな主張を見せるバラード。
原語のヴォーカルが、素朴ながらも力強い歌唱を見せ、宗教的なムードが高まる。
シンセサイザーの色づけだけで、素朴な歌ものがみごとに時代を取り入れたポップ・ミュージックとなる、という見本のような作品です。
おちつきのある、いい感じの A 面終曲である。
イタリアン・カンタゥトーレの作品のようでもある。
7曲目「Ablakok」(Windows=ウィンドーズ)(5:46)
ストリングスの響きの中、ミューティング・ギターと愛らしいシンセサイザーが交歓する、意味ありげなイントロダクション。
細かなエレクトリック・ビートが飛び出し、ヴォーカルが歌い出す。
伴奏は、降り注ぐようなストリングス。
ヴォーカルは情熱的ながらも素朴であり、ストリングスも緩やかに流れるのだが、縦揺れの小刻みなビートが独特の緊張感を生む。
ドラムスも、手数を惜しまずフィルインする。
間奏は、アナログ・シンセサイザー特有のファンファーレとハードなギターのやり取り。
ヴォーカルの繰り返しでは、エレクトリック・ビートは荒々しいベースにポジションを譲る。
爆音とともに鋭いビートが復活すると、ストリングスのうねりの中を、ヴォーカルが力強く進んでゆく。
ギターのさりげないプレイがヴォーカルを取り巻いてゆく。
脈動する電子音が通り過ぎ、重々しいシーケンスが轟く、インダストリアルなイメージのエンディングを迎える。
エレクトリック・ビートが印象的なハードボイルド・タッチの作品。
やや演歌調のヴォーカル、ストリングスと、メタリックなサウンド、シャープなビートの組み合わせは、ニューウェーブ風である。
もっとも、個人的には、アナログ・シンセサイザーとギター、派手なドラムスなど、いかにも 70 年代な音がいい。
GOBLIN にもこういう作品があった。
後々の作風を予感させる作品ともいえる。
8曲目「Vesztesek」(Losers=敗者)(3:45)
シンセサイザー、ギターらによる謎めいたリフレイン。
ヴォーカルは、ひねりまわすようなメロディを苦悶の表情でささやきかける。
シンセサイザーのゴージャスなサウンドが、却って空しさを強める。
サビは、メタリックなシンセサイザーとヴォーカルの問答、そして間奏は、悩ましくも伸びやかなギター・ソロ。
再び謎めいたリフレイン、そして唐突な終わり。
タイトル通り、憂鬱で暗いイメージの歌もの。
シンプルなリズム、思いの丈をそのまま音にしたようなヴォーカル中心の進行など、ニューウェーブというよりも、英国ポンプの影響を感じさせる。
そう思うと、間奏のギターまでが、MARILLION 風に聞こえてくる。
シーケンス主体のシンセサイザーが、時おりなめらかな動きを見せると、プログレらしさを取り戻すようだ。
9曲目「Felhokon Setalva」(Walking On The Clouds=ウォーキン・オン・ザ・クラウズ)(4:22)
シンセサイザー・ビートの上で、位相系エフェクトかレゾナンスか、シンセサイザーの電子音が波打つミステリアスなオープニング。
エレクトリック・ピアノが密やかに付き随い、可憐なオブリガートをささやく。
何かが起こりそうな、そんな予感のある序章だ。
一転、豊かなストリングス系の音が立ち上がると、リズム・セクションとともに、演奏はぐっとジャジーで穏かな表情になる。
メインのリフは、この時期らしいハードポップ風のもの。
リズム・キープのドラムスもきわめてシンプルである。
ただし、オブリガートで応じるシンセサイザーは、ピッチベンドも鮮やかなチック・コリア、ヤン・ハマー・スタイル。
ファンタジックにしてしなやかな運動性のある堂々とした演奏だ。
したがって、安っぽい演奏にはならない。
吹きぬける寒風のような音とともに消えてゆく。
幻想的なキーボード・ジャズロック。
キーボード主体のフュージョンと、STYX、JOURNEY、TOTO などのハードポップ路線の中間くらいの作風である。
序盤と終盤の神秘的な演出、そして中間部のシンセサイザー・ソロが秀逸。
インストゥルメンタル。
10曲目「Varni Kell」(You Must Wait=ユー・マスト・ウェイト)(5:57)
ロマンティックなラヴ・バラード調ながら、シンフォニックな盛り上りをピアノが沈静し、大人な落ちつきを失わない。
オープニング、ピアノとシンセサイザーの東洋風のサウンドが美しい。
イタリアのグループを思わせるヨーロッパ的なロマンチシズムあるシンフォニーである。
11曲目「Merenges」(Meditation=静寂)(2:14)
エピローグ風の密やかなバラード。
テクニカルなフュージョン風のシンフォニック・ロック。
オリジナリティはもう一つの感があるも、演奏はダイナミックであり、随所で切れのいいテクニックを見せている。
特に、ギターとキーボードの自己主張しつつも息のあったコンビネーションがみごとだ。
前作のような大曲こそないのだが、クライマックスへ向けて丹念に進んでゆく表現はすばらしい。
また、後半のヴォーカル・ナンバーではかなりポップな面も見せ、本作以降のスタイルを容易に想像させる。
しかしそれでも、バックの演奏はすさまじく充実している。
シンフォニック・ロックがフュージョン、ハードポップやアリーナ・ロックへと変化する直前の、貴重な姿をとらえた作品ともいえる。
ただし、これだけの演奏力ならば、もっと息を呑むような曲があってもよさそうなのだが。
意外にさらりと聴き流せてしまうのです。
(KICP 2748)