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last updated 2009.1.5
These are my old and current friends who never complain.
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ウィリアム・カッツ コパーヘッド 創元推理文庫
80 年代、スティーブン・キングやデヴィッド・マレルらによるサスペンス、ホラー、SF がこん然となった翻訳小説がバンバン書棚に並んでいました。 その頃学校からドロップアウトして町を徘徊していた私は、たぶん渋谷の古書店で、本書を見つけたのだと思います。 第二次世界大戦のこだまが響き、ベトナムの傷が癒えない 70 年代とはやや異なる、新保守主義的、経済最優先的な政治背景は現代の源流のように思えます。 したがって、フォーサイスやヒギンズにはまだあった男のロマンの香りは、ここでは残滓かパロディのような形でしかありません。 たたみかける展開による「ページ・ターナー」であることに疑いはありませんし、中盤までの人物描写はなかなか重厚なのですが、後味悪い結末のつけ方で名作になり損ねました。 まさに読後の余韻を強引に拒絶するようなエンディングです。 その終盤の展開は、人命を結局は最優先できない現在の社会システムを痛烈に皮肉っているとも解釈できます。 そして、その社会システムの元凶となっているのは、旧ソ連や 007 の大悪党では決してなく、そのシステムの構成要素である人間の集団そのものであることをも。 また、主人公らしき人物が、常に、事件の起こっているサイトではなく遠隔地から通信を通して事件に関わっているところも興味深いです。 かなりの肉体派なのに、電話や TV を通じた会話、指令ばかりで、自らのアクションはありません。 ハリソン・フォードにはできても、スティーブ・マックイーンには絶対できない役です。 本書を読んだ人のうち記憶力のいい人は、後年同時多発テロという形で本書のストーリーが現実になったことを驚いていると思います。 ちなみに私は、完全に本書のことを忘れてました。 ヒマつぶしでなければ読まない本ですが、それでも、90 年代以降の趣味の悪いサイコなんとかと比べれば、まだマシです。
オーソン・スコット・カード 無伴奏ソナタ ハヤカワ文庫
「エンダーのゲーム」などエンダー・サーガで有名な作家の短編集です。 まずなにより語るべきは、表題作の「無伴奏ソナタ」でしょう。 音楽の天才として育てられた少年の数奇な運命を描いたもので、いかにもこの作家らしいグロテスクなイメージと繊細で清潔感ある美意識がともに具わった名品です。 テーマを、システム化された管理社会の瑕疵や完全なものに内在する不完全さといったところに集約するのは簡単ですが、この作品にはそれだけではかたづかない深みがあります。 それはまず、古典神話のように簡潔にして詩的なみずみずしさをもつ文体の魅力(これは訳者の方の力量も大きいでしょう)、そして、冷ややかな残酷さと透き通るようなデリカシーがまったく矛盾なく共存し、剥き出しの神経に遠慮なく触れてくるような描写です。 この後者の特徴は、子供に特有の思考・行動規範に通じており、ひょっとするとこの作者は、思春期以前の感性をそのままもち続けて作品に活かしているのかもしれません。この作品は長編「ソングマスター(ハヤカワ文庫)」の元となりました。 デリケートな語り口に魅せられた読者には、「死者の代弁者(ハヤカワ文庫)」、「ゼノサイド(ハヤカワ文庫)」などのエンダー・サーガもお奨めです。 これはまったくの想像なのですが、この作者はいじめられっこだったのではないでしょうか。
倉橋由美子 聖少女 新潮文庫
現代のファム・ファタルのような少女と「狼」のような少年が、それぞれに「不可能な愛」を求めてさ迷う物語。 少女の耽美な愛への陶酔が目を惹きますが、実は夢想とも現実とも取れぬ不思議な筋運びを持った小説形態こそが、野心に満ちたこの小説の本質なのでしょう。 ミルク臭い未熟と爛れた成熟を壁抜け男のようにナチュラルにゆき交うような少女特有の精神構造の描写や、悪意に満ちたデレッタンティズムと青臭さを同居させた少年の饒舌な語り口には、ギリシャから象徴詩人、ヘンリー・ミラーにまで至る筆者の深い小説への造詣がうかがわれます。 さまざまに散りばめられたスタイリッシュな言葉による軽薄な表層に思わず深読みしそうになりますが、それこそ筆者の思うつぼなのでしょう。 テクニカルな実験性とともに謎解きとしてもなかなか読ませます。 こういう作風にしては時代を感じさせる場面もありますが、むしろ筆者の青き時代の全てを注ぎ込んだ勢いが生んだ同時代性とみるべきなのでしょう。 語り口はあくまでしなやかであり、力の入った姿などは微塵も見せません。 また、「戦争」をトラウマとして精神の奥底に孕んだ最後の世代による青春小説でもあります。 男の子には、甘き香りを放つ禁断の書かもしれないですね。
北 杜夫 楡家の人々 新潮文庫
大昔 NHK でドラマになっていたような気がします。 北杜夫の代表作。 彼が敬愛するトーマス・マンの「ブッテンブローク家の人々」にも触発された楡一族の一代叙事詩です。 一族の変遷を、明治から昭和へと日本全体がたどった道に重ねあわせつつ巧みに描き出し、時に視点を登場人物の一人に固定して時代のイベントをじっくりとモノローグで語らせる趣向は、ある意味作者の小説技法上での挑戦とも考えられ、ユーモアとほろ苦いペーソスのみに終わらない読後感を残します。 見事なまでに性格付けされた登場人物の一挙手一投足に満ち溢れるユーモアと、読み手がバツが悪くなるほど人間の上っ面を引っぺがして曝け出された俗物根性の愚かしさに思わずひきよせられてしまいます。 共感をおぼえつつも、自らを振り返って思わず苦笑することもあるでしょう。 それにしても、否応無しに過ぎてゆく時間の中で人間とはなんと儚い生き物でしょう。 小説は、宗教的な結論や教訓じみたことは一切示さず、猥雑な現実を最後までそのまま突きつけてきます。 三島由紀夫が「小説のオーソドクシーを市民性に求めた傑作」と絶賛しております。 ドクトル・マンボウはもう小説は書かないのかな。
内田百 百鬼園先生言行録 福武文庫
ご存知百關謳カの、どーでもいーことを得意の眩惑的論理を駆使してホジくるエッセイです。 無精、貧乏、不機嫌が売り物の先生の語り口は、漱石の低徊調に落語のようなユーモアを加えた独特のもの。 それでいて時おり、冷気の走る怪奇な光景がちらつくところが凄い。 自らを徹底して虚構化し諧謔に埋めてしまったせいで、マグリットの絵の様に宙に浮いたハットと眼鏡と髭の下から、吹き出しに入った言葉が出てくるようなモダンな不気味さがあります。 巻頭にある通り、一部現代仮名遣いに直しているので、元のえもいわれぬ味わいはやや損なわれているかもしれませんが、それでもおもしろい。 力の抜けた、それでいて射るような慧眼が閃く作品です。 個人的には、会社サボって何もすることがないときによく寝転んで読んでます。 悪夢をそのまま写し取ったような短編小説もまた珠玉。 鈴木清順の名作「ツィゴイネル・ワイゼン」の原作者でもあられます。
司馬遼太郎 梟の城 新潮文庫
最近映画化されたのかな? よく知らないですが司馬遼太郎氏の初期の作品。 忍者ものです。 山田風太郎氏の例のシリーズとほぼ時同じくして発表されたようで、当時は忍者小説といえばこの両者みたいな評価があったとか。 後年の文化論客としての司馬さんのイメージは無く、あの独特のタッチがいまだ瑞々しささえ感じさせる作品です。 大衆小説のお約束としてバイオレンスもエロティシズムもありますが、過剰な生臭さが無く涼風が吹きぬけるような爽やかな人物活写が魅力です。 そして設定が架空に近いということで、一層奔放な想像力の躍動を感じさせます。 この作品の後、時代の波を巧みに捉えた時代小説の幾多の名作を生んで行くわけですが、その原点をはっきりと感じさせる作品です。 山田氏が、あくまでエキセントリックな忍者ものにこだわりつづけたのと、対照的ですね。 僕はどちらも好きです。
ブルフィンチ 中世騎士物語 岩波文庫
アーサー王と円卓の騎士達については、子供の頃に絵本を読んだり映画をみた記憶がありますが、ちゃんとした本を読んだのは、これが初めてです。 聖剣エクスカリバーを抜いたアーサーと彼の資質を見抜く魔術師マーリン、そしてマーリンの作った円卓にアーサーに敬服して馳せ参じる騎士達。 本作は、古今のファンタジーの原点の一つである「アーサー王物語」を、素朴に語りかけてくれる好作品です。 それにしても、盟友"湖の騎士"ラーンスロットが最初からアーサーの王妃に惚れていて(このへんが実に微妙。 なぜなら中世の騎士が既婚の女性への愛のために献身的に働くというのは騎士の美徳として認められていたからです。 )、最後は掠奪に走ってアーサーとの血みどろの戦いになってしまい、それがアーサーの最後を早めたというくだりが、実に人間臭いですね。 トリスタンとイゾルデの物語も入っています。 訳者の野上弥生子さんは、たしか齢百歳を越えても作家活動されていた、タフな女性だったと思います。 同じ作者の「ギリシア・ローマ神話」も翻訳されているそうなので、機会があったら読んでみたいと思います。 昔からいわれることですが、離婚のためにローマ教会と決別したヘンリー8世や、このラーンスロットの振る舞いなどの痴話騒動は、英国王室お家芸といってもいいでしょう。   イギリスのロック・グループには、アーサー王伝説からグループ名を取っていることもあります。 今回読んでいて気がついたのは円卓の騎士の一人にガラハドという人物がいますが、これはポンプ・グループのギャラハドが使っていますね。
中 勘助 銀の匙 岩波文庫
懐かしさに陶然としてしまい、いつしか時間を忘れて記憶と文章の狭間をさまよってしまう、そんな小説です。 子供の頃の記憶や何気ない思い出を文章に封じ込めてあるのですが、語り手が子供の心をそのまま持ち続けているようであり、ベタベタしたノスタルジーはまったくありません。 サリンジャーに匹敵する巧みな子供の描写と、万人の心のどこかに置き忘れたものを静かに取り出して見せる職人肌の作風は、他に並ぶものがありません。 簡にして心に染入る文章も、元々韻文を志していた作者ならではの味わいです。 すべての人にお薦めです。
ウィリアム・ギブスン ニューロマンサー、カウント・ゼロ、モナリザ・オーヴァードライヴ ハヤカワ文庫
もういまさらの感もあるけれども、意外に僕のまわりで知らない人がいるので紹介します。 初めて文庫が出たのは奇しくもオーウェル喧しい 1984 年。 ハヤカワの文庫を手にとったときの最初の印象は、なんてカッコイイ文章だろう、これに尽きました。 コンピュータは発達したがモラルという言葉すら残っているのかどうか分からない未来社会で繰り広げられるのは、NTV のピカレスク・ロマン(「傷だらけの天使」とかさ)をスピード・アップしてハイテク化した、陰謀と裏切りとチェイス、そして男と女のドラマ。 「探す旅」という小説に僕は弱いのです。 超ハイテクと凶悪なスラムが灰色の空の下で同居する CHIBA CITY、歩き去る主人公にすがりつくようにずらり並んだ公衆電話をサイバースペース経由で一つずつ鳴らしてゆくスイス、ベルンの AI「冬寂」、光特殊加工のポンチョをまといカメレオンのような保護色でビル街に消え去るパンサー・モダンズのボス、DNA 接合で甦った獣を売るイスタンブールのマーケット、埋め込みミラーグラスの女用心棒、様々な意匠がストーリーに散りばめられ、いつしか主人公を抜きさしならない陰謀の中枢へ駆り立てる。 「ニューロマンサー」、「カウント・ゼロ」、「モナリザ・オーヴァードライブ」の三部作、それぞれに独立したエピソードですが、世界律を堪能するには最初から読むのがいいでしょう。 結末は、いずれも少し捻じれたハッピー・エンド。 そして、うっすら悲しみを帯びた余韻を軽やかに蹴り飛ばす最後の一言にもう一度感動。 僕はコンピュータに関する未来像は全てこれで出尽くしていると思います。
中村真一郎 文章読本 新潮文庫
口語体の成立過程を通して数々の作家の文体が語られていき、明治以降の文学を一覧することができます。 「日本人は調子好き」など、思わずうなずいてしまう解釈がたくさんあっておもしろい。 また、自分の好きな作家についてどう語られているか興味津々で読みました。 この本にかぎっては、もう少し厚くてもいいのではないかと勝手に思っています。 残念ながら、著者は最近亡くなられたため続編はのぞめません。   それにしても、この私の駄文のスタイルも数々の作家の実験や試行の果実から生まれているかと思うとやや申し訳ないです。
ラリイ・ニーブン リングワールド ハヤカワ文庫
解説にもある通り、この本が出版されて以来、リング・ワールドの物理的実在可能性や建造方法などを、多くの人たちが議論したり実際にパンフレットや論文をつくったり話題沸騰したとのことですが、正直いって私はこの小説の大道具である未知の建造物自体にはそれほど魅力を感じません。 文章から、実体の凄まじい光景を思い浮かべる能力が足りないのが、主な原因と思います。 あまり理科系ではないのですね、おそらく。   情景や大道具よりも、人間(宇宙人)関係やその人間関係が生む緊迫したシチュエーション、あっと驚く種明かし、などに魅力を感じます。 過去に道具立てに目を奪われたのはアーサー・クラークが「銀河帝国の崩壊」の中で設定した「ダイアスパー」くらいでしょうか。 この作品は、情景描写そのものの分量はさほどでないのですが、なぜか壮大なスペクタクルで迫ってきます。 結局は文章、描写の仕方なのでしょうか。   また、オチといいますか種明かしばかりに興味がいくようになってからは、しばらく SF を読むのをやめていましたが、80 年代初頭にアシモフの新「銀河帝国」が復活してから再び読むようになりました。 したがって、92 年にアシモフが志半ばで亡くなったのはたいへんな衝撃でした。 最近はどんな作家がおもしろいのでしょう?
デカルト 方法序説 角川文庫
第四章の考察がおもしろいです。 有名なコギト・エルゴ・スム。 なにもかもを全部疑っても、その疑ってる自分は疑えない、となってから、次に疑えないものは何なのかが、私の頭が悪いせいか解読できません。 また彼の理屈では「神」が存在することになりますが、なんか納得できるようなできないような。   第三章は、哲学だとかいって浮世離れしたことばっかりいってるとちゃんと暮らしていけなくなるから、まっとうなふりをしなさい、という笑えるような笑えないようなきわめて現実的なアドバイスがあったりします。   また、もう一つ思うのは、哲学全般に込められたメッセージなのでしょうが、こういう風に普通のこと(身の内、外限らず)をあれこれ考察して誤解をなくそうとする姿勢は、とても大切なことですね。   たいていの問題は、人のいうことをちゃんと聴いていない、または聴いていても理解していない、ということに端を発することが多いように思います。したがって話して誤解を解くということは、とても大切です。 もっとも、大人になると、聴いて理解もしているが利害を考えて理解していないふりをする、もしくはその逆、などの複雑なスタンスを「世知」として採用する方も多いので、そう簡単にはいかないとは思いますが。そういう意味では、やはり第三章は重要ですね。   デカルトは遥か昔の人ですけれども、明らかに僕らはその土台の上で考え、行動しているということに気づかされます。   なんといってもこの本薄いですし。 僕の持ってる古い角川文庫なんて 180 円です。   それからデカルトの著作は、近代哲学には珍しく、普通の人が読んである程度は理解できるような記述になってます。 哲学書は、カントがその典型ですが、難解な言葉の羅列でうんざりさせられることが多いですもんね。
永井荷風 うでくらべ 岩波文庫
明治の「風俗」を知ることができる。 意気地なしで、勝手にドロップアウトしてしまった筆者が、大好きです。 もうちょっとでポルノです。 男は、いつの時代になっても、かっとしたりせっぱつまると同じような事を考えるんだろうな。 そして女は、いつの時代も、せつなくたくましくいきていくのだろうな。
カート・ヴォネガット Jr 母なる夜 新潮社
今となっては、狂信的な登場人物たちが陳腐だし好きになれないが、主人公のおかれた呆然として一歩も踏み出せない状況は、興味深いです。 二重スパイの悲哀も、この作者にかかるとどこか童話チックになりますね。 作者は、「スローターハウス 5」、「猫のゆりかご」などユーモラスにして「この世の終わり」にこだわる変わった人です。 元祖オルタナティヴ作家の一人でしょう。
辻邦夫 背教者ユリアヌス 文春文庫
上巻は、殺伐とした背景に包まれながらも静謐で清らかなユリアヌスの青春に感じて、一気に読んだのですが、下巻始めで一時停止。 「ローマ帝国衰亡史」の著者ギボンは、ユリアヌスの死を「自信過剰」と身も蓋もなくかたづけております。
夏目漱石 三四郎 新潮文庫
理屈よりもムードに弱い僕としては、いつページを開いても感傷をかきたてられる小説です。 何度も三四郎池のほとりへ出かけては、幼稚だが真剣な気持ちでこれから自分にどんなことが起こるのだろうと思いました。 三四郎の行動力の無さを自分に重ねて見て、それゆえに無二の友のように感じられることもありました。 僕の当時の恋も鮮やかな破局を迎えましたが、今でもおぼえているのは、自信の無さゆえに自ら身を引いた情けない気持ちです。
  美禰子とふれあう最後のシーンでは「三四郎は背の高い男である」と決めておいて、広田先生と行った銭湯で背をはかって「もう全然のびません」とそれほど背は高くないことをぼやかせるなど、興味深い暗示のようなものもあります。 また、漱石の文章は漢文と翻訳の混じったような妙な文章にもかかわらず、見事なまでに僕ら現代人の心のうちを映し出しており、胸をかきむしるようなロマンと怜悧な現実を遠慮なく引きずり出します。 「ピティイズアキンツゥラヴ」というきれいな発音の声がはっきり聴こえる気がしたものです。
  ちなみに蓮見重彦の漱石論は、難しくて何がなんだかわからないです。
イアン・フレミング、ジョン・ガードナー、レイモンド・ベンソン ジェームス・ボンド・シリーズ
荒唐無稽も時代が経るにつれ、理解不能になってしまいそう。 ソビエトっていう国があって、とんでもなくおっかなかったんだぞ、といっても実感ないですね。 フレミングの原作は、50 年代に書いたとは思えないほど色褪せていません。(もっとも風俗というのはサイクルがあるので当然かもしれませんが) またガードナーの作品は、後継者のスタンスとして映画・小説のブレンドが絶妙です。 これはショーン・コネリーのこういう仕種だな、と思い浮かぶこともあります。 ガードナーの他のスパイものも、なかなか偏執的に書き込んであって、いわばドストエフスキー系ですね。 ボンドにしては、アクション不足という意見もありますが、僕はとても好きです。   さて第三の男ベンソン。 今のところ PLAYBOY 誌の短編(イルマ・ブントが登場)と「Zero Minus Ten」のみ(米国では第二弾「Facts Of Death」がハードカバーで出版済)なんで、まだまだこれからです。 「Zero」は、マカオのカジノでの麻雀が笑えます。 悪党のスケールが小さいので 60 点。
Authors
スティーヴン・キング 新潮文庫、文春文庫、集英社文庫など
15年ほど前に読み倒した時期がありまして、その時の印象・インパクトが今なお余韻を残していいます。 傑作は、長編では「シャイニング」と「呪われた町」。 そして、中短編では、菊池秀行氏もおっしゃる通り「霧」でしょうか。 (僕は偶然買った闇の展覧会という短編集で「霧」にぶちあたったのがキング初体験です。 よかったのか、悪かったのかわかりませんね。) 「シャイニング」は、脇の下にカミソリの刃をはさんだような緊張感に満ちており、読み終わるとヘトヘトになります。 特に、だんだん頭が変になっていく父親が、最初は精神安定剤がわりに口にしていた頭痛薬を、しだいに口いっぱいにむさぼり食うようになっていくさまや、風呂場の幽霊のシーンなどが、強烈です。 惨劇の後、浄化のシーンでも、美しさ以上にこめかみに氷をあてたようなキーンとした鋭い跡が残ります。 真夏の太陽の下、プールサイドで寝そべってよんでても、ひんやりすること請け合いです。 狂気の発端は、怒りの爆発であるというのが実感できますね。
レイモンド・チャンドラー 創元推理文庫、ハヤカワ文庫
ロマン派ハードボイルド(私の勝手な造語です)の巨頭ですが、 個人的には、シュールな物言いを一番に楽しんでいます。 つまり、友の分もギムレットを、といった気障でセンチメンタルなところよりも、「リスとタンゴを踊るのか」のような表現がおもしろくて読んでいました。 もしかすると英語では 我々にとっては奇妙に思えるこういった比喩やいいまわしが、普通なのかもしれないですね。 そして、それを日本語に翻訳したことによって、さらに新しい世界が生まれたのかもしれません。 自分で翻訳に挑戦したこともありますが、ときどきまるでわからない表現にいきあたって困ったことを憶えています。 清水さんの訳は、村上春樹さんも指摘していますが、大胆にぶっ飛ばしていておみごとです。    お薦めは、読み応えある分量ということでもやはり「長いお別れ」でしょうか。 「高い窓」、「プレイバック」のカラカラに乾いたタッチも印象的です。 (原寮氏という強力なフォロワーの方の作品のもおもしろかったです)
ブライアン・フリーマントル 新潮文庫
時間潰しに最高。 (出版社には申し訳ないが古本がお得です)現実的で残酷な結末は、読書という夢の時間から最後に見事に目を覚めさせてくれます。
海野十三 桃源社など
昭和の初期に、少年向け国威高揚とはいえこんなにすばらしいアイデアに満ちた SF 小説があったなんて。 「地球要塞」や「浮かぶ飛行島」など、東宝怪獣映画のオリジナル・シナリオのような胸踊る掌編が揃っています。 地球の危機を未然に知らせてくれるのは、金星のブブ博士です。
  昭和初期に子供だった僕の親父は、「怪鳥艇」にワクワクしたそうです。 最近「怪鳥艇」という作品を新刊で見かけましたが、海野氏へのオマージュなのでしょうか?
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